マルサラと妖精シューレ
フィノがグレイヴァの顔を覗き込むと、少し顔色が戻ったように思える。ここで休めたおかげだろう。
フィノは、アイレトルの方を向いた。
「この子ねぇ、船酔いしたのよ」
「ああ、そのようだね」
「あら、わかった?」
「診察中、うなされるように、まだ揺れてるだとか、早く下ろしてくれって言ってたからね。具合やそれらを考えれば、わかるさ。休んで落ち着けば、大丈夫だ」
「では、グレイヴァをゆっくり休ませるとして……マルサラ、あなたの話を聞かせてもらえますか? その妖精の話を」
「ちょっと待った」
マルサラが話をする前に、アイレトルが止めた。
「マルサラ、きみは昔から妖精だとかが見えるようなことをよく言っていたけど、それって本当にいるのかい? それに、きみ。アルテと言ったね。きみは本当に魔法使いなのか?」
「アルテのことを疑うなら、あたしが許さないわよ」
ベッドの端に座っていたフィノが、少し目を吊り上げて立ち上がる。
「フィノ、落ち着いて」
アルテが軽くいさめた。
「ぼくは魔法使いです。言葉だけでは信用できない、と言われるのも当然でしょうが。そうですねぇ、やれとおっしゃるなら、あそこのテーブルにあるローソクに火をつけましょうか? もちろん、限りはありますが、たいがいのことはやってお見せできますよ」
アルテが軽く指を鳴らすと、アルテから軽く十歩は離れているテーブルの上のローソクに火がともった。手品みたいだが、もちろんタネはない。
「どう、先生? 信じる気になった? その気になればローソクじゃなく、一瞬でこの屋敷に火をつけることだって簡単よ」
物騒なことを、平気で言うフィノ。アイレトルは慌てて「信じる」と言った。
「だが……妖精となると、話は別だ。どうしてきみ達はそうもあっさりと、マルサラの話を信じられるんだ?」
「妖精の存在を知っているから、ですよ」
アルテはあっさりと答えた。
「普通はあなたのように、妖精を見ることはできません。でも、現実に妖精は存在しています。魔法を使う者は恐らく、みんな見えるはずです。ああ、例外もあるでしょうが。魔法使いでなくても、見える人はいます。マルサラのようにね。あなたには見えるのでしょう?」
アルテの問いに、マルサラは小さくうなずいた。
「見えなければ信じられないのも無理はありませんが、彼女の言うことは本当です。嘘で見えると言うのは簡単ですが、妖精が助けを求める、なんて普通は言い出しませんよ」
「まぁ……妖精が助けてくれ、なんて言うとは思わないが……物語の中なんかだと、そういうのがあったりするだろう? ぼくはマルサラが人よりもたくさん想像力を持っているから、妖精がいると言ってるのだとばかり」
「まぁったく、頭の堅い先生ねぇ。まだ若いんでしょ? もっと物事を柔軟に考えられないの?」
フィノがあきれながら言って、またベッドに座った。
「ん~」
ベッドが揺れたせいか、グレイヴァがうなった。
まぶたが動いたのでフィノがその顔を覗き込んでいると、ゆっくりとその目が開いた。
「……フィノ?」
いつもはねこの姿の方が多いが、こうして人間の姿でいてもそれが誰かはわかったらしい。
「おねぼーさん。まだ船に乗ってる気分?」
「……え?」
フィノにからかわれても、まだグレイヴァは頭が起きていないので答えられない。目だけで周囲を確認するが、しっかり状況を把握できないでいる。
「グレイヴァ」
アルテもグレイヴァのそばまでやって来た。
「……アルテ? ここ……どこ……?」
どう見ても寝ぼけたような表情のグレイヴァ。いつも以上に幼く見える。
「ぼく達の目的地ですよ」
「どういうことだ?」
グレイヴァではなく、アイレトルが聞き返す。
「つまり、マルサラに言われるまでもなく、ぼく達は妖精を助けるつもりです。そのために旅をしていますから」
☆☆☆
マルサラは、妖精を見る力を持っている。彼女が見ていたのは、ラージェの湖にいる水の妖精達だ。
幼馴染みであるアイレトルは、それをマルサラの空想や想像の中の話だと思っていた。もちろん、彼以外の人間もそうだと思っていたのだ。
空想じゃない。人間より小さくて、でも確かにそこにいるのに。
マルサラはなぜみんなが信じてくれないのか、ずっと不思議だった。
たった一人、マルサラの言うことを信じてくれていたのは、母だけだ。
その母が病に倒れ、マルサラが十二歳の時に旅立った。
マルサラは悲しくて淋しくて、屋敷を飛び出したのだが、誤って湖に落ちてしまう。
昔から湖で遊んだりしていたのでおぼれることはなかったが……それ以来、彼女は成長が止まってしまった。
元々、はかなげな雰囲気ではあったのだが、その時からその傾向がますますひどくなっていったのだ。
父は元から仕事人間で、家を留守にすることが多かった。妻を亡くし、娘がこうなってからは、それを忘れようとするかのように、ますます家を空けることが多くなってしまう。
アイレトルはそんなマルサラをなぐさめようと、以前にも増してマルサラの所へ来た。
彼が医者になろうと思ったのは、成長が止まってしまったマルサラの身体を治してやりたいがためだ。
猛勉強するかたわら、少しでも時間を作ってマルサラに会いに来た。それは、医者になり、港街のランデで開業をした今でも続いている。
一方、マルサラは湖に落ちてから後、日を追う毎に妖精達の姿をはっきり見るようになっていた。
前は何となく姿が見えている、という程度だったのが、いつの間にか会話までできるようになっていたのだ。
マルサラが一番よく話をしていたのが、シューレという妖精だった。
本当の歳は知らない。シューレの見た目は、二十歳前後くらいの姿。身体こそマルサラの靴とそんなに変わらないような大きさだが、マルサラは少し歳の離れたお姉さんみたいな感覚でいたのだ。
そのシューレ達が、ここ十日前くらいから姿が薄れ始めた。シューレの姿がぼやけるにつれ、会話もままならなくなってくる。
マルサラが訳を尋ねると、魔物が現れて自分達の力の源になる石を壊してしまった、と言われた。
新しい石がなければ、自分達は命を長らえることはできず、やがて消えてしまうのだ、と。
マルサラは、それを聞いて驚いた。世間の人はぼやーっとしている、などと噂するが、マルサラにもちゃんと理解力があるのだ。
シューレ達の状況が命に関わることだ、ということくらい、ちゃんとわかる。
マルサラはどうすればいいのか、尋ねた。自分が力になれないか、と。
シューレは「魔法使いでなければ無理なの」と言った。
それを聞いて、マルサラは落胆する。
所詮、普通の人間には、妖精を助けることなどできないのか、と。妖精達の状況を知り、助けたいという気持ちはこんなに強いのに。
どんなに悔しく思っても、そんな特殊な力など、彼女にはない。
しかし、シューレ達もただ手をこまねいている訳ではなかった。
誰かに「危機を救ってほしい」とメッセージを送っていたのだが、それを夢の妖精が受け取ってくれたらしい。
そして、魔法使いが妖精を助けるために旅をしている、ということも聞いた。
だが、助けを請う言葉は最後まで届けられない。シューレ達の力は、もう残っていなかったのだ。
魔法使いのことはわかったし、こちらへ向かうように話が進んでいる、ということもわかったが、ここまでたどり着くかが問題。
捜し当ててもらうまで、命を保っていられるだろうか。
不安だったシューレ達は、マルサラに頼んだ。
魔法使いを連れて来てほしい。石を取って来てほしい、と。
「黒髪の……魔法使いが……彼らが……助け……」
マルサラとシューレとの会話は、そこまでで終わった。事情を話すのに精一杯で、最後まで伝えられずに。
消滅したのではない、とマルサラには気配でわかるのだが、水の妖精達はもう姿を見せることすらできなくなってしまったのだ。
話を聞いたマルサラは、港へ行った。確信があったのではないが、そこへ行けばその魔法使いに会える、と思ったのだ。
そして、グレイヴァを見付けた。
☆☆☆
「誰もかれも、どうして俺を魔法使いにしたがるんだよ」
まだ少しめまいがするため、ベッドに横たわったままのグレイヴァがうなった。
魔法使いのアルテと一緒にいるためか、グレイヴァも魔法使いと呼ばれることがよくある。もちろん、事実は違う。
「ほーんと、そうよね。事実を知ってるあたし達にすれば、お笑いよ」
「……笑うこたねーだろ」
「あたし、グレイヴァから普通の人とは違う雰囲気を感じて、それで……」
魔法のような気配を感じた、と言うのなら、それはきっとフィノがそばにいたからだ。
しかも、眠っているグレイヴァは黒髪。妖精から聞いた魔法使いだ、と思って間違えても仕方ない。
「今の話で、なぜマルサラがグレイヴァを魔法使いだと思ったのか、よくわかりました。シューレが言いたかったのは、こうだと思いますよ。黒髪の少年と、魔法使いが来る。彼らが助けてくれるはずだ、と。所々切れていたので、マルサラが間違うのも無理ないですが」
「ごめんなさい。あたし、ただ黒髪の魔法使いってことしか頭になかったの。でも見付けた彼は具合が悪そうだし、何とかしなきゃって思って」
マルサラが少しうなだれる。
「最初はどうしようかって思ったけど、結局はグレイヴァも助かったわよね。こーんないいベッドで寝かせてもらったんだもの。ゆっくり眠れたでしょ?」
「まぁ……な」
安い宿屋の固いベッドよりはるかに寝心地がよかったのは、当然である。このベッド一台なら、宿屋のベッドを三台買ってもまだお釣りがくるような代物なのだ。
「どうもぼくにはまだ信じられないが……マルサラは瀕死の妖精を助けようとしている。そして、きみ達はそういう妖精がいるとすでに知っていて、ここへ来た。まとめると、そういうことかい?」
アイレトルは、頭をがしがしかいている。気持ちとしては、思いっ切りかきむしりたい、というところなのだろう。
「どこで誰がどういう状況で助けを求めているか、まではわかりかねますが。他にもその湖の妖精のように困っている妖精はいるらしいので、ぼく達は魔物によって脅かされている妖精がいればそこへ向かいます」
「……世の中、どういうことが起きるかわからないものだな。で、どうやってその妖精を救うんだい?」
アイレトルの顔は、まだ半信半疑だ。





