第49話:余剰食糧と「未知の娯楽(酒)」の誕生
建国2年、秋。
帝都の郊外に広がる、幾何学的なグリッド状に整備された広大な農地。
そこは今、見渡す限りの黄金色に染まっていた。
「Uri! Usukamon, Mujiwi Uri!」(ウリ! ウスカモン、ムジウィ ウリ!:凄い! トウモロコシ、全部凄い!)
農学助手の青年・ニカンが、自身の背丈を優に超えるトウモロコシの茎を見上げながら、興奮した声を上げた。
彼の足元には、丸々と太ったトウモロコシやカボチャ、豆類が、すでに山のように収穫されている。
それを見下ろしながら、冴島陸は白衣のポケットから植物紙の手帳を取り出し、冷徹な目で計算式を書き込んでいた。
『……窒素固定を利用した輪作と、重力灌漑システム。そして化学肥料(灰とフン)の適切な散布。結果は予想通りだが……現代の品種改良を経ていない原種に近い作物でも、これほど爆発的に収穫量が跳ね上がるとはな』
冴島は手帳を閉じ、単語帳のページをパラパラとめくってからニカンに向き直った。
「Uri. Nikan, Kira, Aroka Uri.」(ウリ。ニカン、キラ、アロカ ウリ。:よし。ニカン、お前、仕事が良い。)
冴島が片言の現地語で褒めると、ニカンは嬉しそうに胸を張った。
これまで先住民たちは、自然の恵みに頼る「その日暮らし」に近い農法を行っていた。
しかし、冴島が持ち込んだ「徹底的なデータ管理」と「物理法則に基づいた農業」は、土地が持つポテンシャルを限界まで引き出した。
結果として、全人口800人が冬を越すために必要なカロリーを、たった一度の秋の収穫で完全にオーバーフローさせてしまったのだ。
「問題は、この『余剰』をどうするかだな。備蓄庫のキャパシティはとっくに限界を超えている」
冴島が日本語で呟き、忌々しそうに大量のトウモロコシの山を睨みつけたその時だった。
「なら、やることは一つしかねえだろ。冴島」
背後から、獰猛な笑みを浮かべた鬼頭陣が歩み寄ってきた。
彼の作業着は、石炭と火薬の煤で薄汚れている。
「鬼頭。やることは一つ、とは?」
「決まってんだろ。人間の歴史上、食い物が余った時に行き着く先は相場が決まってる」
鬼頭は足元のトウモロコシを一つ拾い上げ、ボキッと真っ二つに折った。
「アルコールだよ。……『酒』を造るんだ」
鬼頭の言葉に、冴島はピクリと眉を動かした。
『……酒、か』
この未開の地へ転移してきてから約一年半。
生き延びるため、インフラを整えるため、彼らは文字通り血を吐くような労働と極限の緊張感の中で生きてきた。
常に気を張っていた彼らの脳も肉体も、強烈な「娯楽」と「弛緩」を求めているのは事実だった。
「なるほど、悪くない提案だ」
冴島の冷ややかな口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「糖質は腐るほどある。酵母はそこら辺の果実の皮から培養すればいい。糖化酵素が問題だが……麦芽の代わりに、発芽させたトウモロコシを使えば、強引に糖化プロセスは回せるな」
「さすがは生物学のプロだな。発酵までのプロセスはお前に任せる。俺はその先をやるぜ」
鬼頭がニヤリと笑う。
「ただの濁り酒じゃ、俺たちの荒んだ脳髄にはパンチが足りねえからな。俺の化学プラントで、アルコール度数を極限まで引き上げる」
「蒸留、というわけか。火気厳禁だぞ、鬼頭」
「誰に言ってやがる。俺は化学工学のプロだぜ」
***
数日後。
工業エリアの一角に、鬼頭と真野が即席で組み上げた奇妙な装置が鎮座していた。
巨大な鉄製の釜から、水力旋盤で削り出された精巧な金属パイプが伸び、水風呂(冷却槽)を通って出口へと繋がっている。
原始的だが、理にかなった完全な『蒸留器』であった。
釜の下では、アパラチアの無煙炭が赤々と燃え盛っている。
釜の中には、冴島が温度管理を徹底し、数日かけてドロドロに発酵させた「トウモロコシの醪」がたっぷりと仕込まれていた。
「いいぞ……。沸点の違いを利用して、気化したエタノールだけを抽出する。化学の基本だ」
鬼頭が、温度計の代わりに釜に垂らした水滴の蒸発具合を見ながら、バルブを微調整する。
やがて、冷却槽を通ったパイプの先端から、『ポツッ……ポツッ……』と、無色透明な液体が滴り落ち始めた。
「……来たぜ」
鬼頭が陶器のカップでそれを受け止める。
無色透明だが、水ではない。周囲に、ツンと鼻を突く芳醇で暴力的なアルコールの香りが漂った。
鬼頭はカップに溜まった液体を、一気に喉の奥へ流し込んだ。
「ッ……!! カハッ……!!」
食道が焼け焦げるような熱さと共に、アルコール特有の強烈なキックバックが脳髄を殴りつける。
推定アルコール度数、60パーセント超。
荒々しいが、トウモロコシの甘い余韻が残る「密造酒」の完成であった。
「クハハッ! すげえパンチだ……! これだよ、この脳みそが溶けるような感覚……たまらねえ!」
鬼頭が目を血走らせながら、大笑いする。
「Sukote!? Mubi Sukote!?」(スコテ!? ムビ スコテ!?:火!? 水が火!?)
その様子を遠巻きに見ていた先住民の若者たち(防衛部隊の兵士)が、透明な水から立ち上る匂いと、鬼頭の異常なテンションに怯えたようにざわついた。
彼らの文化には、果実を自然発酵させた微弱な酒はあっても、これほど純度の高い「蒸留酒」という概念は存在しない。
「おい、お前らも飲んでみろ」
鬼頭が手招きし、カップに少しだけ酒を注いで、一番体格のいい戦士の若者に差し出した。
「Mene. Mujiwi Mene.」(メネ。ムジウィ メネ。:飲め。全部 飲め。)
鬼頭が単語帳を見ることなく、ニヤニヤしながら現地語で促す。
若者は恐る恐るカップを受け取ると、意を決して一気に飲み干した。
「Gah!? Ooooh...!!」
若者は喉を押さえ、顔を真っ赤にしてむせた。
しかし数秒後、彼の瞳孔が開き、顔にだらしない笑みが広がっていく。
「Uri... Koko Uri...」(ウリ… ココ ウリ…:良い… ここが 良い…)
若者は自分の胸をポンポンと叩きながら、フラフラと足元をふらつかせた。
強烈なアルコールが血中を駆け巡り、過酷な肉体労働の疲労と緊張感を、一瞬にして麻痺させたのだ。
それを見た他の若者たちも、「自分にもくれ」と一斉に鬼頭に群がり始めた。
「おいおい、慌てんな! 冴島の野郎が仕込んだ醪は腐るほどあるからな!」
鬼頭は豪快に笑いながら、次々と蒸留酒を精製していった。
***
その日の夕暮れ。
高台の本部棟から、工業エリアの騒ぎを見下ろしていた九条が、呆れたように小さく息を吐いた。
「バカな奴らだ。わざわざ自らの脳の処理能力を下げる毒薬を錬成するとはな」
冷徹な声でそう言いながらも、九条の口元には微かな笑みが浮かんでいる。
傍らに立つアナヒータが、静かに微笑んだ。
「ですが、蓮様。あの『水』を飲んだ者たちは、皆一様に争いを忘れ、笑顔を見せています。労働の対価として、これほど強力な求心力を持つ報酬はないのでは?」
完璧な日本語で分析を述べるアナヒータに、九条は感心したように頷いた。
「お前の言う通りだ、アナヒータ。凍死の恐怖(ハードウェアの危機)が消え、圧倒的な余剰食糧が生まれた。そして今、娯楽という『ソフトウェアの快楽』を手に入れた」
九条は、夕日に照らされる巨大要塞と、煙突から立ち上る生活の煙を見渡した。
「生き延びるためだけの『サバイバル』は、今日で完全に終了だ。今夜の宴で、この国の構成員たちの間に、新たな『化学反応』が起きるぞ」
九条の冷徹な瞳の奥で、次なる国家フェーズの計算がすでに始まっていた。




