重荷と逃げ道
ふいに悪寒が全身を覆い、グレイヴァはとにかくそれだけを口にする。
あとはもう、何か言いたくても言葉が出てこない。思考力がどんどん落ちてきているのが、自分でもはっきりわかった。
「グレイヴァ? グレイヴァ! 目を開けてくださいっ」
アルテが遠くで叫んでいる。彼の言葉で、自分が目を閉じたらしいとグレイヴァはのろのろと認識した。
だが、もうそこまで。
全てが、闇の中へ溶け込んでゆく。
「アルテ、グレイヴァをベッドの上に乗せて。フィノ、父さんを呼んできて」
グレイヴァが目を閉じたのを見て、エルデンがすぐに指示を出す。
アルテがグレイヴァを抱えてベッドへ乗せると、エルデンは急いでグレイヴァの胸をはだけた。
やはり、そこに傷跡はない。だが、刺された部分に手を当てると異様に冷たかった。
「影響を受けてるのは、外じゃなくて内側なんだわ。あの剣は魔力を流すためのパイプだったのよ。どんどん冷たくなってる。……これじゃ、昨日と逆じゃないっ」
あれだけ高熱に苦しめられたグレイヴァが、今度は低体温になっている。顔がどんどん青白くなって。
このままだと、身体の全ての機能が低下し、やがては死に至る。
フィノに引っ張られて、シュプルングが部屋へ入って来た。
「何があったんだ。グレイヴァがまた倒れたと聞いたが」
「魔物が魔法で……内側から攻めてるのよ」
娘の言葉がわからず、それでもシュプルングはすぐにグレイヴァを診察する。
「脈が弱まってる。体温もかなり低下してるな。早く温めないと」
「無理よ。外側を温めても内側が冷たくちゃ、体温は上がらないわ」
「しかし……どうすればいいんだ。私ができることはするが、魔法を解くことは無理だぞ」
シュプルングは医者だが、母のデルナウと同様に魔法使いではない。どんな名医でも、魔法は専門外だ。手が出せない。
「ぼくがやります」
「アルテ?」
部屋にいる誰もが、アルテを見た。
「魔法には、魔法で対抗するしかありません。凍らされるなら、それを溶かすまでです」
「簡単に言うけど、自信はあるの? 失敗したら……」
魔物の魔力の方が強ければ、グレイヴァは確実に死に至る。アルテの魔力が勝っても、強すぎる力を送り込めば、それはそれでダメージになってしまう。
ただでさえ、今のグレイヴァは昨日のことがあって、体力が大幅に落ちている。大きなダメージを与えてしまうと、助けるはずが逆にグレイヴァの生を危うくしてしまうのだ。
「わかっています。ぼくには医療の経験はありませんが、やるしかないでしょう。こうしている間にも、グレイヴァは死に向かっているんです。迷っている暇はありません」
アルテは、火の魔法の呪文を唱え始めた。
魔物が冷気を送り込んだのなら、こちらは熱気を送り込んで氷を溶かすことになる。グレイヴァの心臓は動いているから、完全に凍り付いた訳ではない。
まだ間に合う。
「アルテ」
ふいに声をかけられ、アルテは呪文を唱えるのを中断した。
顔を上げると、いつの間に来たのか、リュリーが目の前にいる。
昨日とは比べものにならない程に、彼女の周りには生命力のオーラがあふれていた。グレイヴァの力と、かまどの火のおかげだろう。
「へぇ、何だか昨日とは別妖精みたいよ」
「元気になったのね、リュリー。よかった」
その姿に、エルデンもほっとする。
「ええ、あなた達が火を燃やし続けてくれたおかげよ。カーミスもずいぶん回復してきてるわ。もう半日もすれば、あの子も完全に復活よ」
この中でただ一人、リュリーが見えてないシュプルングはきょとんとしている。だが、話は一応聞いているので、だいたいの想像はできた。
「あの魔物は、完全に消滅したわ。もしかして、あいつの気配を感じて来たの?」
フィノの言葉に、リュリーは小さく首を振る。
「いいえ、そうじゃなくて……火が必要だって声が聞こえたから。これって……」
リュリーは火を、火の魔法を感じて現れたのだ。
しかも、場所はエルデンの家の中。
まだ台所のかまどにいたリュリーは、魔法の呪文の長さに不安を感じたのだ。
「あなた達を襲った魔物が、グレイヴァを襲いました。今、グレイヴァの心臓は凍りかかっているんです」
「なんてことっ」
リュリーはアルテの説明を聞いて、絶句する。
だが、すぐにアルテが何をしようとしていたのかを悟り、真剣な表情で彼のそばへ来た。
「その役目、あたしにさせて」
「リュリー……しかし」
「火の魔法を使うなら、あたしの方が適任よ。あなたがどんなに腕のいい魔法使いでも、あたしの方がうまくやれるわ。少なくとも、火に関しては成功率が高いわよ」
使う魔法が火であれば、火の妖精には人間がどんなに逆立ちしたって勝てない。
「もちろん、絶対とは……あたしにも言えない。あたしのせいでグレイヴァは弱っているし、危険がなくなる訳じゃないわ。でも、魔力も元に戻ったし……アルテよりは」
火の魔法のエキスパートであるリュリーが術を使う方が、グレイヴァの助かる可能性が高い。
「……わかりました」
アルテは小さくうなずく。
「リュリー、あなたにおまかせします。グレイヴァを……助けてください」
もしかしたらリュリーは、とんでもない重荷を自ら受け取ってくれたのかも知れない。
アルテはふと、そんなことを思った。
もしこの魔法が失敗すれば、アルテはずっと悔やむだろう。グレイヴァを助けられなかったことを。
だが、火の妖精がその役目を請け負ってくれて、万が一失敗したとしても。
火の妖精が助けられなかったものを、人間の自分が助けられるはずがない、と慰められるだろう。
そんな言葉を素直に受け取れないにしても、言い訳できる。わずかな逃げ道が残される。
リュリーはグレイヴァのためだけでなく、アルテのためにも引き受けてくれたのだ。
リュリーはそんなアルテの気持ちを知ってか知らずか、わかったと言うようにうなずく。
グレイヴァのそばまで飛ぶと、リュリーは身体の大きさを変えた。女の子が持つ人形のように小さかった身体が、人間の幼児くらいにまでなったのだ。
姿はグレイヴァと変わらない年頃の少女のままだが、全体の大きさは三、四歳くらいまでに。
大きくなったリュリーは、その顔をグレイヴァに近付けると、彼とくちびるを重ねた。
「こ、これで……グレイヴァが助かるの?」
こんな形で魔法が行われるとは思ってなかったエルデンは、こっそりアルテに尋ねる。てっきり、自分達と同じように呪文を唱えるものだと思っていたのだ。
「恐らく……直接魔力をグレイヴァの中に吹き込んでいるんだと思います」
「さすがに、この方法はあたし達じゃ無理よね。息は吹き込めても、魔力までは」
人間が人工呼吸をするように、妖精のリュリーは呪文を唱えることなく魔法を使っている。
「お願い、グレイヴァ。息を吹き返して」
エルデンが祈るようにつぶやいた。
☆☆☆
グレイヴァは、見覚えがあるようなないような道を、ただ歩いていた。
どこを見ても明るい草原が広がり、所々に家がぽつんとある。村と呼ぶには少し家が少ないようだが、グレイヴァはそんなことは気にしていない。
とにかく、歩く。
俺、どこへ行くんだっけ……あ、そうだ。家に帰るところだったんだよな。おいおい、どうしてそんなことを忘れてるんだよ、俺。
そんなことを考えながら、グレイヴァはある一軒の家を目指して歩いていた。
こじんまりとした家で、煙突からは細い煙が上がっている。その横に、家より一回り小さい小屋。すぐそばには、幅の広い川が流れている。
グレイヴァは「自分の家」に向かって歩いていた。
家のそばにあったのはこんなに幅の広い川ではなく、家のすぐ近くに花畑はなく、周囲に他の家がもう少し近い距離で建っていたのに。
目の前に現れた家が「自分の家」だと信じて、まるで疑いもしていない。
久し振りに帰って来たよなぁ……あれ? 今までどこへ行ってたんだっけ?
どうもさっきから、今までの自分の行動が思い出せない。妙だとは感じるものの、あまり深く考える気にもなれなかった。
一晩眠れば徐々にでも思い出すだろう、と楽観的だ。
「ただいま」
家に入って、とりあえずその言葉を口にしたが、なぜかひどく違和感を覚えた。
ただ「帰って来た」だけなのに。
中には、母のペールがいた。何か繕い物をしている。
それは見慣れた風景のはずなのに、涙が出そうになるくらい、ひどく懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
「母さん……」
「まあ、グレイヴァ!」
息子に呼ばれて顔を上げたペールは、驚いた表情でこちらを見た。
「どうしたの、あなた」
「え……どうしたのって」
そんなことを聞かれても困る。ただ家に帰って来ただけなのに、どうした、も何もない。
グレイヴァには、その質問の意味がわからなかった。
「駄目じゃないの。ここへ来るには、まだ早すぎますよ」
「早……すぎる?」
母の言葉の意味が、グレイヴァにはさっぱりわからない。
何が早いのだろう。それに、ここへ「来る」というのも、おかしな表現だ。自分の家は「帰る」所であって「来る」所ではない。
しかも、やんわりと言っているが、母はグレイヴァを叱っているのだ。
「母さん、早すぎるって何?」
質問を口にするが、母は答えてくれない。
「さぁ、戻りなさい」
「戻りなさいって、今家に戻って来たところだろ。これからどこへ戻れって言うんだよ」
「もう、わがまま言わないの。母さんをあまり困らせないで。小さな子じゃないんだから」
グレイヴァとしては、わがままを言ったつもりはまるでない。困らせるな、と言われてしまったが、困っているのはグレイヴァの方だ。
繕い物をテーブルの上に置き、ペールは戸口の方へとグレイヴァを送り出す。つまり「出て行け」という訳だ。
口にはしてないが、母の言動はどう考えてもそれしかない。
「ちょっと……母さん、ちょい待ち。俺、今からどこへ戻ればいいんだよ」
「あなたが今までいた所に決まってるでしょ。駄目よ、知らないふりなんかしてちゃあ」
ふりではなく、本当にわからない。
それでも母は取り合わず、グレイヴァは家の外へ追い出されてしまった。





