第21話:エンジニアの執念と重力灌漑システム
冴島とニカンたちが作り上げた「テスト農場」の幾何学的な畝に、最初の種が蒔かれた。
しかし、芽を出させるためには、毎日膨大な量の「水」が必要となる。
「……というわけで東、郷田。水やりだ。川から畑まで、壺で往復頼むぞ。一日五回な」
冴島が事も無げに言ったその言葉に、東航平は鼻で笑った。
「馬鹿言え。誰がそんなバグみたいな非効率作業をやるか。俺のカロリー収支を赤字にする気か」
東は以前から郷田と綿密に打ち合わせていた地面の図面をバンッと叩いた。
「俺はキーボード(未来の制御盤)以外触らなくて済む環境を作る。今日から俺たちは、この『水汲み』というレガシーシステムを完全に破壊するぞ、郷田」
「へっ、待ってたぜ。基礎工事は俺に任せな」
郷田が太い腕を鳴らす。
ここに、東と郷田による「重力灌漑システム」の実装プロジェクトが本格始動した。
***
「郷田、まずは正確な高低差の取得だ! 水の動力は重力だけだ。勾配が狂えば、システムは死ぬぞ!」
「分かってる。トランシット(測量機)がねえんだ。アナログでいくぞ」
郷田が用意したのは、木の枝で作った即席の「下げ振り」と、くり抜いた木に水を張った「水準器」だった。
郷田が斜面の途中に立ち、水面が水平になったことを確認して、東に向けて枝で視線を送る。
「東! そこから俺の目線まで、高さは?」
「……約一・五メートル! 距離は十メートルだ! 傾斜角は……約八・五度!」
東が地面の土を指で払い、即座に暗算で数式を書き殴る。
川の取水口から、数百メートル離れたテスト農場までの高低差。管の摩擦係数を加味した流速と、水圧の計算。
『ベルヌーイの定理と、ダルシー・ワイスバッハの式……管の直径を一定と仮定した場合、この高低差なら流速は秒速二メートル前後。……いける。圧力損失を考慮しても、畑を潤すのに十分な流量は確保できる!』
東の脳内で、完璧な物理シミュレーションが完了する。
「よし、郷田! ルートの設計は完了だ! 次は管の実装だ!」
***
現代の塩ビパイプなど存在しないこの世界で、東たちが目をつけたのは、川辺に群生する『ケーン(北米原産の竹の一種)』だった。
彼らはニカンや若者たちを巻き込み、数百本のケーンを切り出し、石と棒を使って中の節をぶち抜いていく。
「東、ジョイントはどうする。ただ繋ぐだけじゃ、水圧で水漏れ(メモリリーク)を起こすぜ」
郷田の問いに、東は鍋でドロドロに煮込んだ黒い液体を指差した。
「松脂と、獣の脂、それに細かい砂と粘土を混ぜた特製のシーリング材だ! これで接合部をガチガチに固める!」
それから三日間。
過酷な肉体労働を極端に嫌うはずの東が、信じられないほどの狂気的なモチベーションで現場を駆け回っていた。
「そこ! 傾斜が少し急すぎる! 水圧が偏って管が破裂するぞ! 土を盛って角度をなだらかにしろ!」
「ニカン! ジョイントのシーリングが甘い! 水漏れはシステム全体への致命的なエラー(パニック)だ! もっと厚く塗り込め!」
『俺は……俺がサボるために、誰よりも死ぬ気で働く……!!』
「一時間の定型作業を自動化するために、百時間の残業(過労死寸前の労働)を喜んでこなす」という、ITエンジニア特有の狂気。
東のその異常な熱量に引っ張られ、ニカンたち先住民の若者たちも、訳が分からぬまま必死に竹を繋ぎ合わせていった。
『……水を、木の筒に通して運ぶ? 精霊の助けなしに、そんなことができるはずがない』
ニカンは内心でそう思いながらも、完璧な直線を引いて畑を作った冴島の仲間たちが、無意味なことをするはずがないと信じ、作業に没頭した。
***
そして、四日目の朝。
テスト農場の脇に、長く伸びた竹の管の終端が設置された。
「……よし。システム(配管)、オールグリーンだ」
東が泥だらけの顔で、満足げに頷いた。
目の下には真っ黒なクマができているが、その瞳は達成感でギラギラと輝いていた。
「カヤ! 上流のゲートを開けろ!」
郷田が、はるか遠くの上流で待機している若者に向かって、大声と身振りを使って合図を送る。 カヤがせき止めていた石と粘土の壁を崩し、川の水をケーンの管の中へと導き入れた。
……ゴゴゴゴゴッ。
管の中を、水が走るくぐもった音が響き始める。
ニカンたち若者と、遠巻きに様子を見に来ていた村の長老たちは、息を呑んで竹の管の先を見つめた。
『……来るわけがない。水が、あんな遠くから、勝手に登ってきたり下ったりするはずが……』
長老ワパナキが冷ややかな視線を向ける中、次の瞬間。
「チョロ……ジョバババババッ!!」
ケーンの先端から、澄んだ川の水が勢いよく噴き出し、テスト農場のために掘られた給水溝へと流れ込み始めたのだ。
「……っ!!」
ニカンは言葉を失い、その場に腰を抜かした。
長老ワパナキも、信じられないものを見るように目を剥き、杖を取り落とした。
「み、水が……! 水が、勝手に走ってきたぞ!」
「あんな遠い川から……誰も壺を持っていないのに!」
彼らにとって、それは完全に「魔法」であった。
一日数時間、何往復もして泥だらけになりながら運んでいた命の水が、ただ待っているだけで、無限に畑へと注ぎ込まれているのだ。
「……ふっ、ははははっ! 見たか! これが『インフラ』だ!!」
東は両手を高く突き上げ、狂ったように高笑いした。
「計算通りだ! 流速も水圧も完璧! これで俺は、もう二度とあの重い壺を運ばなくていい! 永遠にサボり続けられるんだ!!」
東はそのまま力尽きたように、泥だらけの地面に大の字に倒れ込んだ。その顔には、深い安堵と至福の笑みが浮かんでいた。
郷田は豪快に笑いながら、東の肩を軽く蹴った。
「お疲れさん。見事な設計だったぜ、エセ・エンジニア」
その様子を、少し離れた拠点から腕を組んで眺めていた九条が、静かに口角を上げた。
傍らに控えるアナヒータに、彼らの言葉でゆっくりと告げる。
「見たか、アナヒータ。あれが『技術』だ。労働を減らし、富を生み出す。……この国の土台は、こうやって築かれていく」
アナヒータは、自ら流れ込んでくる水と、歓喜に震えるニカンたちを見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
彼女の瞳には、かつてないほどの強烈な畏敬の念が宿っていた。
原始の森に、初めて『自動化されたインフラ』の脈動が響き渡った瞬間であった。




