第55話:オイルガッシャー
『ゴゴゴゴゴ……シュゴォォォォォォッ!!』
地中深くから響く地鳴りは、もはや大地の悲鳴のように聞こえた。
建国2年、冬。
オハイオ川の支流沿いに建てられたボーリング櫓の周辺に、強烈なガスと硫黄の匂いが立ち込める。
「全員、もっと下がれ!!」
泥まみれの郷田剛が、目を血走らせながら叫んだ。
彼に従い、カシャ、カヤ、そして先住民の労働者たちが雪の中を走って後退する。
全員の視線が、櫓の中央に突き刺さった一本の鋼管に釘付けになっていた。
『ボシュッ!!』
パイプの先端から、泥水が数十メートルの高さまで吹き上がった。
それは地下水が押し出された合図。
そして、直後。
『ドガァァァァァァァァァンッッ!!!!』
鼓膜を突き破るような爆音とともに、真っ黒な液体の柱が、空を切り裂いて一直線に噴き上がった。
高さは30メートル、いや、50メートルは優に超えている。
何千万年もの間、分厚い岩盤の下で超高圧に圧縮されていた「黒い血(原油)」が、郷田たちが空けたパイプという逃げ道を通り、一気に地上へと解き放たれたのだ。
オイルガッシャー(原油の自噴現象)である。
「うおおおおおおおおっ!!」
「キャアアアアッ!?」
先住民の労働者たちが、空高く噴き上がる黒い柱を見てパニックに陥り、雪の上にへたり込む。
彼らの目に、それは地下から目覚めた巨大な黒い龍のように映った。
やがて、空高く舞い上がった原油が、冬の冷たい風に煽られ、黒い雨となって降り注いできた。
『ポツッ……ボツボツボツッ……!』
「冷てぇっ!」
真っ黒な油の雨を全身に浴びながら、郷田は両手を大きく広げた。
「ガハハハハハッ!! 出た! 出やがった!! ペンシルベニアの地質チート、大正解だ!!」
郷田は真っ黒に染まった顔で、空を見上げて狂ったように高笑いした。
その異様な光景に、カシャとカヤも最初は唖然としていたが、郷田のあまりの喜びように、次第に恐怖が薄れていった。
「郷田さん! これが、郷田さんの言ってた『最強のエネルギー』ですか!?」
カシャが、油で顔を真っ黒にしながら、鼓膜を劈く轟音に負けないよう大声で叫んだ。
「ああ! そうだカシャ! こいつはただの油じゃねえ! 人類を次の次元へ引き上げる、魔法の液体だ!!」
郷田は雪を蹴立ててカシャとカヤのもとへ駆け寄り、二人の肩をガシッと力強く抱き寄せた。
「カヤ! お前が地層の傾きを完璧に読み切ったおかげだ! 俺一人じゃ絶対に場所を特定しきれなかった!」
「郷田さん……。大地は、本当にあなたの言う通りの法則で動いているんですね……」
カヤは、天を衝く黒い柱を見上げながら、畏敬の念に震えていた。
神の怒りではなく、理にかなった「物理法則」によって引きずり出された大地の血。
彼は今、完全に地質学という学問の虜になっていた。
「これを見ろよ! 水車や風車なんか目じゃねえ、圧倒的なエネルギーの塊だぞ!」
郷田の瞳に、エンジニアとしての強烈な野心の炎が燃え盛っていた。
「蒸気機関の時代(18世紀)なんざすっ飛ばして、爆発力を直接ピストンに叩きつける『内燃機関』の時代へ、一気にワープだ!!」
彼らは降り注ぐ黒い雨の中で、歴史の針が100年単位で進んだことを確信し、歓喜の笑い声を上げ続けた。
***
同じ頃。
帝都の中央にそびえる高台の本部棟から、九条蓮は遠くの空を見つめていた。
冬の曇り空の一部が、不自然な黒い霧に包まれている。
そして、風に乗って微かに鼻を突く、特有の硫黄と炭化水素の匂い。
「ビンゴだ」
九条の冷徹な口元に、深い満足の笑みが浮かんだ。
「……蓮様、あの匂いは?」
傍らに立つアナヒータが、不思議そうに鼻をひくつかせる。
「郷田が『黒い血』を掘り当てた匂いだ。あの男、本当にペンシルベニアの地質構造をピンポイントで読み切りやがった」
九条は腕を組み、冷ややかな目で、眼下に広がる要塞都市を見下ろした。
「アナヒータ。よく覚えておけ。あれが、これからの世界の『覇権』を握る物質だ」
「覇権、ですか?」
「そうだ。石炭は重く、運ぶのに多大なコストがかかる。だが、液体である『石油』は違う。パイプの中を自ら流れ、どんな容器の形にも収まる」
九条は壁に掛けられたアメリカ大陸の地図に視線を移した。
「石炭のエネルギー密度を凌駕し、流体として完璧な物流網に乗る。これを持つ国と持たない国とでは、工業力と軍事力において、大人と赤子ほどの差が開く」
九条の言葉に、アナヒータは遠くの黒い空を見つめ、静かに息を呑んだ。
「これで、真野が削り出しているエンジンの『飯(燃料)』は確保された。動力革命へのロードマップは、完璧な軌道に乗ったぞ」
冷徹なプロデューサーの瞳の奥で、強大な機械化部隊が大陸を蹂躙する未来のビジョンが、すでに描かれ始めていた。
***
再び、オハイオ川沿いの採掘現場。
「郷田さん! 吹き出した油が、斜面を下って、事前に掘っておいた貯油池に流れ込んでいきます!」
カシャの鋭い報告に、郷田は泥と油にまみれた顔でニヤリと笑った。
「よし! 予定通りだ。貯油池の底と壁面には、あらかじめ分厚く『粘土』を敷き詰めてガチガチに押し固めてある。これなら油が地中に染み込んで地下水脈を汚染することもないし、川への流出も完璧に防げる」
「さすが郷田さん……。最初からこの量が吹き出すことを計算して、あの巨大な池を……」
カヤが感嘆の声を漏らすが、目の前で天を衝く黒い柱の勢いは、一向に衰える気配がない。
「だが、俺の想定よりも少し勢いが強えな。……カヤ!」
狂乱の歓喜から一転、郷田の顔がプロの現場監督のそれに引き締まる。
そこに焦りはない。ただ冷徹にリスクを管理し、全体を最適化する土木エンジニアの顔だった。
「はい!」
「念のため、今の貯油池の隣に『第二の貯油池』を増設する。労働者たちを集めてスコップで土を盛り上げろ!」
「了解です!」
「そしてカシャ! 溜め込むだけじゃいずれ限界が来る。入り江に待機させてある『タンカー船団』を今すぐ岸へ回せ! 同時に大型ポンプとパイプラインの接続だ!」
「任せてください!」
「大地の圧力に負けねえスピードで、帝都へガンガン流し込むぞ! ピストン輸送開始だ!!」
現場は突如として、圧倒的な質量で噴出し続ける「大地の血」を受け止め、そして運ぶための、周到で力強い物流作戦へと突入した。
彼らの目の前にあるのは、無限の富であり、同時に扱いを間違えればすべてを焼き尽くし、環境を破壊する危険な猛獣。
だが帝国は今、強大な化石燃料という獣の首輪を、確かな技術とシステムによって完全に抑え込もうとしていた。




