第36話:火薬の実験と冬の防衛線
建国元年、初冬。
吐く息が白く染まり始めた新居住区の広場では、これまでにない「活気のある声」が飛び交っていた。
「えーっと、『土』は……『Haki』だな。おいタラック、そこだ! ハキ、もっと深く掘れ!」
郷田剛が、手に持った植物紙の束――『単語帳』をめくりながら、泥だらけの若き先住民タラックに声を張った。
タラックは、郷田の口から自分たちの言葉が飛び出したことにパッと顔を輝かせ、「Urito(ウリト=良い、了解)!」と力強く頷いてツルハシを振り下ろした。
少し離れた水場では、東航平も面倒くさそうに単語帳を眺めていた。
「『水』が『Nbi』で、止めるのが『Poni』か。……おい、そこの姉ちゃん(ティオ)! ンビ、ポニだ! そのバルブを回して水を止めろ!」
「ンビ、ポニ!」
ティオが明るく復唱し、ガチャポンプのバルブをギュッと締める。
彼らの手に握られている植物紙の束。
それは、九条蓮が春から泥臭く収集し、この地域の東アルゴンキン語族特有の文法構造を解析したデータをもとに書き起こした『帝国暫定ボキャブラリー集』であった。
左側には日本のローマ字ルールで記された現地語の発音、右側にはその日本語訳が記されている。
『こちら側が一方的に日本語を押し付けるより、相手の言語プロトコルを解析して「ローマ字」という共通規格に落とし込み、俺たちがそれを使う方が遥かに学習コストが低く、エラーも少ない』
広場の端からその光景を眺めていた九条は、冷徹な瞳に満足げな光を宿していた。
第一秘書となったアナヒータに「ローマ字と音のリンク」を教え込んだことで、彼女をハブとして先住民側も文字の概念を理解し始め、現場での意思疎通の速度は指数関数的に向上していた。
「言語というOSが統一されつつある。これで労働力の処理速度はさらに……」
九条が自身のロードマップの進捗を確認していたその時。
ザッ、ザッ、ザッ……!
広場の入り口から、尋常ではない足音を立てて鬼頭陣が走ってきた。
その顔には、いつもの好戦的な笑みはなく、軍事のプロとしての極度の緊張感が張り付いていた。
「九条! 緊急事態だ。全員集めろ!」
***
完成したばかりのレンガ造りの会議室。
卓上には、鬼頭が森から持ち帰った「太いツル草のワイヤー」と、「ひしゃげた丸太」が投げ出されていた。
「……こりゃあ、酷ぇな。刃物でスッパリ切られたみたいになってるが」
郷田が顔をしかめながら、引きちぎられたワイヤーを手に取る。
「俺が仕掛けた獣用のスプリング・スネア(跳ね上げ罠)の残骸だ」
鬼頭は重々しい声で告げた。
「冬に向けて飢えた獣が降りてくるのは予想してたが……こいつは規格外だ。太さ数センチのツル草を力任せに引きちぎり、罠の支柱だった丸太を爪の一撃でへし折ってやがる。熊か、あるいは狼の変異種か……どのみち、普通の獣じゃねぇ」
その言葉に、部屋の空気が一気に凍りついた。
「このまま冬を迎えりゃ、完成間近の居住区ごと、村の連中が食い殺されるぞ」
『なるほどな。インフラを整え、食糧を蓄えた俺たちの村は、飢えた獣どもにとって最高の「餌場」にしか見えないというわけか』
九条はトントンと指先で机を叩き、思考を高速で回転させた。
「郷田。今日から土木工事の最優先タスクを変更する。新居住区の周囲をぐるりと囲むように『堀(塹壕)』を掘れ。その内側に、先端を鋭く削った丸太を外側に向けて打ち込むんだ。『逆茂木』だな。物理的な防衛線を構築する」
「おう、任せとけ。俺と村の若い衆の土方パワーで、絶対に越えられねぇ壁を作ってやる」
郷田が力強く胸を叩く。
次に、九条と鬼頭の視線は真野巧へと向けられた。
「真野、お前の工房の生産ラインに割り込みだ。強力な遠距離武器が要る。『クロスボウ』を作れ」
「あ?」
腕を組んでいた真野は、忌々しそうに眉間にしわを寄せた。
「クロスボウやと? アホ言え、アレは弓のしなりからトリガー機構まで、精密なパーツの塊やぞ。そんなもん急に言われても……」
「板バネの反発力と、旋盤による精密なトリガー機構なら、今の水力設備で作れるはずだ。違うか?」
鬼頭が挑発的にニヤリと笑うと、真野はピクッと眉を動かした。
「……ふん。まぁ、水力鍛造ハンマーで鋼の板バネを打ち出せば、反発力は人間の腕力を軽く超える。旋盤でトリガーのシアー(引っ掛かり)を削り出せば、暴発もせん確実な機構は組めるな」
真野の口角が、職人特有の不敵な笑みへと吊り上がる。
「オモロいやないかい。お前らがビビるような、装甲車でもブチ抜く悪魔のオモチャ、作ったるわ」
「頼むぞ。……俺も、冬に向けて『とっておきの牙』を仕上げる」
鬼頭の瞳の奥で、暗く、そして危険な炎が揺らめいた。
***
数日後。居住区から少し離れた森の開けた場所。
「よく見とけよ、お前ら。これが俺たちの『圧倒的優位』だ」
鬼頭の前に、九条、郷田、真野の三人が集められていた。
鬼頭の手には、竹の筒で作られた小さな容器が握られている。
秋から村人たちに指示し、集めさせていた糞尿や灰、腐葉土の山。
その『硝石丘』の中でバクテリアが分解と発酵を繰り返し、白い結晶――『硝石(硝酸カリウム)』が生み出されていた。
それに、木炭と、地質調査で得ていた硫黄を正確な比率で調合する。
「まさか、もう完成させたのか?」
九条の問いに、鬼頭は狂気じみた笑みを浮かべた。
「ああ。泣く子も黙る『黒色火薬』の完成だ。配合比率は完璧。だが、ぶっつけ本番で自爆しちゃ世話ねぇからな。ここで燃焼と爆発のテスト(試射)をやる」
鬼頭は竹筒を地面に置き、そこに細く撚った麻紐(導火線)を差し込んだ。
そして、離れた安全圏にある岩陰へと三人を下げる。
「耳、塞いどけよ」
鬼頭は導火線に火をつけ、素早く岩陰へと滑り込んだ。
ジジジジジジッ……!
導火線が火花を散らしながら、竹筒へと吸い込まれていく。
そして。
――ドゴォォォォォォォォォォォンッッ!!!
天地を揺るがすような轟音。
目も眩むような閃光と共に、爆心地にあった硬い岩が粉々に吹き飛び、大量の土煙と黒煙が冬の空へと立ち昇った。
周囲の木々が衝撃波で激しく揺れ、森にいた鳥たちがパニックを起こして一斉に飛び去っていく。
「…………!!」
岩陰から顔を出した郷田と真野は、ぽかんと口を開けたまま、言葉を失っていた。
「ガハハハハッ!! どうよ! これが化学の暴力だ!!」
もうもうと立ち込める硝煙の匂いの中、鬼頭は腹の底から笑い声を上げた。
「威力は申し分ねぇ! これを指向性地雷として、郷田の作った防衛線の外側に仕掛ける。堀と逆茂木で敵の侵入ルートを限定し、そこにこいつをブチ込む!」
鬼頭の脳内には、すでに完璧な殺戮の計算式が組み上がっていた。
『どれだけ巨大なバケモンだろうが関係ねぇ。俺が設定した絶対殺戮空間に誘導し、すべて肉片に変えてやる』
冬の冷たい風が、立ち込める硝煙を吹き飛ばしていく。
飢えた獣の牙から逃げるための生活は終わった。
彼らは自ら牙を剥き、自然界の頂点に立つための「鉄と火薬の要塞」を、この地に産み落とそうとしていた。




