両親の言葉
「お? どうしたんだ、グレイヴァ。こんな所で何をしてる」
家の隣りにある小屋から、父のグルドが汗を拭きながら現れた。作業用の小屋で、仕事をしていたらしい。
そして、その父も母と同じようなことを言う。
「え……あの……」
二人して責められると、グレイヴァはどうしていいかわからなくなる。
自分の非がわかれば謝りようもあるし、誤解であれば弁解できるのに。
だが、どうしたって責められる理由が今の自分には見当たらないし、何を誤解されているかもさっぱりなのだ。
「さっき、ここへ来るには早いわって、叱ったところなの」
「そうか。グレイヴァ、母さんの言う通りだぞ。早ければいいってもんじゃない」
「え……?」
グレイヴァの頭の中で「?」マークが無数に飛び交う。
「それにお前、ちゃんと約束を果たせてないだろ。父さんは、お前をそんな子に育てた覚えはないぞ。約束を途中で投げるんじゃない。できないなら、最初からするな」
グレイヴァも、約束を破るのは嫌いだ。自慢じゃないが、誰かとした約束を破られたことはあっても、自分から破ったことはない。
それなのに、こんなことを言われるのは心外だ。
……と言うより、父の言う約束の中身が思い当たらない。何のことを言ってるのだろう。
「さぁ、グレイヴァ。待ってる仲間がいるだろう。早く戻りなさい」
「仲間? 戻るって、どこへ?」
さっきからずっと、同じ質問を繰り返してるような気がする。
さらにここへ来て、不明な点が出て来た。父の言う仲間とは、誰のことを指しているのだろう。
「ほらほら、冗談ばっかり言っとらんで」
グレイヴァは、冗談のつもりなんかではない。どこに笑う要素があるのだろう。
「あのさ、父さん、母さん……」
ここは問題点を解決させよう。
そう考え、断固として聞き出すつもりのグレイヴァだったが、やっぱり両親はまともに取り合ってもくれない。
こちらの言葉を聞いているようで、聞いてくれていないのだ。
「じゃあね。気を付けて行くのよ」
「がんばれよ。だが、無理はするな」
取り付く島もない……とはちょっと違うのだが、どうしたって相手にしてもらえそうにない。
今はもう無理だな。全然会話になってないし。
グレイヴァはあきらめて、家を後にする。振り返ると、母が手を振っているのが見えた。
だが、戻って来い、という素振りではなさそうなので、ため息をつきながらグレイヴァは行き先も知らないまま、また歩き出す。
歩く横には、川が穏やかに流れている。家のそばを流れていた川だ。
そう思ってから、ふいに「あれ?」と思う。
同じ道を戻っているはずなのに。さっきは川沿いの道ではなかったはずだ。川は家の近くを流れていて、歩いていたのは草原の中を伸びる道だったはずで……。
さっきから、どうも頭が混乱することばかりが起きる。
「誰か教えてくれよ。これって一体、何がどうなってるんだ?」
問い掛けたところで、周りには誰もいない。
母は「戻りなさい」と言った。
父は「約束をまだ果たせてない」と言った。さらには仲間が待っている、と。
仲間が待っている所へ戻って、約束を果たす。
二人の言葉を足せば、そんな文章になる……のだろうか。それにしたって、それぞれの単語が誰を、もしくは何を指しているのかが見えてこない。
このままこの道を歩いて行って「戻るべき所」へ俺は戻れるのか? だけど、さっきとは道が違うよな、これ。誰かが待ってる? 誰かって、誰だ。どこで待ってるんだよ。俺はそいつと、どんな約束をしたんだ。いや、そいつと約束をしたとは限らないよな。仲間って……どんな奴がどれくらいの数、いるんだ。
どうしても思い出せないグレイヴァは、川べりに座って考えることにした。
どうせどこへ行くか、まだ見えないのだ。もし方向が違っていたら、歩くだけバカらしい。それに、急がなければいけない、という焦った気分にもなれなかった。
川の水を眺めていると、穏やかな気分になれる。水の流れはゆったりとして、おもちゃの舟でも浮かべたら、ゆっくりと流れてゆくだろう。
もっとも、ここからでは底が見えないのでかなり深そうだ。きっと頭の先まで潜っても、まだ足が底に着かないだろう。
水に手を入れると、冷たくて気持ちがいい。
「グレイヴァ……」
ふいに、自分の名前を呼ばれた気がした。女性の……少女の声だったような。
「グレイヴァ」
「え……?」
また呼ばれてグレイヴァが振り返ると、見覚えのない少女がすぐそこに立っていた。
太陽の光のような、金色の瞳。胸あたりまで伸びた、ふわふわしたくせのある赤い髪。その髪と同じ色をした衣装。
そのスカートは先の細い花びらを幾重にも重ねたような作りで、上下の向きが逆だが、風に揺れるとまるで炎が揺れているみたいに見える。
少女が誰なのか、グレイヴァにはわからない。見覚えがなかった。いや、見覚えがないような気がする……だけだろうか。
本当に知らないのか、自信がない。今までずっと、戻る場所だの、仲間だのと言われたが、一つとして思い出せていないせいだ。
実は彼女を知っていても、今だけわからないのかも知れない。どちらかと言えば、そういう可能性の方が高い。
相手は二度も、こちらの名前を呼んだ。確かめるように呼んだのではなく、明らかにグレイヴァが誰かわかった上で呼びかけて。
「あの……」
ごめん、誰だっけ。
グレイヴァは、少女にそう尋ねようとした。
失礼は承知だが、相手が誰かもわからないまま話をするのもいやだ。それに、その方が余程失礼だろう。
だが、少女はグレイヴァの問いに答える気はないらしく、グレイヴァの座っているすぐそばに座るとその頬に手をかけ、何かを思う間もなくくちづけた。
ちょっ、ちょっと待てっ。い、い、いきなり何するんだよっ。
他にも言いたいことはあるのだが、どれも言えない。しっかり口をふさがれているから。
それなら相手を突き飛ばすなりして、離すようにすればいいのだが、驚きすぎて硬直しているのか、身体が動かない。
つまりグレイヴァは、されるがまま、の状態である。
目を白黒させていたグレイヴァだが、急に身体の中が熱くなってくるのを感じた。特に胸の辺りが、どんどん熱くなる。尋常ではない熱さだ。
その感覚は、すぐに「熱い」を超えて「痛み」に変わる。
それは間違いなく、相手から伝わってくるもの。
身体が……胸の中が……焼けちまうっ。
頭のどこかで、同じような熱さを感じたことがある、という記憶がかすめた。しかし、一瞬のことで、すぐに今の状況に心を奪われる。
もう我慢できない。本当に胸の中が焼けてしまいそうな熱さを覚え、グレイヴァは必死に身体を動かした。
ぎこちなくも腕が動き、目の前の少女の身体を押し返す。
少女はあっけないくらい、すぐに離れた。だが、その反動で、グレイヴァのバランスが崩れる。
「うわあっ」
支える物が何もなく、グレイヴァは川の中へ落ちてしまった。
そんな状況でも、少女は手を差し出そうとはしてくれない。ただ見ているだけ。驚きの表情さえもない。
しかし、グレイヴァはそれが当たり前のように感じていた。彼女は自分をすくい上げてはくれない、と。
だが、彼女を薄情だとか、何もしてくれないことに対する怒りの感情が少しもわいてこなかった。
さっき手を入れた時、水は冷たかったのに、今はまるでその冷たさを感じない。水の感触さえ、定かではなかった。
川の水は流れているはずなのに、身体は流れずにどんどん底へ向かって沈んで行く。深いとは思っていたが、いつまで沈んでも底へ着かない。
その間も、やっぱり胸は焼けそうに熱くて。
川に落ちたことよりも、胸が熱いことの方が問題だ。無駄とわかっていても、手で胸を押さえてしまう。
熱い……熱いし、俺はどこまで沈むんだよっ。
次第に、目の前が暗くなってゆく。このまま胸が焼けて死ぬのと、溺れ死ぬのとどちらが早いだろう、などとバカなことを考えているうちに、目の前が完全に闇になる。
次の瞬間、まぶしい光が飛び込んできた。
☆☆☆
「うわあっ」
自分の声で、グレイヴァは意識を取り戻した。
夢を見ていたのだろうか。それにしては、本当に胸が熱い。痛い、と表現する方が正しいのか。さっきの夢そのままだ。
胸の痛む部分を抑えても、それで痛みが緩和する訳じゃない。
息が切れている。横たわった状態だが、どうして息が切れているのかわからない。
やっぱり、この痛みのせいだろうか。痛みに耐えるために息を詰め、止めるのに限界が来て息が切れて……。
色々と考えつつ、グレイヴァはゆっくり目を開けて周囲を見た。
すぐそこにアルテの顔があり、隣りにフィノとエルデンがいる。どれもひどく心配そうな顔だ。
「グレイヴァ、ぼくがわかりますか」
アルテがグレイヴァの頬に触れながら、そう尋ねた。
自分が夢を見て胸が熱くなり、息を切らしているという状況以外、グレイヴァにはわからない。眠る前のことを、一つも覚えていない。まだ思い出せない。
だから、そんなことを尋ねられても、何を下らないことを聞いてるんだろう、くらいにしか思えなかった。
「何て顔してんだよ、アルテ」
からかうつもりでそう言ったのだが、ひどくかすれた声しか出ない。そのことにグレイヴァ自身が驚いた。
息は切れているが、それくらいでこんなひどい声になってしまうのか。
「よかった……」
だが、アルテはグレイヴァの声を聞き、大きく息を吐いてそれだけつぶやくと、そのまま床に座り込んでしまう。
音を出してその様子を表現するなら、まさにへなへなといった状態だった。一気に力が抜けた、という様子だ。
フィノもエルデンも、座り込むまでには至らないが、それでも安堵したような顔になる。
その顔を見たグレイヴァは、まだ自分に起きたことを思い出せないので、余程うなされていたのだろうか、と思った程だ。





