第32話:豊穣の兆しと、水路貫通の産声
建国元年、秋。
冴島陸は、新居住区の裏手に広がるテスト農場を見渡し、満足げに鼻を鳴らした。
「見事だ。事前の計算通り、見事なリターンだな」
彼の目の前には、幾何学的に整然と区画された畑が広がり、秋の日差しを浴びて黄金色に輝く穀物や、丸々と太ったカボチャ、そして豊かに実をつけた豆類が波打っていた。
かつての先住民たちの非効率な「三姉妹農法」を根本から再構築し、土壌改良と日照計算を徹底した成果が、今、圧倒的な「実利」として結実していた。
畑では、夏の嵐で自分たちの農地を失った先住民の若者や女性たちが、総出で収穫作業に当たっていた。
彼らの手には、鋭く削られた打製石器の石鎌が握られている。
「刈り取りは人海戦術で十分カバーできるな。だが……」
冴島が視線を向けた先では、九条蓮が腕を組みながら収穫のペースを測っていた。
そこに、工房から下ってきた真野巧が、不格好な木と鉄の塊を引きずって現れる。
「オイ九条。約束のモン、持ってきたで」
真野はドサリと、その重そうな器具を地面に置いた。
横長の木枠に、隙間なくズラリと鉄の歯が並べられた道具――『千歯扱き(せんばこき)』だ。
「ご苦労。これで農作業のボトルネックが解消される」
九条は冷徹な目で千歯扱きを一瞥し、頷いた。
「刈り取り(インプット)は先住民の余剰労働力と石器でどうにでもなる。だが、穀物を茎から外す脱穀作業だけは、手作業では絶望的に時間がかかる。だからこそ、お前のリソースを割いてでも、この『千歯扱き』だけはどうしても1台必要だった」
「わかっとる。せやけどな、俺の仕事は農具作りやないで。早よ動力が欲しいんや」
完全に地元の堺言葉――生粋の関西弁に戻った真野は、忌々しそうに自身の掌の豆を見つめた。
標準語を取り繕うのをやめた彼は、もはや一切の遠慮なく不満を口にする。
「こんなクシ一本一本、手作業で削り出しとったら日が暮れるわ。こっちの機嫌が保つのは、これが最初で最後やぞ」
「ああ、分かっている。だが、脱穀の効率化を見越して、屈強な男たちをすべて郷田の土木工事へ再配分している。これで水路の開通が大幅に早まっている」
九条の完璧なリソース管理に、真野は「チッ」と舌打ちしながらも、ニヤリと笑って工房へと引き返していった。
テスト農場では、冴島の指導を受けた若き先住民ニカンが、見よう見まねで千歯扱きに穀物の束を振り下ろしていた。
――ザッ、ザッ、ザザッ!
束を引き抜いた瞬間、パラパラと滝のように黄金色の実だけが分離して落ちていく。
今まで手作業で一つ一つむしり取っていたあの膨大な時間は何だったのか。
魔法のような道具の威力に、ニカンたち先住民は目を見開き、そして震える声で歓喜の雄叫びを上げた。
圧倒的な豊穣と、技術による支配。
九条たちが描いたロードマップが、確実にこの大地に根を下ろし始めていた。
***
一方、森の奥の斜面。
泥まみれのトレンチ(溝)の中で、郷田剛は荒い息を吐きながら、木の棒で水路の底を力強く突き固めていた。
「そら、休むな! もっと力入れて叩け! 隙間なく均等にな!」
ジェスチャーを交えた怒号に、先住民の若者たちも泥だらけになりながら必死に木の棒を振り下ろしている。
彼らが叩き込んでいるのは、砕いた石、粘土、そして石灰岩を焼いて作った消石灰を混ぜ合わせたもの――『三和土』だ。
上流の水を堰き止めている最後の巨大な岩盤。 それを砕くための特注ツルハシを真野に依頼してから、半日が経過していた。 だが、郷田はただ指をくわえて待っているような無能な現場監督ではない。
『どのみち、ただの泥の壁に上流の強力な水圧をブチ込めば、一瞬で洗掘(水流で削られること)されて水路が崩壊する。だから、ツルハシ待ちのこの時間を使って、掘り終わった区画の壁と底をコンクリ(三和土)で補強しとくんだよ』
「……遅ぇな。だが、そろそろだろ」
郷田が額の汗を拭ったその時、斜面を駆け下りてくる足音が響いた。
郷田が真野のもとへ走らせた先住民の若者だ。その手には、両手で抱え込むようにして、黒光りする鈍重な鉄の塊が握られていた。
「ハッ……! おうおう、大層なモン打ちやがって……!」
郷田は若者からそれを受け取ると、そのズッシリとした質量に思わず笑みをこぼした。
見た目は不格好だが、極端に分厚く、そして一切の妥協なく鍛え上げられた特注のツルハシ(というより、鋭角な大槌)。
真野の「絶対に砕けない硬度」への執念が、その重さからヒシヒシと伝わってくる。
「よぉし、下がってろお前ら! 破片が飛ぶぞ!」
郷田は大仰な身振りで若者たちを下がらせると、岩盤の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。
『見せてやるよ。俺たち土木屋の、意地と力学ってやつをな!』
足場を固め、全身のバネを使い、巨大な鉄塊を岩盤のひび割れに向けて全力で振り下ろす。
――ガァァァンッッ!!!
火花が散り、森の鳥たちが一斉に飛び立つほどの轟音が響いた。
真野の打った鋼の質量と、郷田の完璧なインパクト。
数秒の静寂の後、メキメキと嫌な音を立てて、巨大な岩盤に決定的な亀裂が走った。
ドゴォッ……!
岩盤が崩れ落ち、その隙間から、堰き止められていた上流の水がチョロチョロと顔を覗かせた。
「ウォォォォッ!!」
若者たちが歓喜の声を上げ、残りの岩も崩して一気に水路に雪崩れ込ませようとする。
だが、郷田は即座に両腕を広げて彼らを制止した。
「ストップ!! まだだ! まだ完全な通水はさせねぇ!」
郷田の鋭い怒声と血走った目に、若者たちはビクッと足を止める。言葉は通じなくとも、そのただならぬ気迫は伝わった。
郷田は足元の水路――先ほどまで全員で必死に叩き固めていた、まだ乾ききっていない三和土の壁面を指差した。
『バカ野郎。せっかく補強したとはいえ、塗りたての生乾きの状態にフルパワーの水圧をかけたら全部洗い流されちまうわ』
郷田は自ら泥だらけになりながら、岩盤付近のまだ補強が終わっていない箇所に余った資材をペタペタと塗りつけ、再び木の棒でガンガンと叩き固めるジェスチャーを見せた。
「いいか! ここから数日間かけて、この三和土をカッチカチに固める(養生する)んだ! そうすりゃ、どんな水圧にも耐えられる最強のコンクリート水路になる! さぁ、仕上げの作業だ、休む暇はねぇぞ!」
郷田の狂気じみた情熱に当てられ、若者たちも再び無我夢中で土をこね、壁を叩き固め始めた。
水路開通までの、最後のカウントダウンが始まっていた。
***
「ハァ……ハァ……ッ……クソがッ……!」
高台の工房。
真野は一人、凄まじい形相で鉄の棒にしがみついていた。
郷田たちが水路の養生(三和土の硬化)を行っている数日間。
それは真野にとって、来るべき「機械動力」を受け止めるための準備期間であり、地獄の手作業の総決算でもあった。
『水車が回っても、それを受け止める「軸受」がブレたら、動力が全部逃げてまう。極限まで真円に近い主軸と、滑らかなプーリー(滑車)が絶対に要るんや……!』
真野の手には、粗いヤスリ(細かい砂を固めた代用品)が握られている。
万力で固定した鉄の棒に対し、己の体重をかけ、ミリ単位の凹凸を削り落とす果てしない研磨作業。
ギィィ……ギィィ……。
嫌な金属音が工房に響き続ける。
すでに真野の両手の平は擦り切れ、マメが潰れ、柄にはべっとりと赤黒い血が滲んでいた。
「痛ぇ……手が、千切れそうや……」
荒い呼吸とともに、汗が顎からボタボタと滴り落ちる。
それでも、真野の手は止まらない。
『あと少しや。あと数日辛抱すれば、郷田の野郎が水を引いてくる。そうすりゃ……』
真野の脳裏には、すでに組み上がった完璧な『水力旋盤』の姿があった。
人間の手では不可能な速度とパワーで鉄を削り出す、機械の母。
「待っとれよ……。この手作業が終わったら……俺はもう、二度とこんな原始的な真似はせん。全部……全部『機械』にやらせたる……!」
冬までに先住民の家屋を建てなければ、凍死をゼロにする事が難しい。
時間に余裕など微塵も無い事を理解している真野は、血まみれの手でヤスリを押し込みながら、狂気にも似た熱い炎を瞳に宿していた。
水路の三和土が固まり、水が工房に到達するまで、あとわずか。
手作業の時代の終わりと、狂気の産業革命の産声が、すぐそこまで迫っていた。




