第37話:巨大狼の夜襲とキルゾーンへの誘導
建国元年、本格的な冬。
夜。容赦ない猛吹雪が、新居住区のレンガ壁を激しく打ち付けていた。
気温は氷点下を大きく下回っているはずだが、オンドルの熱が巡る屋内は、春のように暖かく保たれている。
先住民たちは、その奇跡のような暖かさに身を委ね、平穏な眠りについていた。
だが、村の外縁部に設けられた監視塔では、極度の緊張が張り詰めていた。
「……グルルルルルッ……」
地を這うような、重く低い唸り声。
それは吹雪の音にかき消されそうになりながらも、確かな『殺意』を持って暗闇から響いてきた。
見張りに立っていた先住民の若き戦士タラックは、手にした松明を掲げ、吹雪の向こう側に目を凝らした。
そして、全身の血の気が引くのを感じた。
暗闇の中に、無数の「黄色く光る眼」が浮かび上がっていたのだ。
一つや二つではない。数十という単位だ。
吹雪の切れ間から一瞬だけ姿を現したその獣は、彼らが知る通常の狼の倍近い体躯を持っていた。肩までの高さが人間の胸ほどもある、灰褐色の体毛に覆われた怪物。
「マ……マヒンガン……!(悪魔の狼)」
タラックの口から、絶望の混じった震える声が漏れた。
それは、古くから部族の伝承で語り継がれてきた、冬の森を支配する変異種の巨大狼。
飢えに狂った彼らは、豊かな食糧と人間の匂いが充満するこの新しい居住区を、「巨大な餌場」としてロックオンしたのだ。
タラックが警報の銅鑼(真野が急造した金属板)を叩き鳴らすよりも早く。
「チッ……ようやく来やがったか。待ちくたびれたぜ」
闇の中から、松明を持った鬼頭陣が姿を現した。
その顔には恐怖など微塵もなく、むしろ「自分のオモチャを試す時が来た」と言わんばかりの、残忍で獰猛な笑みが貼り付いていた。
「『Musi(全員)』、『Eku(配置)』だ! テストケース『アルファ』、防衛戦の開始だ!」
鬼頭が覚えたばかりの現地語の単語を大声で放つ。その短い単語と身振りによる確かな指示を受け、待機していたタラックたち防衛部隊の若者たちが、一斉に所定の位置へと散っていく。
***
「ウォォォォォォォンッ!!」
群れのリーダー格と思われる一際巨大なマヒンガンの遠吠えを合図に、数十頭の怪物が一斉に居住区へと突撃を開始した。
その質量とスピードは、木製の柵程度なら一撃で粉砕するほどの威力を持っていた。
だが。
ドゴォッ! ギャンッ!!
居住区の外縁に突っ込んだ先頭の数頭が、暗闇の中で「何か」に激突し、凄まじい悲鳴を上げて転げ回った。
「ガハハハ! バカな犬ッコロどもめ。俺たちの『土木』を舐めんじゃねぇぞ!」
監視塔の上からその光景を見下ろし、郷田剛が腹の底から笑い声を上げた。
狼たちが激突したのは、郷田が若者たちを動員して掘り抜いた、幅三メートル、深さ二メートルの『塹壕(堀)』。
そしてその内側には、先端を鋭く削り、外側に向けて斜めに打ち込まれた無数の丸太――『逆茂木』が、まるでハリネズミのように群れを待ち構えていたのだ。
勢いよく飛びかかった狼たちは、計算され尽くした角度の逆茂木に自ら突き刺さり、自重で肉を裂かれ、堀の底へと落下していく。
「おっしゃ! 郷田、お前の作った壁、ええ仕事しとるやないかい!」
郷田の隣で、真野巧がニヤリと笑った。彼の手には、鋼の板バネと精巧なトリガー機構を組み込んだ、禍々しいフォルムの『特製クロスボウ』が握られている。
「当たり前だ! 動的な衝撃を完璧に分散させるように組んである。戦車でも来ねぇ限り、この防衛線は絶対に抜けねぇ!」
「ウォォォォォンッ……!」
先陣が壊滅したのを見た群れのリーダーは、直感的に「ここは突破できない」と悟った。
飢えた獣の知恵は、より弱く、より入りやすい場所を求めて群れを移動させる。
堀と逆茂木に沿って、居住区の周囲を迂回し始める狼の群れ。
それこそが、鬼頭の思い描いた完璧な「誘導」だった。
『そうだ、いい子だ。そこは痛いだろ? なら、こっちの「開いている道」へ来い』
鬼頭は、レンガ壁の内側から、狼たちの動きを冷酷に追っていた。
居住区の東側。
そこには、ただ一箇所だけ堀が途切れ、逆茂木もない「空白の数十メートル」が存在していた。
まるで、工事が間に合わなかったかのような、無防備な入り口。
獲物の匂いが最も強く漂うその場所に、マヒンガンの群れは我先にと殺到した。
***
「入ったで、鬼頭!」
通信管(伝声管)から、真野のくぐもった声が響く。
狼の群れは、開かれた入り口から居住区の内部へと雪崩れ込んだ。
だが、そこは居住区の中枢ではなく、高いレンガ壁と深い土塁に三方を囲まれた「行き止まりの中庭」だった。
「よし……。郷田、ゲートを落とせ!!」
鬼頭の怒号が響く。
「おうよ! カシャ、『Nisa(落とせ)』!!」
中庭の頭上に組まれた木組みの櫓。
そこに待機していた、土木作業のセンスに長けた先住民の女性・カシャが、郷田の拙い現地語の指示を受けて大きく頷き、太い麻縄を巻き付けた『滑車のストッパー』を思い切り叩き外した。
ギィィィィンッ! ドズゥゥゥゥンッッ!!!
天地を揺るがす地響きと共に、入り口の頭上に吊るされていた巨大な「トゲ付きの重厚な丸太の束」が落下した。
「ギャウンッ!?」
最後尾の数頭がバリケードの下敷きになり、そして、マヒンガンの群れの「唯一の退路」が完全に物理的に遮断された。
三方を高い壁に囲まれ、背後を分厚い丸太のバリケードで塞がれた空間。
それは、軍事用語で呼ばれる『絶対殺戮空間』の完成を意味していた。
「……グルルッ!?」
罠に嵌められたことに気づいたマヒンガンたちが、パニックを起こして周囲の壁に飛びかかろうとする。
だが、垂直に切り立ったレンガ壁と、その上に配置された防衛部隊の若者たちの槍が、彼らの脱出を一切許さない。
レンガ壁の上。
見下ろす鬼頭の顔は、氷のように冷たく、そして狂おしいほどの熱を帯びていた。
「さぁ、宴の時間だ。現代の『火の鳥』の味、たっぷりと味わわせてやるよ」
鬼頭の右手には、赤々と燃える松明が握られていた。
そして彼の視線の先、キルゾーンの地面には、雪に隠されるようにして、幾つもの「竹筒(指向性地雷)」が仕掛けられている。
鬼頭は、松明の火を、手元まで伸びていた細い麻紐(導火線)へと押し当てた。
ジジジジジジッ……!!
死のカウントダウンの火花が、飢えた獣たちの足元へと、凄まじい速度で吸い込まれていった。




