第31話:手作業の限界と、狂気の土木工事
建国元年、秋。
新しく組まれたレンガ造りの会議室――とはいえ、まだ壁と屋根があるだけの簡素な空間に、建国メンバーたちが集まっていた。
卓上に広げられたのは、炭で真っ黒に書き込まれた羊皮紙の代用品、薄く削った木の板だ。
九条蓮は、その板を指先でトントンと叩きながら、冷徹な視線をメンバーに向けた。
「冬が来る前に、重工業の基礎を立ち上げる。これが絶対条件だ」
九条の声には、有無を言わさぬ響きがあった。
「現状の手作業ベースでは、到底この人口を維持できない。水車による回転動力の確保。そこから『水力旋盤』を組み上げ、最終的には『水力鍛造ハンマー』を稼働させる。このロードマップに遅れは許されない」
『冬の寒さと飢えは、ただの自然現象じゃない。物理的な暴力だ。それを防ぐには、圧倒的な生産力で壁を作るしかない』
九条は、土木担当の郷田と、機械担当の真野を見据えた。
「ちょっと待てや、九条」
腕を組んでいた真野巧が、忌々しそうに口を挟んだ。
その口調は、この世界に来てから取り繕っていた標準語ではなく、地元の堺で職人として生きていた頃の生粋の関西弁になっていた。
『東京の取引先相手に合わせて、ずっと標準語の仮面を被ってきたが……よく考えりゃ、命懸けのこの異世界で、今さら言葉の体裁なんか気にする必要あらへんよな。俺は俺の言葉で、最高のモンを作るだけや』
建国という途方もない計画を前に、真野は不要な見栄を完全に捨て去っていた。
「水車から旋盤を組むのはええ。俺も早よ手作業から解放されたいからな。せやけど、致命的なバグが一つあるぞ」
「なんだ」
「『定規』や。精密な機械を組むには、ミクロン単位の精度が要る。せやけど、今の俺らには『1ミリ』も『1グラム』も存在せん。共通の規格(度量衡)がない状態で、どうやって部品の互換性を出すっちゅうねん」
真野の指摘に、部屋の空気がピンと張り詰めた。
確かに、彼らはこれまで「大体の目分量」や「木の枝」をモノサシにしてやり過ごしてきた。だが、機械を作るとなれば話は別だ。
「……なるほど。国家としての絶対的な『基準』が欠落しているわけか」
九条は少しだけ目を細め、すぐに思考を切り替えた。
「なら、今ここで創るぞ。『帝国暫定・度量衡』の制定だ」
「創るって……どうやってだよ。原器なんかねぇぞ?」
東航平が気怠そうに首を掻く。
「俺たちの『記憶』と『身体』から逆算する。……東、お前の身長は正確にいくつだ?」
「あ? 確か健康診断で176.5センチだったが」
「よし。真野、東の身長を基準にして、そこから逆算して真っ直ぐな木の棒を削り出せ。それを当面の『暫定1メートル原器』とする。そこから等分してセンチとミリの目盛りを刻め」
「……なるほどな。人間の体をスケールにするわけか。しゃあない、それでやったるわ」
真野がニヤリと笑う。
「長さが決まれば、次は『質量』だ」
九条は今度は郷田を見た。
「郷田。真野が作った暫定1メートル尺を使って、内寸が正確に『10センチ四方の正六面体(1リットルの升)』を作れ。そこに真水をすり切り一杯入れた重さが、物理法則上、ほぼ正確な『1キログラム』だ」
「ハッ! 違いねぇ。水(H2O)の比重を利用するってわけか。そいつと釣り合う重さの石か鉄の塊を用意すれば、それが『暫定1キログラム原器』ってことだな」
郷田が手を叩いて喜んだ。
「最後は『時間』だ。東、水時計を調整して『1秒』の基準を作れ。振り子の等時性を利用してもいい。……これで、メートル、キログラム、秒(MKS単位系)が揃う。工作機械を作るための前提条件はクリアだ」
九条の冷徹なトップダウンによって、未開の大地に「物理の絶対基準」が産み落とされた瞬間だった。
***
度量衡の問題がクリアされ、議論は「動力の設置場所」へと移った。
「で、動力の要になる水車と炉だが」
郷田が太い腕を組んで口を開いた。
「手っ取り早く納期を優先するなら、川辺の低地に仮設の工房を建てて、直接水流のエネルギーを拾うのが一番早い。どうだ?」
「アホか! 却下や!」
真野が即座に、そして強烈に噛み付いた。
「川辺の堆積土なんぞ、ふかふかのスポンジみたいなモンやぞ! そんな軟弱地盤で数トンの『水力鍛造ハンマー』を稼働させてみい。三日で軸受けがズレて、工房ごと自壊するわ!」
「……チッ、言われてみりゃそうだな。土木屋として痛いところを突かれたぜ。地盤の『支持力』が足りねぇか」
郷田は頭を掻きながら、自らの提案を取り下げた。
「なら、どうする? 強固な岩盤があるのは、今の高台の工房周辺だけだぞ」
「だから、お前の出番やろが、土方ゴリラ」
真野がニヤリと笑い、郷田を指差した。
「……なるほどな。川から高台の工房まで、『導水路』を引けってか。上流の落差を利用して、等高線沿いに水を運ぶ。天然のエネルギーパイプラインってわけだ」
郷田の顔に、土木屋としての狂ったような情熱が浮かび上がる。
「おうよ。やってやるぜ。俺と村の若けぇ衆のパワーで、完璧な水路を貫通させてやる」
「決定だ。郷田は直ちに水路工事に着手しろ」
九条が二人の議論をまとめ、次に鬼頭陣へと視線を向けた。
「鬼頭。お前は別のタスクだ」
「あ? 俺は土木作業は専門外だぞ。プラントの図面でも引くか?」
「いや。冬に向けて『牙』の準備をしておけ」
九条の目が、危険な光を帯びる。
「冬になれば、間違いなく飢えた獣がこの豊かな村を狙って降りてくる。お前は村人を何人か使い、村の外れに『糞尿、灰、腐葉土』を集めた集積所を作れ。……分かるな?」
「……ハッ。なるほどな」
鬼頭は軍人特有の好戦的な笑みを浮かべた。
「土壌のバクテリアにアンモニアを分解させて、『硝石(硝酸カリウム)』を抽出するってわけか。……了解だ。冬までに最高の『黒色火薬』を調合してやるよ」
***
数日後。森の奥の斜面。
「オラァ! もっと深く掘れ! トレンチの角度が甘ぇぞ!」
郷田の怒号(当然日本語だが、気迫で伝わる)が森に響き渡る。
泥だらけになった先住民の若者たちが、木や骨のスコップを使って必死に斜面を掘り進めている。
郷田の指揮と、彼らの有り余る肉体労働力によって、導水路の泥の掘削作業は驚異的なスピードで進んでいた。
「ゴウダ! コレ、カタイ! ホレナイ!」
若者の一人が、泥にまみれた手で地面を指差して叫んだ。
郷田が駆け寄ると、そこには分厚く、そして巨大な「岩盤」が水路の行く手を塞ぐように立ち塞がっていた。
「……チッ、こりゃあ普通の石斧やツルハシじゃ歯が立たねぇな」
郷田は岩盤を蹴りつけ、忌々しそうに舌打ちをした。
「おい、誰か真野の工房へ走れ! 『絶対に砕けねぇ、極厚の特注ツルハシを今すぐ打て』って伝えてこい!」
***
高台の工房。
「あぁ!? 今すぐ特注のツルハシやと!?」
伝令に走ってきた若者からジェスチャー交じりで報告を受けた真野は、煤だらけの顔を引きつらせた。
「ふざけんな! こっちは農具(千歯扱きの歯)の製造で手一杯やぞ! なんで俺がこんなチマチマした鉄のクシを、一本一本手作業で削らなあかんねん!」
真野の手には、先日制定されたばかりの『暫定1メートル尺』が握られていた。
寸法と精度が数値化されたことで、彼の求めるクオリティはさらに跳ね上がり、皮肉にも手作業の負担が激増していたのだ。
「……しゃあない。おい、お前ら!」
真野は、助手の若者たちを身振り手振りで呼び寄せた。
言葉は通じないが、親方のただならぬ気迫に、若者たちは慌てて集まってくる。
真野は身振りを交えながら、彼らに重い大槌を持たせた。
そして、自分が赤めた鉄を金床に置き、小槌で「カンッ」と叩いて見せる。次に若者を指差し、大槌を振り下ろすジェスチャーを繰り返した。
『俺が叩いたら、次はお前らが叩く。交互にや。リズムを狂わせるなよ』
言葉ではなく、視線と動きで意図を伝える。真野が自らの小槌で金床をリズミカルに叩き始めると、若者たちもその意味を理解し、大きく頷いた。
カンッ! ズドォォン! カンッ! ズドォォン!
真野が小槌で叩く場所を指示し、その直後に若者たちが重い大槌を思い切り振り下ろす。『向こう槌』の連携作業だ。
職人の研ぎ澄まされた技術と、若者たちの無尽蔵の筋肉を総動員した、極限の手作業。
「ハァ……ハァ……アカン、もう腕が上がらん……」
数時間後、真野はボロボロになった両手を膝につき、荒い息を吐いた。
『手作業じゃ、これが限界や。どれだけ気合入れても、人間の筋肉じゃ出せるパワーに上限がある』
真野は、未完成の特注ツルハシを見つめながら、ギリッと奥歯を噛み締めた。
『早よ……早よ郷田、水を引いてこい。俺に『機械の動力』をよこせ……! じゃないと、俺の腕が先にイカれてまうわ!』
限界を迎える肉体と、それに反比例して肥大化していくテクノロジーへの渇望。
狂気の産業革命は、産声を上げる直前の、最も苦しい陣痛の只中にあった。




