ひどい頼み
ふとグレイヴァの視界の端に、リュリーの姿が映った。
昨日までとは違い、そこにいるだけで炎に包まれているような、不思議な空気をまとっているように見える。それに、身体のサイズがずいぶん違った。
「リュリー……?」
さっきの夢に出て来た少女は、リュリーと同じ顔、同じ髪、同じ衣装だった気がする。それなら、あれはリュリーだったのか。
グレイヴァの知っているリュリーは、魔物のせいではあるが弱々しくて覇気のない少女だった。夢とは言え、どうして今の姿のリュリーが夢に現れたのだろう。
夢の中で見覚えがあってないような気がしたのは、グレイヴァの知ってる彼女と今の彼女とでギャップがあったからだ。
「今、リュリーの夢、見てたぜ」
「そう……。もう大丈夫ね」
「何が?」
グレイヴァが聞き返すが、リュリーは笑みを返すだけ。
「あたし、まだカーミスのことが心配だから、戻るわね」
アルテ達にそう告げると、リュリーは姿を消した。
「さて、魔法は解けた、と思っていいのかな。だったら、次は私の出番ということだが」
シュプルングにリュリーの姿は見えないし、彼女が何をやっていたのか知るべくもない。
だが、グレイヴァが意識を取り戻した、ということは、魔法がうまくいったということ。
「ええ。もう人間の領域です。お願いします」
「何のこと言ってるんだよ、アルテ」
「後でゆっくり説明します。今は早く元気になってください」
そう言って微笑むアルテは、グレイヴァがこれまで見た中で一番ほっとしたような表情をしていた。
同時に、泣きそうにも見えて。
アルテがこんな顔するのって……俺のせい? けど、何があったんだ?
意識を取り戻す前のことを考えようとするグレイヴァだが、シュプルングに脈をとられたり身体のあちこちを調べられているうちに痛みもほとんど消え、やがて睡魔に襲われる。
結局、何も思い出せないまま、再び眠ってしまった。
☆☆☆
目を開けると、グレイヴァは白くて何もない空間を漂っていた。
天井も床もない。身体が宙に浮いている。遠近感のない所を見ていると、ますます自分の体勢がどうなっているのかわからなくなりそうだ。
目が痛くなりそうな白に、グレイヴァは目を閉じた。
「……グレイヴァ……」
泣きそうな声で、いや、たぶん泣いている声で、誰かがグレイヴァを呼んだ。
もう一度目を開けると、さっきの真っ白な空間はなくなっている。
グレイヴァがいるのは、湖のほとりだ。
湖を囲むようにして鮮やかな緑の森があり、湖とはまた違う青さで空が広がっている。白いのは、空に浮かぶ雲くらいのものだろうか。とても穏やかな景色だ。
グレイヴァは、そんな場所で横たわっていた。少し目線を動かすと、すぐそばに誰かが座っているのが見える。
どうやらその誰かが、グレイヴァの名前を呼んだらしい。
「アージュ……?」
グレイヴァのそばに座っているのは、アージュだった。
夢の妖精の彼女が、グレイヴァと同じ大きさですぐそばにいる。ということは、ここはグレイヴァの夢の中なのだ。
だが、いつもと様子が違う。
いつもなら元気いっぱいのアージュが、今は涙を流していた。
その目は、今泣き出したものではない。長時間泣いていたのだとわかるくらい、目や目の周辺がすっかり赤くなっていた。
「どうしたんだ、アージュ。何かあったのか? また魔物が襲って来たとか」
そんなアージュの様子に驚いたグレイヴァは、慌てて起き上がった。
「ううん、違うの。あれから夢の妖精の世界では、魔物は現れてないわ」
ぐずぐずとしゃくりあげながら、アージュは首を横に振った。
「じゃあ、どうして泣いてるんだよ。俺の夢の中で、泣いたことなんてなかったろ」
元気で。自由気ままで。マイペースで。
魔物が現れた時は、もちろん恐怖の表情を浮かべていた。だが、それ以外ではいつも笑っていて、たまにいたずらっこな顔をしていて。
「ごめん……ごめんね、グレイヴァ。ごめんなさい……」
「何を謝ってるんだよ。何か悪いことしたのか? 俺の顔を見て、そんなに泣くなよ」
相手が妖精でも、姿は自分と同世代の女の子。男の子であるグレイヴァは、多分にもれず女の子の涙というものが苦手だ。
訳もわからずに泣かれると、自分が何かひどいことをしたのでは、とつい考えてしまう。
「あたし達、グレイヴァを大変なことに巻き込んじゃって。それなのに、あたし達はまだ、あなたにひどいことをお願いしようとしてるの……ごめんなさい」
そんな説明では、グレイヴァに「理解しろ」と言っても無理だ。
「あのさ、アージュ。もうちょっと落ち着いて話してもらえないか。俺、どうも記憶があいまいで、今まで何かあったか、いまいち思い出せないんだ」
こんな時、アルテなら不器用ながらもグレイヴァよりはうまく相手の気をそらせて、話をさせることができるだろう。そこはやはり、長く生きている人間の経験の差が出る、というものだ。
フィノなら、もっとうまくことを運べるだろう。いらないこともたくさん言うが、フィノならたくみに相手から話を聞き出せる。何せ、一番口が達者だ。
「なぁ、頼むから泣くなよ。魔物に遭った時だって、そこまで泣いてないだろ」
「うん……ごめんね」
「謝るのは、話が済んでからだ」
そうグレイヴァに言われ、アージュは小さくうなずいた。
グレイヴァは、彼女の頬に流れる涙をそっとぬぐう。思った以上にやわらかい肌に、少しどきりとした。
「目的も何もわからないけど、魔物が妖精達を襲って力を奪って……たくさんの妖精があちこちで困ってる。仲間を助けてって、妖精達はあなたに頼んだわ」
「うん。この旅を始めて、二ヶ月半くらい……もうちょっと経ったかな。で、それが何だよ」
今更ながらに旅を始めるに至ったいきさつを語られても、先が見えない。
「本当はとても危険な旅をさせているのかも知れないって、今頃わかったの。だって……妖精を襲った魔物が、人間であるグレイヴァまで襲ってきたんだもの」
「えーと……あ、そうだったな」
どうも実感がわかない。ここが夢の中、というせいなのか。
死にかけた魔物が部屋へ入って来て、襲い掛かってきた。そう言えば、自分はあの時に刺されたのではなかったか。
「グレイヴァが死にかけて……それを知った時、あたし達、心臓が止まるかと思ったわ」
「……え? 俺って、死にかけてたのか?」
ここにフィノがいれば「実感がないにも程があるわよ」などと言っているだろう。
だが、グレイヴァにしてみれば、魔物に襲われて気を失い、次に目を覚ましたらアルテ達が安心したような顔をしていた、という程度にすぎない。
とは言え、アルテのあの様子を改めて思い出せば、自分が命を取り留めたことに対する安堵の状態だったのだと悟る。
「だけど、火の妖精リュリーのおかげで、グレイヴァは息を吹き返した。あたし達はそのことにすっごく喜んだけど……同時にわかったの。グレイヴァをとても危険な旅に出してしまったんだって。でも……でもね」
アージュの青い目から、また涙がこぼれた。
「助けてほしいの。あなたにも害が及ぶってわかっていても、妖精達を助けてほしいの。ごめんね。ひどいこと、頼んでるよね。グレイヴァまで命を奪われそうになったっていうのに、まだこんなことお願いするなんて、勝手よね。わかってる。わかってるけど……」
「アージュ、泣くなってば。俺の夢の中で、そんなに泣かないでくれ」
言いながらグレイヴァは、アージュを抱き締めた。
自分でも驚く程、ごく自然に。
「だって……だって、グレイヴァは普通の人間で、こんなことに関わらないで普通に生きて行けるはずだったのに。アルテだって、フィノだって……」
最後の方は、もう言葉になっていなかった。
アージュはグレイヴァの胸の中で、ひたすら泣き続ける。その姿は、背中に羽があっても人間の少女とまるで変わらない。
アージュを抱き締めながら、グレイヴァは色々なことを思い出した。
旅を始めるきっかけになったたんぽぽの妖精ウインデや、行く先々で会った妖精達。そして、死にかけた時に見た夢。
あれが夢、と呼べるのかはともかく、夢の中で父と母が現れて口にした言葉。
その時には思い出せなかった、戻る場所、仲間。約束。
今は、何かが弾けるようにして、全てがわかった。
自分の生きる場所へ戻り、アルテやフィノと一緒に妖精を助ける。
それがグレイヴァのやることだ、と二人は言っていたのだ。
両親が「仲間」と言ったのは、アルテやフィノだけでなく、妖精達も込みで言ったのだろう。
ウインデに頼まれて承諾した時、約束という言葉は使っていない。
だが「助けてくれ」と頼まれて「わかった」と引き受けたのだから、妖精を助けなければ彼女の言葉を拒絶したことになってしまう。
それはつまり、約束を破るのと同じこと。
ここへ来るのは早すぎる、と母に叱られた。死にかけた時に見た夢だから、あそこは実は死の国への入口だったのかも知れない。
だから、母は叱ったのだ。死ぬのは早すぎる、と。
父は、死んでしまったら約束が守れないから戻れ、と言った。できない約束ならするな、とも。
約束した以上、妖精を助ける旅を続けろということだ。
「アージュ、俺……バカなんだよ。フィノにもよく言われるけどさ」
「……え?」
アージュが不思議そうな顔で、グレイヴァを見た。
「バカだから、死にかけたとか言われても、よくわかってないんだよ。危険だとかも」
邪魔された腹いせか、殺されかけた報復か。
魔物は、グレイヴァを殺すつもりで現れた。
あの時はさすがに焦ったし、怖いとも思った。追い詰められもした。自分に反撃できる力があれば、と遅すぎる後悔もして。
だけど、こうして夢の中とは言え、自分は元気に話をしている。今のグレイヴァにすれば、喉元過ぎれば……なのだ。
だから、自分でバカと言ってしまう。フィノは、今頃自覚したの? なんて突っ込むだろうが。





