第47話:絶望的な輸送コストと「滑車式クレーン」の物流革命
建国2年、秋の足音が近づく頃。
切り開かれた帝都の郊外から中央広場へと続く未舗装の道で、数十人の男たちが丸太で作った巨大な荷車にロープをかけ、必死に引いていた。
荷車の上には、周辺の山から切り出された大量の「石灰岩」と「砂利」が積まれている。
冬の寒波とハリケーンに備え、全人口800人を収容するための巨大要塞の基礎と、モルタル補強の材料だ。
「Kusakameku! Matta!」(クサカメク! マッタ!:重い! ダメだ!)
男たちの一人が限界を迎え、泥にまみれた膝を突く。
荷車の車輪がぬかるみに沈み込み、ピタリと動きを止めた。
「Matta! Tari, Peho!」(マッタ! タリ、ペホ!:ダメだ! そこで、待て!)
郷田剛が、泥と汗でボロボロになった単語帳をめくりながら大声を上げる。
彼は急いで荷車に駆け寄り、沈み込んだ車輪の前に太い木の枝を噛ませた。
「Uri! Wikapito!」(ウリ! ウィカピト!:ヨシ! 引け!)
郷田の指示に合わせ、男たちが再び顔を真っ赤にしてロープを引くが、数トンもの石の塊は容易には動かない。
『……くそったれ。全然進まねえ』
郷田は滴る汗を拭いながら、荷車と果てしなく続く道を見比べ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
物理的な建材の「量」は山にある。
労働力としての「人数」も、流入してきた先住民たちを組織化したことで確保できた。
しかし、それを運ぶ「ロジスティクス(物流)」が完全に破綻していた。
手作業と人力の荷車による陸路の輸送では、1日に運べる資材の量はたかが知れている。
しかも、労働者たちのカロリー消費が激しすぎた。
『このままじゃ、要塞の基礎工事だけで冬が来ちまう。圧倒的に【輸送コスト】が合ってねえんだ』
郷田が頭を抱えかけたその時、背後から静かで冷徹な声が響いた。
「処理落ち寸前だな、郷田」
振り返ると、九条が腕を組み、冷ややかな目で泥まみれの荷車を見下ろしていた。
「おう、九条。笑えねえぞ。人をいくら突っ込んでも、陸路の摩擦抵抗と重量の壁はどうにもならねえ。これじゃ、全体のロードマップに致命的な遅れが出る」
「分かっている。人間の筋力に頼るから限界が来るんだ。自然が用意した『天然のハイウェイ』を使え」
九条が視線を向けた先。
そこには、帝都のすぐ脇をゆったりと流れる大河、オハイオ川の水面が太陽の光を反射して輝いていた。
「……川、か」
「そうだ。陸路の数十倍の資材を、摩擦ゼロで運ぶ。今日から、我が国のロジスティクスを『水運』へとシフトさせるぞ」
***
数日後。オハイオ川の岸辺に設けられた仮設ドック。
「アカン! そこはもっと木目を読まんかい! 割れるやろが!」
真野巧の怒号が響き渡る。
「Matta! Teke, Aroka!」(マッタ! テケ、アロカ!:ダメだ! 木、やり直せ!)
真野が単語帳を見ながら片言の帝国標準語で怒鳴ると、先住民の若者たちが慌ててカンナをかけ直す。
ドックで建造されていたのは、吃水(水に沈む深さ)が浅く、底が平らな巨大な「バージ船(平底船)」。
真野の精密な木工技術と、郷田の構造計算が組み合わさった、大量の重量物を運ぶための特化型輸送船である。
「よし、資材用の船のシーリングはこんなモンやろ」
真野は木材の隙間に松脂と繊維を混ぜた防水材を詰め込み、満足そうに頷いた。
「だが真野、問題はあっちの『特殊仕様』の方だぞ」
郷田が腕を組み、ドックの奥に係留されている数隻の異様な船を指差した。
その船の甲板には、分厚い木板と金属のタガで強固に組まれた「巨大な密閉タンク(油槽)」が鎮座していた。
「分かっとるわ。お前が言う『黒い血』を入れるための専用船やろ。タンクの内側には松脂と粘土を分厚く塗って、液体の揮発成分が一滴も漏れんように完璧に密封しとる」
郷田はニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
「ああ。近いうちに俺とカヤで、上流の地質調査とボーリングを始める。ここがアパラチア山脈周辺の地質構造なら、特定の場所を掘れば100パーセントの確率であそこから『石油』が吹き出す」
郷田の瞳には、エンジニアとしての狂信的なまでの確信があった。
「油が出た瞬間、無限に湧き出すそいつを帝都へピストン輸送できるよう、今のうちにこの【タンカー船団】を量産しとくんだ。これこそが、我が帝国の生命線になる」
ドックへ視察に訪れていた九条が、その言葉を聞いて静かに鼻で笑った。
「狂気の沙汰だな。一滴の油も出ていない調査段階で、それを運ぶための専用輸送船を量産(初期投資)するなど。現代の常識なら、リスク管理を疑われてクビになるレベルだ」
「俺たちは『答え(チート)』を知ってるからな。カンニングできるんだから、投資は全振り一択だろ?」
郷田が笑い返すと、九条も冷徹な瞳の奥に強い野心を燃やして頷いた。
「同感だ。資材は普通のバージ船で、血液はタンカーで運ぶ。完璧なロジスティクスだ」
***
「しかし、資材用のバージ船ができたのはいいが、問題は『荷役』だぞ」
郷田が完成間近の船体を見下ろした。
「数トンの石灰岩を船に積んだり降ろしたりする時、結局最後は人力になっちまう。川岸の斜面でそんな重量物を動かしたら、大事故が起きるぞ」
「心配すんな。そのための『魔法』を、徹夜で錬成しといたわ」
真野はニヤリと笑い、工房から運んできた「鉄の塊」をドンッと地面に置いた。
それは、水力ハンマーを駆使して鍛造された、頑丈な金属製の「滑車」だった。
「動滑車と定滑車を組み合わせれば、引く距離は増えるが、必要な力は反比例して軽くなる。中学生の理科やな」
真野の言葉に、郷田の顔にも狂暴な笑みが浮かんだ。
「なるほどな。木組みのデリック(クレーン)を岸に建てて、こいつを組み込むわけだ」
***
翌日。
船着き場には、巨大な丸太を三脚状に組んだ「木組みのクレーン」がそびえ立っていた。
先端には真野の作った鉄の滑車が取り付けられ、太い麻縄が幾重にも通されている。
その下には、数トンの石灰岩が網に入れられて置かれていた。
「Uri! Wikapito!」(ウリ! ウィカピト!:よし! 引け!)
郷田が合図を出し、十数人の先住民の若者たちが一斉にロープを引く。
『ギギギギギギッ……!』
鉄の滑車が甲高い音を立てて回り、重い石灰岩がゆっくりと、だが確実に宙に浮き上がった。
「Ooooh...!!」(オォォォ…!!)
先住民たちが、信じられないものを見る目で目を見開いた。
彼らの常識では、これほどの巨石を持ち上げるには数十人の男が血を吐くほど力む必要があった。
それが、ロープの方向を変えるだけの「謎の鉄の輪」を通しただけで、数分の一の力でふわりと浮き上がったのだ。
「Uri! Matta!」(ウリ! マッタ!:ヨシ! 待て!)
郷田が叫ぶが、初めてのクレーン操作に戸惑った若者たちの力加減がバラバラになり、宙吊りの石灰岩が大きく揺れ始めた。
「危ねえ! 下から離れろ!」
郷田が日本語で叫んだその時だった。
「Niya! Pita!」(ニヤ! ピタ!:私! 引く!)
甲高い、よく通る声と共に、見物人の中から一人の小柄な女性が飛び出してきた。
彼女の名前はカシャ。
活発で好奇心旺盛な彼女は、最近ずっと郷田たちの土木作業を興味深そうに観察していた。
カシャは迷うことなく、ロープを引く若者たちの先頭に立ち、綱を握りしめた。
『おい、女の細腕で何を……』
郷田が止めようとした瞬間、カシャの目が鋭くロープの張力と滑車の動きを捉えた。
「Kira, Pita! Kira, Peho!」(キラ、ピタ! キラ、ペホ!:お前、引け! お前、待て!)
彼女は瞬時に空間とベクトルの法則を直感で理解し、それぞれの男たちに的確な指示を飛ばした。
右側のロープを緩めさせ、左側を強く引かせる。
すると、大きく揺れていた数トンの石灰岩が、まるで彼女の手足のようにピタリと揺れを止め、そのまま静かにバージ船の甲板へと降ろされた。
『ドスンッ』という重い音が響き、船が小さく沈み込む。
完璧な荷役だった。
「Uri!」(ウリ!:よし!)
カシャは額の汗を拭い、郷田に向かってニカッと太陽のような笑顔を向けた。
郷田は目を見開き、思わず息を呑んだ。
『凄え……。滑車の原理も重心の計算も知らないはずなのに、感覚だけで空間を把握しやがった。天性の土木センス(バケモノ)だ』
「すごいな、お前! Uri! Kasha, Wuri!」(ウリ! カシャ、ウリ!:よし! カシャ、凄い!)
郷田が親指を立てて褒めると、カシャは嬉しそうに胸を張り、そのままクレーンの操作を指揮し始めた。
***
それから数日後。
オハイオ川の水面を、満載の石灰岩を積んだ数隻のバージ船と、出番を待つ巨大なオイルタンカー船団が並んで停泊していた。
船着き場では、カシャの的確な指揮のもと、滑車式クレーンが次々と重量物を陸へ引き揚げていく。
その光景を、高台から九条と郷田が見下ろしていた。
「見事なロジスティクスだ。これで、陸路の数十倍の物資が、数分の一のカロリー消費で帝都へ雪崩れ込んでくる」
九条が満足そうに頷く。
「ああ。滑車(物理)と川(自然)の力は偉大だぜ。しかも、あのカシャって女が現場を仕切ってくれるおかげで、俺は次の構造計算に集中できる」
郷田は眼下で元気に指示を飛ばすカシャの姿を見つめ、どこか優しい表情を浮かべていた。
「物流のボトルネックは突破した。これで、一気に『ハコモノ』を仕上げるぞ」
九条の冷徹な号令とともに、アメリカ帝国はかつてないスピードで、強固な要塞都市へと変貌を遂げようとしていた。




