第35話:生産の爆発とローマ字教育の本格化
建国元年、晩秋。
「……よし。乾いてるな」
新居住区の広場。天日干しのために並べられた木の板から、東航平は慎重に「それ」を剥がし取った。
パリッ……。
軽やかな音を立てて剥がれたのは、うっすらと黄ばんだ、しかし均一な厚みを持つ長方形の薄いシート。
煮込んだ植物繊維を石で叩いて徹底的にすり潰し、水槽に溶かして木枠で漉き、太陽の光で乾燥させたもの。
紛れもない『植物紙』の完成だった。
「おお……! 軽い! 薄い! しかも丈夫だ!」
東は歓喜の声を上げ、完成した紙を両手で持ってパタパタと扇いでみせた。
周囲には、製紙工程の肉体労働(叩きやすり潰し)を担当させられていたティオたち女性陣が集まり、不思議そうにその薄いシートを覗き込んでいる。
彼女たちにとって、それはただの「煮た草のゴミ」だったはずだ。それが、魔法のように真っ平らで美しい「何か」に生まれ変わったのだから、目を丸くするのも無理はない。
東は傍らにあった消し炭を拾い上げ、紙の上にスラスラと文字を書き込んだ。
『インフラ構築進捗:良好』
炭の粒子がしっかりと繊維に定着し、全く滲まない。
木の板に彫り込むのとは比べ物にならない、滑らかで圧倒的な筆記スピード。
「ふははっ……! はーっはっはっは!!」
東は狂ったように笑い出し、完成した紙の束を天に向かって掲げた。
『これでクソ重い石板や木簡からオサラバだ! データのアーカイブ化、ドキュメントの共有、マニュアルの作成……情報のインプットとアウトプット速度が、これで千倍に跳ね上がるぜ!』
「おい、ふくよかな姉ちゃんたち(ティオ)! お前らの仕事はこれから毎日コレだ! どんどん漉いて、どんどん干せ! 情報を制する者が世界を制すんだよ!」
言葉は通じないが、東の異様なテンションに気圧されたティオたちは、慌ててコクコクと頷き、再び繊維のすり潰し作業へと戻っていった。
***
同時刻、高台の工房。
――ズドォォォォンッ!! ズドォォォォンッ!!
大地を揺るがすような地響きが、一定のリズムで工房の周囲に鳴り響いていた。
「ガハハハハッ! 見たかコラァ! これが『機械の暴力』じゃボケェッ!!」
真野巧は、油と煤にまみれた顔で、狂喜の叫びを上げていた。
水車から伸びた極太の主軸。
そこに組み込まれた巨大な木製の「カム(歯車の一部が出っ張ったもの)」が回転するたび、テコの原理で数百キロもの重量を持つ鉄の塊が持ち上げられ、そして重力に従って金床へと叩きつけられる。
『水力鍛造ハンマー』。
真野が血を吐くような手作業で軸受けを削り出し、ついに組み上げた悪魔の動力機械である。
赤熱した鉄の棒を金床にセットした瞬間、落下してきた巨大ハンマーが一撃で鉄を平らに潰す。
ズドォォン!!
「よっしゃ次! テンポ遅れんなよ!」
真野の指示に合わせ、すっかり鍛造の助手が板についてきた先住民の若者が、潰れた鉄を素早く切り離し、冷水に放り込む。
ジュゥゥゥッという激しい水蒸気と共に完成したのは、家屋建築に欠かせない『カスガイ(コの字型の釘)』だ。
これまで、真野と助手が大槌を振り下ろし、大粒の汗を流して数十分かけて打っていた金属パーツ。
それが今や、数秒に一個という「異常なペース」で自動的に吐き出され、木箱の中に山のように積まれていく。
『たまらんわ……。疲労ゼロ、文句ゼロで、無限に数トンのパワーを出し続ける。手作業の時代は完全に終わったんや』
そして、真野の狂熱はそれだけでは終わらない。
彼は工房の奥へ視線を向けた。
ガチャン、シャコン! ガチャン、シャコン!
水車の回転動力を皮ベルトで分岐させた先。
そこには、複雑な木組みとカムによって構成された『水力織機』が鎮座していた。
ティオたちが手作業でひたすら紡ぎ溜めていた膨大な量の「糸」。
それが機械にセットされ、カムの回転によって縦糸が自動で上下に開き、その間を横糸が弾き飛ばされるように左右を往復する。
「トントン」と手作業で織るのとは次元が違う。
機関銃のようなスピードで、分厚く丈夫な布が、滝のように織り上がっていくのだ。
「……これで郷田のアホが作る要塞(家)の建材も、冬を越すための全員分の防寒着も、全部間に合う」
真野は、高速で躍動する二つの巨大機械を見つめながら、自らの成し遂げた「産業革命」の産声に酔いしれていた。
***
数日後。
郷田が突貫工事で組み上げた、レンガ造りの真新しい「会議室」。
長机の前に、九条蓮が静かに立っていた。
彼の前には、十数人の先住民の若者たちが、緊張した面持ちで座っている。
その中には、鋭い知性を持つ少女・アナヒータ、冴島の農法をいち早く理解したニカン、郷田の地質調査に同行したカヤの姿もあった。
「……配布しろ」
九条の短い指示で、東が若者たちの前に「植物紙」の束と、「消し炭(鉛筆の代用品)」を配っていく。
彼らは初めて見る真っ白で薄い紙に戸惑い、恐る恐る指で触れていた。
九条は、背後の黒板(木の板に黒い塗料を塗ったもの)に、白墨(石灰石)で大きく一つの記号を書いた。
『A』
「あ(A)」
九条がはっきりとした発音で口にする。
若者たちは顔を見合わせたが、最前列に座っていたアナヒータが、真っ直ぐに九条の目を見つめ返した。
「あ」
彼女は九条の口の動きを真似て、はっきりと発声した。
「そうだ」
九条は冷徹な顔をわずかに緩め、今度は紙と炭を指差した。
アナヒータはすぐに意図を理解し、手元の紙に、黒板に書かれた『A』という記号を不器用ながらも書き写した。
「良い頭脳だ。お前たちは、声という目に見えないものを、この記号(ローマ字)に置き換えるルールを学ぶ」
当然、九条の日本語による説明は彼らには理解できない。 だが、「音」と「記号」がリンクしているという法則性に気づいた先住民たちの瞳が、急速に知的な輝きを帯び始めたのを見て、九条は確かな手応えを感じていた。
『国を動かすのはインフラや機械ではない。それを運用する「人間のソフトウェア」だ』
九条は、集められた若者たちを見渡した。
『この先、蒸気、化学プラント、電気と、帝国のテクノロジーは加速度的に高度化していく。俺たち6人だけでは、到底全工程を管理しきれない。……だからこそ、現地の人間から「開発・研究(R&D)」を担う次世代のエリートを育成する』
九条が次に『K』と『A』を書き、「か(KA)」と発音すると、アナヒータだけでなく、カヤやニカンも必死に紙に書き写し始めた。
「焦ることはない。冬の間、みっちりと俺たちの『規格』に染め上げてやる」
紙という記録メディアの誕生。
機械動力による圧倒的な生産力。
そして、共通言語(ローマ字)による教育システムの稼働。
外では冷たい秋風が吹き始め、厳しい冬の足音が近づいていたが、狂気の建国メンバーたちが築き上げた「帝国」の基礎は、いかなる脅威にも揺るがないほど、強固に盤石なものとなりつつあった。




