第22話:地質調査と黒い石の発見
東と郷田が組み上げた「重力灌漑システム」は、テスト農場に劇的な変化をもたらした。
毎日安定して供給される水により、冴島が計算し尽くした幾何学的な畝から、力強い緑の芽が一斉に吹き出し始めたのだ。
季節は春から、少しずつ初夏の熱気を帯び始めていた。
村の労働力が水汲みから解放され、農作業が安定軌道に乗ったことを見届けた郷田剛は、次なるフェーズへと視線を向けていた。
『……木と土の家じゃ、限界がある』
郷田は、オンドルを備えた自分たちの拠点を見上げながら、太い腕を組んで思案していた。
『この世界には、天気予報も気象レーダーもねえ。いつ嵐が来るか分からない状況で、今の原始的な構造じゃ吹き飛ぶ可能性がある。俺たちのアジトだけじゃない、いずれ村全体を強固なインフラで覆わなきゃならねえ』
強固なインフラを築くには、強固な建材が必要不可欠である。
良質な石材、そしてレンガや漆喰の原料となる粘土と石灰岩。
それらを見つけ出さない限り、文明のスケールアップはあり得ない。
「よし、少し足を伸ばすか」
郷田は石斧と、麻袋の代わりになる獣皮の袋を背負い、未開の森の奥へと足を踏み出す決意を固めた。
***
未開の森を歩く郷田の後ろを、足音を忍ばせてついてくる影があった。
カヤという名の、先住民の青年だった。
彼は以前、テスト農場の水路工事で郷田の手伝いをした若者の一人だった。
他の村人たちが「重力灌漑」を魔法だと恐れおののく中、カヤだけは言葉も通じない郷田が、枝や水を使って水路の勾配を測る様子を、穴のあくほど見つめていたのだ。
『ただの魔法じゃない。あの人は、大地の声(形)を聴いているんだ』
カヤは郷田の地形の読み方に強烈な興味を持ち、今回も勝手に探索に同行してきたのである。
郷田も彼を追い払うことはせず、ただニヤリと笑って顎で「ついてこい」とだけ示していた。
言葉は通じない。だが、山を歩く分にはそれで十分だった。
「ん……?」
郷田が立ち止まるより早く、後ろを歩いていたカヤが郷田の背中を軽く叩き、足元の地面を指差した。
そして、今歩いてきた後方の土と、目の前の土を交互に指差し、首を傾げてみせる。
『色が違う。土が変わったぞ』という、カヤなりのサインだった。
「おお。よく気づいたな、お前」
郷田はカヤの頭をガシガシと撫で回し、親指をグッと立てて見せた。
カヤは郷田の言葉(日本語)は全く理解できなかったが、褒められたことだけは伝わり、誇らしげに胸を張る。
「そうだ。ここから先は『地層』が変わる」
郷田は独り言のように日本語で呟きながら、足元の露出した岩肌を分厚い手で撫でた。
そして、カヤの肩を叩き、少し先にある川沿いの崖(露頭)を指差した。
川の浸食によって削り取られ、地表に露出した崖の断面。
郷田はそこへ駆け寄り、崖の表面に走る何層もの縞模様を指でなぞって見せる。
そして郷田は、足元の土に木の枝で真っ直ぐな線を何本も引き、それが斜めに傾いている図(走向傾斜)を書き殴った。
その図と、実際の崖のシマシマを交互に指差す。
カヤには郷田が何を言わんとしているのか、すぐには分からなかった。
だが、彼が大地をただの「歩く場所」としてではなく、意味を持った「巨大な構造物」として見ていることだけは、その真剣な眼差しから強烈に実感した。
郷田の目は、スーパーゼネコンの現場監督として、世界中の過酷な開発現場を渡り歩いてきた「地質を読むプロの目」になっていた。
『……植生が少し変わったな。酸性の土壌を好むシダ類が多い。それに、あの地層の傾斜角。褶曲して隆起した堆積岩の層だ。……もしかすると』
郷田の脳内に、ある強烈な仮説が浮かび上がる。
彼は足早に崖の斜面へと接近し、むき出しになった岩肌を鋭い目で観察した。
所々に、灰色の泥岩に混じって、薄く黒ずんだ層が走っている。
『間違いない。泥炭の層じゃない。もっと深く、もっと古い時代の地層が隆起して押し出されてきている……!』
郷田はカヤに向かって、手で「シッシッ」と下がるように合図を送る。
意味を察したカヤが数歩下がると、郷田は背負っていた重い石斧を振り被り、崖の中腹、少し脆くなっている泥岩の層に向けて渾身の力で叩き込んだ。
ガァンッ!!
鈍い音と共に、岩肌に亀裂が走る。
郷田は何度も、何度も石斧を叩き込み、崖の表面を覆っていた数十センチの岩と土砂を崩し落とした。
ガラガラガラッ……。
土煙が舞い上がり、崩れた崖の奥から「それ」は姿を現した。
カヤは不思議そうに目をパチクリとさせた。
彼の目には、ただ崖の奥から、真っ黒で汚い石の層が出てきたようにしか見えなかったからだ。
だが、郷田は違った。
石斧を取り落とし、震える太い両手で、その真っ黒な壁に触れた。
指先が真っ黒に汚れ、独特の鉱物的な匂いが鼻を突く。
「……ハッ。嘘だろ、おい……」
郷田の口から、乾いた笑いが漏れた。
地表を数センチ削っただけで現れた、厚さ数メートルにも及ぶ、見渡す限りの真っ黒な地層。
『石炭だ。しかも、こんな地表近くに露出してるなんてレベルじゃねえ。露天掘りで無尽蔵に掘り出せる、特大の石炭層だぞ……!!』
現代日本では、石炭は地下数千メートルの深い坑道を掘らなければ手に入らない。
だがこの場所は、大地そのものが剥き出しのエネルギーの塊でできていたのだ。
郷田は黒く汚れた手で、カヤの肩をガシッと掴み、激しく揺さぶった。
その瞳は、未だかつてないほどのギラギラとした熱狂に満ちていた。
「おいカヤ! 分かるか!? ただの石じゃねえんだよこれは!!」
郷田は日本語で怒鳴るように叫ぶと、足元にあった枯れ枝を拾い上げ、手で「火が燃え上がる」ジェスチャーを大袈裟に作ってみせた。
そして、その真っ黒な壁をバンバンと叩く。
カヤは郷田の言葉を一つも理解できなかったが、その異常な興奮状態と、「火」を示す身振りから、ある一つの事実を本能的に悟った。
この黒い石の壁すべてが、巨大な「火の元」なのだと。
「これを見つけちまった以上、俺たちの計画は根本から変わる! ただのレンガ作りやインフラ整備なんかで終わる話じゃなくなった!」
郷田は崖の奥へと続く、無限の黒い地層を見上げ、天を仰いだ。
「森の木を全部切り倒しても追いつかないほどの、圧倒的で無尽蔵の熱だ。……これさえあれば、俺たちは鉄を溶かし、機械を動かし、この世界を根底から作り変えることができる!!」
木材という限界のある燃料から、石炭という化石燃料へのシフト。
それはすなわち、人類が自然のサイクルから逸脱し、圧倒的な暴力を手にする「産業革命」への片道切符であった。
郷田の豪快な笑い声が、初夏の森に響き渡る。
カヤはその笑い声に気圧されながらも、目の前の真っ黒な壁が、精霊の怒りすら凌駕するほどの恐ろしい力を秘めていることを肌で感じていた。
この時、郷田の脳内では、あるひとつの「点と点」が繋がりかけていた。
この広大な手付かずの森、豊富な河川、そして地表に剥き出しになった異常な規模の石炭層。
自分が今立っているこの土地の「正体」に、郷田が気づくのは、拠点へ戻って巨大な地図を描いた直後のことであった。




