刺されたグレイヴァ
「そうね。グレイヴァもぐっすり眠ってるようだし、あの子も明日になれば熱は下がるわ。それにしても、どうしてリュリーはグレイヴァの身体の中へ入ったの? アルテやフィノもそばにいたんでしょ?」
「地面に落ちそうになったリュリーを、グレイヴァが手の平で受け止めた、という話はしましたっけ? たぶん、そういう過程があって、一番近くにいたからでしょう。もしくは……リュリーは選んだのかも知れませんね」
「選んだ? あなた達の中で、グレイヴァが一番いいって?」
「グレイヴァは、どうも妖精に好かれる質のようなんです。これまでにも、そういったことがよくありました。彼自身は何もしてないつもりですが、妖精は見抜きますからね」
「グレイヴァとは、まだほとんど話をしてないけど」
エルデンは立ち上がると、二人分のお茶を淹れ始めた。
「確かにあの子、自分の身体にはお構いなく動くわね。魔物に追われた時はともかくとして、あの熱で氷穴へ行くって言い出したり、いくつも氷の塊が落ちてくる中に手を差し出したり。普通、少しはちゅうちょするわよ。それなのに、目の前に魔物がいて、なおかつ妖精を助けようとするんだから。自分は二の次ってことかしらね」
「本人はそう思っていませんけれど。ちょっとひねくれたような物言いをする時もありますが、心根は優しい子なんです。だから、妖精達は彼を受け入れるんですよ」
「ふぅん。ものすごく賞賛するのね、アルテ」
お茶の入ったカップをアルテに渡しながら、エルデンは微笑んだ。
「え……そんなにふうに聞こえましたか?」
「うん。弟か息子でも自慢してるような感じ」
「弟はともかく……息子はやめてください」
早熟な人なら親子と言っても無理のない年の差、ではあるが……。
アルテの渋い表情に、エルデンはこらえきれずに笑い出した。
「あはは……失礼。だけど、この旅を続けるのって、大変じゃない?」
「ええ。でも、ここまで来たらやめられませんよ。行く所まで行かないと」
どこがゴールか、今はまだまるで見えない。
だが、もう走り出した。途中で放り出す、なんてことはできない。考える暇もないだろう。
「行けるわよ、あなた達なら」
「……エルデン?」
「グレイヴァは選ばれたって言ったけど、それならアルテだって同じだと思うわ。そうでなきゃ、こうして旅をしてるはずないもの。そして、選ばれた人はちゃんと目的を果たすものよ。できなきゃ、選ばれたりしないわ」
「そうでしょうか」
「あたしは、あなた達の前を通り掛かったに過ぎないわ。この先も通り掛かる人がいるでしょうけど、その時は遠慮しないで頼っちゃえばいいのよ。あなた達は選ばれた人かも知れないけど、だからって全てを背負い込むことはないんだから」
そう言って、エルデンはにっこり笑う。
背負い込んでいたつもりはなかったが、アルテは彼女の言葉を聞いて気分が軽くなったような気がした。
☆☆☆
額に触れられたことに気付き、グレイヴァはゆっくりと目を開いた。すぐそこに、人間の姿のフィノがいる。
「……フィノ?」
こういう場合、最初に顔を見るのはアルテのような気がするのだが、どうやらここにいるのはフィノだけのようだ。
「熱はほとんど下がったみたいね」
「リュリー達は……どうなった?」
「あれから姿は見せてないけど、最悪なことにはなってないはずよ」
「そっか。……アルテは?」
「昨夜、エルデンと一緒にずっと火の見張り番してたわ。結局、台所で夜明かししたんじゃないかしらね。二人して、ずっと魔法書の話で盛り上がってたし」
アルテは魔法書の話に限らず、実は色々と談義をするのが好きなのだ。
でも、グレイヴァでは魔法の話は無理だし、年齢の差もある。
フィノは道理を並べられるより感性重視だから、討論するところまでいかない。
だがここで、話の合う相手が見付かり、火の見張りという名目でずっと話し込んでいたのだ。
「フィノは、話に入らないのか?」
「だって、あたしは魔法書を読んで、魔法が使えるようになったんじゃないもん。あんな本の話なんかされたって……わからなくはないけど、つまんないわ」
「案外、追い出し食らったんじゃないのか?」
「もっと冷えるように、水ぶっかけてほしい?」
フィノは素早くグレイヴァの枕を引き抜くと、そのまま顔に叩き付ける。その枕を持ちながら、グレイヴァはゆっくりと起き上がった。
「朝からぶっかけられんのはいやだけど、飲みたい。腹も減った。俺、昨日の昼から何も食ってなかったんだっけ。薬だか栄養剤だかは、飲まされたけど」
はっきり言って、流動食ばかり、という感じだ。ちゃんと噛んで、飲み込めるような物を口にしたい。
「待ってなさい。エルデンかお父さんか、とにかくせんせー呼んで来てあげるから」
「うん」
勝手に起き上がってうろうろしていたら、昨日みたいに「おとなしく寝なさい」などと言われてしまいそうだ。
何せ、ここは医者の家。病人にはうるさい……いや、厳しい。
一度は起きたものの、まだ少し頭の芯がすっきりしない。グレイヴァはまた横になって、フィノが部屋を出て行くのを見ていた。
ベッドで寝られるって、やっぱりいいよなぁ。
昨日はそんな余裕がなかったので、グレイヴァは改めて自分が泊めてもらった部屋を見回す。広くはないが、安い宿屋よりはゆったりした空間だ。
ベッドが二つあり、自分の寝ているベッドの足下の方に出入口。脇には、人が出入りできそうな大きさの窓。隣りのベッドの脇にも、同じ大きさの窓がある。
外は太陽が光を降り注ぎ、今日も暑くなりそうな気配だ。
「……?」
部屋の空気が、ふいに変わった気がした。何がどうというのではないが、急に冷えたような。
隣りのベッドの方から、その気配は漂っている。
グレイヴァはそっとそちらに頭を向け、そのまま固まってしまった。
フィノが風が通るように開けていたのであろう窓から、昨日の魔物が入って来ていたのだ。
ミイラのような身体はほとんど全身が焼け焦げ、翼にはさらにたくさんの穴があき、つついたら簡単にその形が崩れてしまいそうだ。
それでも、生きている。
こいつ……あの時に死んでなかったのか。
気配が消え、その後の行方はわからなかった。探している余裕もなく、二人の魔法使いが炎の魔法を使ったのだから消滅したのだろう、と勝手にみんなが思っていたのだ。
魔物は、崩れそうな翼を振り上げた。片方はフィノの攻撃で朽ち果てている。
残った翼は最後の魔力を使ったのか、そこだけがはっきりと氷の剣に変化した。
「報復かよ。冗談じゃない。アルテーッ、フィノーッ!」
魔物の姿を見た時点で、グレイヴァはベッドの上に起き上がっていた。すぐに動けるように、身構える。
魔物はそんなグレイヴァの行動を気にする様子もなく、ゆっくりと近付いて来た。その無表情な顔が、余計に不気味だ。まだ獣のように威嚇された方がいい。
突然、魔物が氷の上を滑るように動き、グレイヴァに襲いかかった。意外な速さだが、驚いている暇はない。
魔物の突き出して来た剣を、ギリギリで避けた。
くそっ……ここには何か攻撃できるような代物、ないのかよ。
部屋には、魔物と対峙できるような物が何もない。投げられる物と言えば、枕程度だ。
剣とまではいかなくても、小さくてもいいからナイフかハンマーのような武器が欲しかった。アルテのような魔法も、フィノのような鋭い爪も、グレイヴァにはない。
相手は、剣を持っているのだ。素手では、たぶん反撃できない。いくら崩れそうな身体でも、相手は魔物なのだ。
「うわっ」
逃げているうちに、ベッドとベッドの間に落ちた。
人が一人くらい楽に入れる隙間があって、部屋を逃げ回ってベッドの上を跳ねてるうちに足をすべらせてしまったのだ。
魔物が狙いを定める。グレイヴァは後ずさりしようにも、ベッドが邪魔をして動けない。
「グレイヴァ!」
部屋の扉が開き、アルテの声が聞こえた。グレイヴァの叫ぶ声を聞いて、駆け付けてくれたのだ。
グレイヴァがほっとして、そちらの方を向いた。
「……!」
静かな衝撃を胸に感じ、グレイヴァが自分の胸に目を向けると、氷の剣が深々と刺さっている。
扉の開く音に気を取られたのはグレイヴァだけで、魔物はまっすぐグレイヴァしか見ていなかったのだ。
そして、目を離した一瞬の隙に、剣はグレイヴァの胸に潜り込む。
本当に、わずかな瞬間のできごとだった。
「この……まだいたのっ」
魔物に飛び掛かったのは、フィノだった。
グレイヴァに集中していた魔物はフィノの攻撃を避け切れず、その爪で背中を引き裂かれる。
現れた時から、すでにほとんど瀕死の状態だったのだろう。その一撃で、魔物は声も上げられずに灰となって消えた。
「グレイヴァ! しっかりしてください」
フィノより一拍遅れて、アルテがこちらへ走って来る。腕を掴まれ、身体を起こされた。
「大丈夫、グレイヴァ?」
アルテのさらに後ろから、エルデンも現れた。アルテしか見えてなかったが、ちゃんと一緒に来ていたのだ。
フィノは今度こそ魔物が消滅したか、部屋のあちこちを調べている。
魔物が消えた時点で、魔物の剣も一緒に消えていた。
翼が変化したものだから、魔物が死んでしまったことで同じように消滅したのだ。
「あ……れ? どう……なってるんだ……?」
剣が消えて、そこにあるはずの刺された跡がない。出血もない。着ている衣服に、剣の刺さった穴も血の汚れもなかった。
ついでに言えば、グレイヴァは痛みを全く感じなかった。
刺された時に衝撃を感じただけで、痛みは刺された瞬間も今も、まるで感じないのだ。
「はったり……だったのかな」
幻だったのだろうか。それなら、痛みがなかったのも納得できる。幻影に踊らされていたのかも知れない。
あの魔物は幻影ではなかったが……。
「グレイヴァ、本当にどこも痛くない? 無理しないで」
エルデンの口調が、いつもよりわずかに早い。かなり焦っている様子だ。
「して……ないって。血も……出てない……し……」
本当に痛くない。苦しくもないし、がまんもしてない。
でも……どこか変だ。なぜか、舌が回らなくなってきている。うまく話せない。
それに、だんだん指先が冷たくなってきた。
「さむ……い……」





