第42話:大砲の試射と対立部族の接近
建国2年、春。
新居住区から少し離れた、見晴らしの良い開けた丘陵地。
「……たまんねぇな。この冷たくて重厚な、美しい青銅の輝きよ」
鬼頭陣は、木製の頑丈な砲架(車輪付きの台座)に据え付けられた『それ』を撫でながら、恍惚とした表情を浮かべていた。
全長約一・五メートル、口径約十センチ。
真野と鬼頭が冬の間に鋳造し、極限まで磨き上げた、正真正銘の『大砲(前装式滑腔青銅砲)』である。
「アホ。撫で回してんと、さっさと装填せんかい。火薬の分量、間違えんなよ。一歩間違えたら砲身ごと破裂して、俺ら全員ミンチやぞ」
真野巧は少し離れた場所から、忌々しそうに、だが隠しきれない期待のこもった目で砲身を見つめながら言った。
「誰に向かって言ってんだ、真野。俺の計算した燃焼曲線と、お前の引いた肉厚の設計図だ。絶対に耐え切る」
鬼頭はニヤリと笑うと、砲口から一定量の『黒色火薬』を流し込み、木の棒(槊杖)でしっかりと突き固めた。
その上から、真野が旋盤で削り出した「分厚い木栓」を押し込む。
「砲身の内径十センチに対して、砲弾のサイズはソフトボール大(約九・七センチ)。このわずかな隙間(遊隙)が、暴発を防ぎつつ弾を押し出すベストなクリアランスや」
真野の言葉と共に、鬼頭が重厚な「鉄球」を装填する。
「よし……。目標、約三百メートル先の巨岩!」
鬼頭は砲架の尾部を動かして角度を微調整し、後部の火門(点火口)に導火線を差し込んだ。
見学に訪れていた九条蓮と郷田剛が、無言で耳を塞ぎ、後方へと下がる。
「……ファイヤー!」
鬼頭が松明の火を導火線に押し当てる。
ジジジジジッ……!!
一瞬の静寂。
そして――。
――ズドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!!
天地がひっくり返ったかのような、鼓膜を物理的に殴りつける大轟音。
砲口から凄まじい閃光と大量の白煙が噴き出し、強烈な衝撃波が周囲の草木を薙ぎ払う。
運動エネルギーの反作用により、数百キロの重量を持つ大砲本体が、砲架の車輪を軋ませながら数メートルも後方へと跳ね下がった。
「ヒュウ……!」
郷田が思わず口笛を吹く。
放たれた鉄の砲弾は、初速数百メートルで大気を切り裂いた。
だが、砲身にライフリング(螺旋溝)がない滑腔砲特有の空気抵抗とマグヌス効果により、弾道はわずかにスライスし、目標としていた巨岩からは数メートル右へと逸れた。
しかし、その逸れた先にある太い広葉樹の幹に直撃した瞬間。
メキドゴォォォッ!! と、幹が根本から爆発したかのようにへし折れ、さらに弾き飛ばされた鉄球が背後の岩盤を粉砕して、大量の破片と土煙を空高く巻き上げた。
「ガハハハハハッ!! 見たか! これが火砲だ! 点に当てる精度はねぇが、この圧倒的な質量と面制圧力こそが戦争の歴史を変えたんだよ!!」
もうもうと立ち込める硝煙の中、鬼頭が両腕を突き上げて狂喜の叫びを上げる。
「……砲身の膨張、クラック(ひび割れ)共にゼロ。完璧や。……俺らの鋳造技術、ホンマにチート級やな」
真野も砲身に駆け寄り、火傷しそうな熱を持つ青銅の表面を検品しながら、ゾクゾクとした笑みを漏らした。
「凄まじいな。質量と運動エネルギーの次元が違う」
九条が静かに進み出て、粉砕された遠くの木々を冷徹な目で見つめた。
「これで、どれだけの数の敵が密集してこようが、アウトレンジから一方的に粉砕できる。……テストは合格だ。ただちに防衛線の『高台(砲台)』へと配備しろ」
その時だった。
「Kujo!! Kujo!!」
丘の下から、防衛線の見張りに立っていたはずの先住民の若者、タラックが血相を変えて駆け上がってきた。
彼はすっかり息を切らし、恐怖で顔面を蒼白にしている。
「Taraku,(タラック) poni (ポニ=落ち着け). Keku (ケク=何があった)?」
九条が平坦な声で流暢に尋ねる。
タラックは膝に手をつき、懸命に言葉を絞り出した。
「Abenaki (アベナキ=敵部族)! Pata (パタ=たくさん), pisa (ピサ=来る)!!」
『アベナキ』。
それは、冬の間にタラックたちから聞き出していた、この周辺一帯で最も好戦的で残酷な略奪部族の名前だった。
「……ついに来やがったか。Keku pata (ケク パタ=数はどれくらいだ)?」
郷田が横から尋ねながら、自分の手の指を立てて見せる。
タラックは身震いしながら、地面の小石を三つ並べ、その周囲に大きく円を描いた。
「三百……か」
九条が推測する。
豊かな村の噂を聞きつけて、春の略奪祭りに来たというわけだ。三百人といえば、この村の人口の半分近い戦士団である。
「Puku (プク=逃げる)! Abenaki (アベナキ=敵部族), seki (セキ=怖い)! Musi (ムシ=全員), mata (マタ=死ぬ)!」
タラックは九条の腕を掴み、村へ戻って逃げる準備をするよう必死に訴えかけた。彼らの常識では、三百人のアベナキ戦士団など、天災と同じで「逃げる」以外の選択肢はないのだ。
だが、九条はタラックの手を優しく、しかし確かな力で払い除けた。
「Poni (ポニ=落ち着け)」
九条の冷たい瞳には、一切の恐怖はなく、ただ「計算」だけが走っていた。
「Mata puku (マタ プク=逃げるな). ……Taraku, musi (ムシ=全員), eku (エク=集めろ)」
***
新居住区、中央広場。
そこには、タラックの知らせを聞いてパニックに陥り、ガタガタと震える数百人の村人たち(周辺から吸収した避難民も含む)が集まっていた。
「Poni (ポニ=静かにしろ)」
広場の中心に組まれた壇上に立った九条が、低く、しかしよく通る声で言い放った。
彼の隣には第一秘書のアナヒータが控えていたが、彼女の通訳は必要なかった。九条自身が、冬の間の徹底した言語解析により、彼らの言語体系(OS)を完全にマスターしていたからだ。
「Abenaki, niswa pata pisa. (アベナキ、ニスワ パタ ピサ=敵部族が三百人でやって来る。) ……Kiluwa keku? (キルワ ケク=お前たちはどうする?)」
九条の流暢で正確な現地語の響きに、パニックに陥っていた村人たちが静まり返る。
「Kiluwa puku? (キルワ プク=逃げるか?) Kiluwa uli urito haki, musi puku? (キルワ ウリ ウリト ハキ、ムシ プク=冬の飢えをしのぎ、お前たちが泥だらけになって作ったこの豊かな場所を、すべて捨てるか?)」
村人たちの視線の先には、自分たちが郷田の指示のもと築き上げた強固なレンガの家屋や、安全な水場がある。
これを手放すことの絶望感が、彼らの足を縫い留めていた。
『ただ技術とインフラを与えるだけでは、こいつらは一生「庇護されるだけの脆弱な民(お客様)」だ』
九条は、群衆を見下ろしながら内心で冷酷に分析する。
『国家とは、共通の防衛線と、共通の法律の下に成立する。ここで彼らに「血を流してでも自分の財産を守る」という当事者意識を植え付ける』
「Nila mata puku! (ニラ マタ プク=俺たちは逃げない!)」
九条は、声を一段階張り上げた。
「Nila sanke, urito. (ニラ サンケ、ウリト=俺たちの法に従うなら、俺たちが全力で守る。) Kiluwa api eku! (キルワ アピ エク=だが、お前たちも武器を持て!)」
九条の力強い声が響き渡る。
村の若者たち――タラックやニカン、そしてカヤたちの目に、恐怖とは違う「熱」が宿り始めていた。
「Nila uli kacha kabe, Abenaki mata pisa! (ニラ ウリ カチャ カベ、アベナキ マタ ピサ=俺たちの作った強固な壁は、アベナキを絶対に寄せ付けない!) Kiluwa sanke?! (キルワ サンケ=お前たちは自らの手で国を守る覚悟があるか?!)」
「……オオォォォォォォォォッ!!!」
パニックに陥っていた数百人の群衆から、やがて地鳴りのような怒号と雄叫びが上がった。
彼らはもはや、怯えるだけの避難民ではない。圧倒的なインフラという財産を守るため、自ら槍を握りしめる「市民」へと精神的な変貌を遂げたのだ。
「……言いくるめるのが上手いねぇ、ウチの元首様は」
群衆の熱狂を背後で見ながら、鬼頭がニヤリと笑った。
「当たり前だ。これで軍の指揮権と、国家としての正当性が完全に俺たちに帰属した」
九条は壇上から降りると、鬼頭と郷田、真野の方を振り返った。
「さぁ、迎撃の準備だ。野蛮な略奪者どもに『絶望』を叩き込んでやれ」
村の外縁に張り巡らされた悪魔の防衛線――『鉄条網要塞』が、間もなく訪れる大量の獲物を待ち構え、春の陽光を反射して冷たくギラついていた。




