第4話:食糧確保の罠と未知の猛獣
「さあ、次は『火』だ。凍死のタイムリミットまで、あと2時間少々」
九条の冷徹な声が響き、五人の天才たちの意識が次なる生存のタスクへと切り替わる。
「東と真野は、摩擦で火を起こせそうな乾いた木材を集めろ。……鬼頭、郷田。お前たちは『食糧確保』だ」
九条が鋭い視線を二人に向けた。
「いくら火があっても、カロリーを摂取しなければこの寒さの夜は越せない。丸腰で狩りは不可能だろうが、罠なら仕掛けられるはずだ。火起こしと同時並行で進めるぞ」
「了解した。俺の専門分野だな」
鬼頭がニヤリと笑い、郷田の肩を叩いた。
「行くぞ郷田、お前の工作スキルを貸してくれ」
***
二人は沢の近くの森に入り、地面を慎重に観察し始めた。
「罠って言っても、どうすんだ? ナイフもワイヤーもねえぞ」
郷田が分厚い胸板をさすりながら尋ねる。
「道具がなければ地形と植物で作るだけだ。……よし、ここだ」
鬼頭が足を止め、腐葉土の上に微かに残る小さな足跡と、下草が不自然に倒れている一本の細い「獣道」を指差した。
「ウサギか野ネズミの類だろう。毎日ここを通って沢へ水を飲みに来ている形跡がある。動線は完全に読めた。……ここに『スプリング・スネア(跳ね上げ式くくり罠)』を仕掛ける」
鬼頭は近くにあった、しなやかで反発力のある若木を指差した。
「郷田、あっちの太いツル草を編んで、絶対に千切れない丈夫な輪を作ってくれ。俺はトリガーの仕掛けを作る」
「おう、任せとけ。強度の計算なら得意分野だ」 郷田は手際よくツル草を引きちぎり、複雑な結び目で強固な輪を作り上げた。
鬼頭は若木を力一杯曲げてテンションをかけ、郷田が作ったツル草の輪と、絶妙なバランスで引っ掛けた木の枝を獣道に巧妙に設置した。
「できたぞ。獲物が獣道を通って輪の中に頭や足を入れ、このトリガーの枝に触れた瞬間……若木の張力が解放されて、獲物を宙吊りにする」
鬼頭の解説に、郷田が感心したように口笛を吹く。
「なるほどな。ゲリラ戦の知識がこんなところで役に立つとは。これなら夕方には小動物の肉にありつけそうだ」
「ああ。カロリー確保の第一歩だ。……さあ、九条たちの火起こしに合流するぞ」
罠の出来栄えに満足し、二人が拠点に戻ろうとした、その時だった。
***
『……待て』
ピクリと、鬼頭の耳が動いた。
筋骨隆々の巨体を誇る彼は、元ミリタリーオタクであり、サバイバルや戦術に関する嗅覚はメンバーの中で抜きん出ていた。
「どうした、鬼頭?」
拠点に戻ってきた彼らの様子がおかしいことに気づき、九条が問いかける。
「……風に乗って変な音が聞こえた。動物の……それも、先ほど罠で狙うような『小動物』じゃない」
鬼頭の言葉に、場に走っていた安堵の空気が一瞬で凍りついた。
遠くの深い森の奥から、低く這うような、腹に響く不気味な唸り声が響いてきたのだ。
『ウォオオオ……ン……!』
生きた殺意を持った、野生の肉食獣の咆哮だった。
「なんだ、あの声は……! 狼か? それとも熊か!?」
東が青ざめた顔で周囲の木々を見上げる。
「間違いない。縄張りに踏み込んできた我々の匂いを嗅ぎつけたか、獲物を探している群れだ」
鬼頭は険しい表情を浮かべ、反射的に周囲の地形を観察し始めた。
『最悪だ。丸腰の状態でこんな奴らに囲まれたら、数秒で肉片にされる。……だが、慌てるな。パニックを起こせば一巻の終わりだ』
「おい、冗談だろ!? こんなとこにいたら食われるぞ! 早く逃げようぜ!」
真野がパニックを起こしかけ、手当たり次第に走り出そうとする。
「動くな!! 慌てて背を向けて走るな!」
鬼頭が低く、しかし絶対的な命令口調で叫んだ。
そのただならぬ気迫に、真野の足がピタリと止まる。
「いいか、野生の猛獣は、逃げる獲物を本能的に追う。全裸の人間がこの足場の悪い森で、四つ足の獣から走って逃げ切れるわけがない。背中を見せた瞬間、終わりだ」
「じゃあ、どうすんだよ! ここで戦うのか!? 素手で何ができるってんだ!」
真野が歯の根を鳴らしながら叫ぶ。
「真正面から殴り合うバカがいるか。……幸い、この場所の地形を利用できる」
鬼頭は周囲を見渡し、素早く指示を飛ばした。
「右手の斜面を見てみろ。岩肌が急に切り立っている。あそこの狭い窪みに背中を預ければ、少なくとも背後や左右からの奇襲を防げる。全員、あの岩壁に張り付け!」
鬼頭の的確な戦術指示に、全員が反射的に動き出す。
パニックに陥る前に明確な「行動」を指示されたことで、彼らの理性は辛うじて保たれた。
岩壁の窪みに身を潜めると、鬼頭は前方の開けた斜面に視線を戻した。
「次は迎撃だ。だが、武器がない以上、接近される前に奴らの足を止めるか、動きを制限するしかない」
鬼頭は隣にいる郷田の肩を叩いた。
「郷田。さっき罠を作った時みたいに、お前の眼で見てこの斜面の地形の『流れ』はどうなってる? 獣が突っ込んでくるとしたら、どこを通る?」
世界中の過酷な環境で山を切り拓いてきた郷田は、目を細めて眼下の地形を睨みつけた。
『……斜面の傾斜角。地表に露出した木の根の張り方。土の柔らかさ……』
「あっちの右側の斜面は足場が脆い。獣の本能なら、無意識に避けるはずだ」
郷田は前方の、比較的平坦な獣道を指差した。
「大柄な獣が速度を落とさずに突っ込んでくるとしたら、必ずこの窪んだ動線を通って、一直線に向かってくる。ここが一番『走りやすい』からな」
「ビンゴだ。なら、そこが奴らの『キルゾーン』になる」
鬼頭はニヤリと笑うと、周囲の植物に目を向けた。
「郷田、あの獣道を横切るように伸びてる、あの太いツル草が見えるか?」
「ああ、太さ数センチはあるな。簡単には千切れねえぞ」
「あいつを、この手前の倒木にピンと張って結びつけろ。足元スレスレの高さだ。獣が勢いよく突進してくれば、あそこで必ず足を取られて体勢を崩す!」
「なるほど、簡易的なワイヤートラップってわけか。任せとけ!」
郷田が低い姿勢のまま飛び出し、指定されたツル草を力任せに引っ張り、倒木にしっかりと結びつける。
地形を読むプロと、戦術のプロ。二人の知識が見事に噛み合った瞬間だった。
『……すげえ。極限状態の中で、瞬時に戦闘の算段を立てやがった』
岩壁に張り付いていた東が、震えながらも感嘆の息を漏らす。
「よし、これで第一関門はできた。だが、これだけじゃ奴らを倒せない」
トラップを仕掛けて戻ってきた郷田の横で、鬼頭が傍らの重い岩を拾い上げ、舌打ちをした。
「足止めしたところに、致命傷を与えなきゃならない……!」
***
『ガサガサッ!!』
トラップの設置を終えた直後、数十メートル先の茂みが大きく揺れた。
「……来るぞ」
九条が低く呟く。
咆哮が、先ほどよりもはるかに近い距離で森の空気を震わせた。
小動物の罠に続き、迎撃のワイヤートラップ。
二つの準備を終えた彼らの前に、未知の猛獣の巨体が、木々の間からついにその姿を現そうとしていた。




