魔物の毒
「へへっ、ざまーみろ」
「油断しちゃダメよ」
フィノの声が飛ぶ。
「わかってるよ」
言いながら、グレイヴァは再び短剣を構える。
アルテは小さな竜巻を起こし、それを魔物に向ける。風に触れた魔物は、かまいたちに斬られ、グレイヴァの時と同じように消えた。
「アルテ、この前みたいに、火の魔法で一気にやっちまえば?」
「そうしたいところですが、ここでそれはまずいですよ」
周囲にあるのは、草や木。燃えやすいものばかりだ。
普通の炎ではないので、魔物だけを狙って燃やすことはもちろんできるが、火を見た植物は当然恐怖を感じるだろう。
ただでさえ弱っている時に、余計なダメージを与えることは避けたい。
「火だけが魔法じゃないわ。風で十分対処できてるでしょ」
さっきフィノにひっかかれた魔物が、リベンジとばかりにフィノを狙う。だが、フィノはあっさりとそれをかわし、ひょいと魔物の背中に乗ると、今度こそ相手に致命傷を与えた。
「きゃああっ」
小さな悲鳴が響き、そちらを見ると、あの幼い妖精を見付けた魔物がそちらへ飛び掛かろうとしているところだった。
妖精は、震えて縮こまるだけしかできない。
「やめろーっ」
グレイヴァがその前に飛び出し、魔物の牙が少年の左ひじ付近に食い込んだ。
さらには、グレイヴァの足下の地面が崩れた。体勢を立て直す間もなく、そのまま下を流れる川へと落ちて行く。
噛み付いて離れない魔物と一緒に。
「うわああっ」
あっという間に、グレイヴァの身体は川の中へ消える。
「グレイヴァ! フィノ、グレイヴァを」
「まかせてっ」
フィノは地面を蹴ると落下するに身をまかせ、川面に着く直前で巨大化しながら黒い翼を広げた。
その場には、アルテだけが残る。
さっきから、魔物の数は減っていない。どうやら、知らないうちにまた新手が来たようだ。
妖精の存在を感じて、別の場所にいた魔物が現れたのだろう。
「アルテ……」
小さな声が、魔法使いの名を呼ぶ。
「大丈夫、ここは何とかします。今のうちに早く逃げて」
「でも……」
「あなたが逃げないと、たぶん次々に魔物が来ると思いますよ。ぼくのことは心配いりませんから、早く」
アルテに言われ、妖精は姿を消した。たぶん、たんぽぽの中に隠れたのだろう。
「さて。どれだけいるのか知りませんが、遠慮なく片付けさせてもらいます」
魔法使いの瞳に、力がこもった。
☆☆☆
自分の身体がどういう状態になっているのか、把握できない。把握する余裕がない。
グレイヴァは水の勢いに遊ばれながら、どんどん流されていた。目を開けても見えないが、腕にかまれている痛みがある。
この状態では、さすがの魔物も必死なのだろう。グレイヴァに掴まるつもりで、噛み付いているに違いない。
何にしろ、このままではおぼれてしまう。
時々、回転した勢いで顔が水面から出る時もあるが、ゆっくり息を吸い込むような時間はない。満足な呼吸もできず、次第に苦しくなってくる。
こんな流れの速い川では、泳ぐ努力をすることすらあざ笑われているように、まともに腕を動かすこともできなかった。
ふいに、魔物がグレイヴァの腕を離したが、ほっとする間もない。流され続けていることに、変わりはないのだ。
だが、次の瞬間、グレイヴァの身体が川から引き上げられた。つまみ上げられた、という表現の方が合うかも知れない。
何がどうなっているのかわからず、え? と思った時には、もう水の中から救出されていた。
フィノが追い付き、魔物に一撃を加えるとグレイヴァから離れさせ、魚をすくい上げるようにグレイヴァの身体をすくい上げると、襟首をくわえて川面を飛んでいたのだ。
フィノは河原に降りると、グレイヴァを離した。グレイヴァはしばらく咳き込んでいたが、次第に落ち着いて一息つく。
川に飲み込まれて溺死、という事態は避けられたようだ。
「ありがと、フィノ。……けど、報酬は出ないぜ」
余分な救助は、と言っていたことを茶化す。首元に小さな石がきらりと光ったのが見えた。
「あの子をかばうためだから、今回はチャラにしてあげるわ」
つんとすまして、フィノも言い返す。グレイヴァ自身の失敗ではなく、妖精のためだから仕方ない、ということだ。
「それにしても、グレイヴァってつくづく無鉄砲ねぇ」
「だ、だって、あのままだとあの妖精が餌食になってたし」
「で、あんたが代わりに餌食になってどうするの」
「う……」
そう返されると、グレイヴァは何も言えない。でも、身体が勝手に動いてしまった。
「この前の水の妖精の時もそうだったけど、もう少し考えて行動しなさい……って、グレイヴァに言っても無理か。妖精を助けるのもいいけど、自分が死んだりしたら、それだってできないでしょ。やればいいって訳じゃないのよ」
フィノの言うことももっともなので、やっぱり言い返せない。
「でも……とりあえず、よくやったわね」
「あれ、フィノがほめるなんて珍しいな」
「ほめる時はほめるわよ、あたしだって」
いつも辛口な批評ばかりなので、ほめられると妙にくすぐったい。
落ち着いてほっとすると、今度は腕の傷が痛み始めた。
濡れているせいもあって、左の袖はすっかり血に染まっている。傷はひじより少し下だが、その周囲が真っ赤だ。
グレイヴァはそれを破り、傷口の少し上をしばった。
「あ、そうだ。アルテは?」
「あっちに残ってるわ。まだ魔物の残りがいたし、あの子がいるでしょ。ふたりしてグレイヴァの方へ行く訳にもいかないから、とっさの判断でアルテはあたしに行くように言ったの。あたしはどっちでもよかったけど、アルテがこっちへ来てたらグレイヴァの二の舞だもんね。溺れたりしたら、水の中で呪文は唱えられないし。こんな川じゃ、泳げるのは魚くらいよ。とどめは刺せなかったけど、あいつもこの流れじゃ無事ではないわね」
グレイヴァと落ちた魔物は、あのまま下流へと流されたようだ。
「……濡れるの、いやだけど……すっごく不本意だけど……アルテが心配してるから、早く戻らないとね。……乗りなさい」
今のフィノの大きさは、グレイヴァくらいは簡単に乗せられる。歩いて戻ればたっぷり時間がかかるのはわかっているから、フィノが乗せて飛ぶと言っているのだ。
その方が、グレイヴァとしても助かる。腕に傷のある状態で、また山を登るのはつらい。こんな山の中なら、他の人間に見られる、ということは滅多にないだろう。
「あ、でも、そのままはやめてよっ。服はしっかり、絞れるだけ絞ってからでないとダメ!」
雨が嫌いなフィノは、当然濡れるのを嫌う。今のグレイヴァは、立っているだけで地面に水たまりができる程にびしょぬれ状態だから、これではフィノが嫌がるのも当然だ。
乗せてもらう身分の手前、グレイヴァはおとなしく服を脱いで、これ以上は無理、というところまで水を絞り出した。
「これが限界。暑いんだし、すぐに乾くって」
「んもう、仕方ないわね。……ほら」
フィノが背中を向け、グレイヴァはその黒く艶やかな毛並みの背中にまたがった。
「……アルテ、大丈夫かな」
「心配する程、大した魔物じゃないわ。グレイヴァの腕でも死ぬくらいなんだし」
「俺くらいで悪かったなっ」
「でも、短剣を持ってて正解だったわね」
確かに、村で短剣を入手していたのは正しい選択だった。
アルテの不安も的中した訳で、戻ったら「だから心配だったんです」などと文句の一つも出そうだ。
「フィノ……」
飛び始めて間もなく、グレイヴァが力のない声でフィノを呼んだ。
「何?」
「降ろして……」
「何よ、どうしたの」
「気分……悪い……」
「え、グレイヴァって、まさか高い所がダメとか?」
世の中、高い所にいる、というだけで具合が悪くなる人間がいる。空を飛ぶのだから当然高い所に強いフィノは、それがなぜだかわからない。
それにしても、まさかグレイヴァがそんなデリケートな神経を持っているなんて、冗談でしょ。
信じられない気持ちで、それでもとりあえず、フィノは河原の日陰のある所へ下りる。
グレイヴァはフィノの背中からすべり落ちるように、地面に転がった。
その顔色が、冗談抜きで悪い。真っ青になっている。以前、船酔いでダウンした時よりひどい。水と思ったのは、冷や汗だ。
「グレイヴァ……」
さすがに心配になったフィノが、グレイヴァの方に顔を寄せる。
そんなに怖かったのかしら、と思っていると、傷口の血に混じって微妙に別の臭いを感じ取った。
何、これ。毒? そうか、あの魔物の毒が……。まさか人間にまで影響するなんて。
フィノの鼻は、わずかながら毒を嗅ぎ取っていた。
魔物に噛まれたことで毒が身体に入り、グレイヴァはそれで具合が悪くなったのだ。
傷の痛みや気分の悪さは、わずかな振動でも堪えるらしい。だから、降ろしてくれるように言ったのだ。
フィノは急いで山の中へ入ると、毒消草を見付けてグレイヴァの傷口にあてる。
だが、普通の動植物にやられた毒ではないから、たぶん効果は期待しない方がいい。
この場は、自分だけでは無理だ。解毒法がわからない。魔法使いの知識が必要だ。
「グレイヴァ、アルテを呼んで来るから待ってなさい。いい、動くんじゃないわよ」
動きたくても無理だよ、と思ったが、口にはできなかった。
もうろうとした意識の中で、フィノが飛び去るのを感じる。
ちっくしょう……。何だって……こんなに痛むんだよ……。
意識はひどくあいまいな状態なのに、腕の傷だけはしっかり存在を主張する。
どれくらい時間が経ったのか。意識が途切れ途切れで、まるで把握できない。
からっという、河原の石と石が当たる音が聞こえた。耳が地面に近いので、やたらと響くような気がする。
誰かが歩いているのだろうか。でも、フィノが戻って来た気配はない。
グレイヴァはわずかに目を開けて、ぎくっとなった。
あの魔物が水をしたたらせながら、こちらへ近付いて来ているのだ。
グレイヴァを助ける時にフィノが攻撃したためだろう、歩き方もひどくよたついていた。
落ちる水が、濁っている。よく見ると、緑の血だ。
もやみたいな身体のくせに、出血するのか。
ゆっくりとした歩みだが、魔物はしっかりグレイヴァを見据え、進んでいる。傷の痛みで幻を見ているのかと思ったが、この殺気は絶対に夢や幻ではない。現実だ。
自力であの急流から這い上がり、弱りながらもここまで戻って来た。執念、と言うしかない。
一気に飛び掛かって来られることはなさそうだが、グレイヴァの方も毒のせいでほとんど動けない。動くという点では、こちらが不利だ。
じわじわと、魔物はこちらへ近付きつつあった。





