第33話:生命の鼓動と、水汲み奴隷からの解放
建国元年、秋。
「よし! 養生は完璧だ! 堰を開けろォ!!」
郷田剛の腹底から響くような怒号が、秋の森に轟いた。
彼の手振りを合図に、泥と汗にまみれた先住民の若者たちが、一斉に木のテコを押し込み、堰き止めていた土嚢と丸太を引き抜く。
ドォォォォォンッ……!!
解放された上流の水が、うねりを上げて新設されたバイパス水路へと雪崩れ込んだ。
数日間かけて幾重にも叩き固め、カチカチに硬化した三和土の壁面は、濁流の強烈な水圧と摩擦を完璧に受け流す。
水は等高線に沿って緩やかに、だが圧倒的な質量と運動エネルギーを保ったまま、高台の工房へと向かって一直線に流れ下っていく。
「ハッハァ! どうよ、俺の計算通り! 一滴の漏れもねぇ美しい導水路だぜ!」
郷田は泥だらけの顔に白い歯を剥き出しにして、会心の笑みを浮かべた。
***
一方、高台の工房。 真野巧は、血の滲んだ包帯を巻いた両手を固く握りしめ、水路の出口に設置した木造の巨大な『水車』を血走った目で見つめていた。
ゴォォォォォッ……!!
地鳴りのような水音が近づき、ついに水路から白波を立てた水流が吐き出される。
水は、真野が緻密な計算のもとに組み上げた水車の羽根に、強烈な勢いで叩きつけられた。
ギギッ……ギィィィンッ! バシャァァァァッ!!
凄まじい水しぶきと共に、止まっていた巨大な水車が重々しい音を立てて回り始める。
回転のエネルギーは、極太の木製シャフトを通じて工房内部へと伝達されていく。
「……ブレんなよ。頼むから、ブレんといてくれ……!」
真野は息を呑み、工房内の心臓部――自らの血と肉を削ってヤスリがけした鉄の主軸とプーリー(滑車)を凝視した。
水車から伝わる暴力的なまでの回転トルク。
もし軸受けに数ミリでも歪みがあれば、一瞬でガタつきが生じ、木組みのフレームごと粉砕されてしまうだろう。
シュルルルルルッ……!
皮のベルトがプーリーを高速で摩擦する音が響く。
真野がヤスリで極限まで真円に近づけた鉄の主軸は、恐ろしいほどの静粛性と滑らかさで、見事にその強大な回転動力を受け止めていた。
「よっしゃァァァァァッッ!!!」
真野は両腕を天に突き上げ、獣のような咆哮を上げた。
「回った! 回ったで! 完璧や、ブレ一つないわ!!」
彼は歓喜のあまり、傍らに立っていた助手の若者の肩をバシバシと叩く。若者は言葉こそ分からないものの、親方の異様なテンションに気圧されながらも嬉しそうに頷いた。
『これで……これでようやく、俺の腕力が要らんようになる……!』
真野は震える手で、すでに組み上げておいた『水力旋盤』のクラッチレバーを引いた。 皮ベルトが駆動輪に噛み合い、万力に固定された鉄の円柱が、人間の手では不可能な超高速で回転を始める。
「見とけよ……これが『機械』の力や!」
真野は、固定台にセットした超硬度の鋼の刃のハンドルを回し、回転する鉄の円柱にゆっくりと押し当てていく。
――キィィィィィンッ!!
甲高い金属音と共に、火花と、カールした美しい鉄の削りカスが宙を舞う。 ヤスリであれほど苦労していた鉄の塊が、まるで木材のように、均一な厚みでスルスルと削り取られていく。
「ははっ……! ははははっ!」
真野の口から、狂気を孕んだ笑いが漏れる。
疲労も知らず、一定のリズムで、永遠に同じパワーを出し続ける機械の凄み。
あっという間に、寸分の狂いもない「真円の精密なシリンダー」が削り出されていく。
手作業の時代が終わりを告げ、彼らの文明が新たな次元へと跳躍した瞬間だった。
***
数日後。
居住区の広場では、先住民の若い女性・ティオが、大きな木桶を両手に下げて重い溜息をついていた。
『今日も、遠い川まで降りて水を汲まないといけないのか……』
村の生活において、最も過酷で、最も時間を浪費する労働。それが「水汲み」だった。 片道数十分の急斜面を、重い桶を抱えて一日に何度も往復する。足場は滑りやすく、少しでも気を抜けば怪我をする。 彼女の手は豆だらけになり、腰は常に痛みを訴えていた。
ふと広場の中央を見ると、見慣れない「鉄と木の柱」がポツンと立てられていた。
そのそばには、いつも気怠そうにしている男――東航平が、あくびをしながらしゃがみこんでいる。
『アズマは、いつも不思議な板を撫でているだけで、ちっとも働かない。今日は一体何をしているんだろう?』
ティオが不思議そうに首を傾げていると、東が彼女に気づき、面倒くさそうに手招きをした。
「おい、そこのふくよかな姉ちゃん。ちょっと来い」
当然言葉は通じないが、呼ばれていることだけは分かった。
ティオが小走りで近づくと、東は持っていたコップ一杯の水を、その「鉄の柱」の上部から流し込んだ(呼び水)。
「真野が削り出したシリンダーと、俺の計算した真空圧。これで上手くいくはずだが……」
東は独り言を呟くと、鉄の柱から突き出た長いレバー(柄)を握り、上下にギコギコと動かし始めた。
シュコッ……シュコッ……。
内部で皮の弁が空気を引く音が鳴る。
ティオは何をしているのか全く分からず、ただ瞬きをして見つめていた。
数回レバーを上下させた直後。
――ドバァァァァッ!!
鉄の柱の先(蛇口)から、澄み切った大量の水が、勢いよく広場の地面へと吐き出された。
「……えっ?」
ティオは目を丸くし、木桶を取り落とした。 水が、何もない広場のど真ん中から、まるで滝のように溢れ出ているのだ。
「よし、テストパス。完璧だな」
東は満足げに頷くと、レバーから手を離し、呆然としているティオを指差した。
そして、レバーを上下させるジェスチャーをする。
「ほら、やってみろ」
ティオは恐る恐る近づき、震える手でそのレバーを握った。
ひんやりとした鉄の感触。
彼女は東の真似をして、ゆっくりとレバーを押し下げた。
ドバァッ!
全く力を入れていないのに、信じられないほどの水が湧き出してくる。
面白くなって、ティオは何度も何度もレバーを上下させた。
ドババババッ!! ドババババッ!!
「あ……ああ……!」
足元に水たまりができるほどの豊富な水。
それを見たティオの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
もう、あの恐ろしい谷底へ行かなくていいのだ。
泥まみれになって斜面を這い上がり、重さで肩を引きちぎられそうになる苦痛から、完全に解放されたのだ。
「う……うわぁぁぁぁんっ!!」
ティオはその場に崩れ落ち、ガチャポンプの柱にすがりついて声を上げて泣き始めた。
その騒ぎを聞きつけて、他の女性たちや子供たちもわらわらと集まってくる。
そして、無限に湧き出る魔法の水を目の当たりにし、全員が悲鳴のような歓喜の声を上げた。
「マ、マホウだ……! アズマの魔法だ!!」
先住民たちは、東に向かって次々とひれ伏し、祈りを捧げ始めた。
彼らにとって、これはもはや理解の範疇を超えた神の御業だった。
「いや、魔法じゃなくてただの真空ポンプなんだけど……まぁいいか」
東はひれ伏すティオたちを気怠げに見下ろしながら、フッと口角を上げた。
『これで水汲みという膨大な無駄タスクは完全に自動化(インフラ化)された。彼女たちの余剰リソースは、別の生産ラインに回せる』
東は大きく伸びをすると、テントの方へと歩き出した。
『よぉし、俺の仕事は終わりだ。これで堂々と昼寝ができるぜ』
圧倒的なテクノロジーによる恩恵は、暴力よりも深く、確実な「支配」を生み出す。
狂気の建国メンバーたちがもたらす利便性に、先住民たちはもはや、彼らなしでは生きられない体へと作り変えられようとしていた。




