BBQの季節、買い出しの午後
四月の最終週。試料合成室を出て、共有スペースの給湯室に向かう。電気ケトルの湯が沸く音を聞きながら、神崎はマグカップに緑茶のティーバッグを放り込んだ。
「淳くん、来月のBBQのこと聞いてる?」
「あ、いえ、初耳です」
「毎年恒例なんだよね。新歓も兼ねて」神崎はカップを両手で包みながら言った。「幹事、今年は誰だっけ」
ちょうど通りかかった大久保が、湯気の匂いに誘われたのか顔を出す。
「あ、それ俺だったはず。まだ何も準備してないけど」大久保はそう言って、椅子に「どっこいしょ」と腰掛けた。
「太一、去年も同じこと言ってたよね」
「今年こそはちゃんとやるから」大久保は苦笑いした。
そこへ、桐山もふらりと現れて、話に加わる。
「BBQ、河川敷でしたっけ。去年、肉焼く前に雨降ってきて大変だったやつ」
「あったねえ、それ」神崎が吹き出した。「太一が炭に火つけるの下手すぎて、結局桐山が全部やる羽目になったやつだ」
「あれはマジで勘弁してほしい」桐山がジト目で大久保を見る。
「今年は練習しとくから」大久保は情けない顔で笑った。
給湯室の入り口から、本多がひょっこり顔を出した。心なしか、いつもより表情が明るい。
「あ、皆さんお疲れ様です」
「本多さん、面接どうだった?」神崎が聞く。
「たぶん……悪くなかったと思います」本多は照れくさそうに頭をかいた。「結果は来週らしいですけど」
「おお、いいじゃん」桐山が軽く拍手する。
「そういえば、毎年何人くらい来るんですか、BBQ」淳が聞くと、神崎が指を折りながら数え始めた。
「学生全員と、蓮見先生と……教授は、来たり来なかったりかな」
「教授、来ないこともあるんですか」
「忙しい人だから。去年は途中から顔出して、肉だけ食べて帰った」桐山が笑いながら言う。「なんか、そういうとこあるよな、あの人」
「でも、ちゃんと顔は出すよね、毎年」神崎が付け加える。「口数は少ないけど、来ないってことはない」
「そこは律儀なんだよな、なんだかんだ」桐山も頷いた。
「そういえば桐山、今日も朝からゲームしてたよな」秋山が思い出したように言った。
「ああ、あれ? 昨日の夜、他大のやつらと夜更かしして、そのまま寝落ちしかけたから」桐山は悪びれもせず笑った。「オンラインの野良パーティなんだけど、なんか妙に馬が合う奴らがいて。もう一年以上、ほぼ毎晩、同じ面子でさ。他の分野の院生とか、社会人とか、いろいろ混ざってて」
淳は御堂の顔を思い浮かべた。顔合わせの日に見た、あの値踏みするような目をした男が、BBQで黙々と肉を焼いている姿は、あまりうまく想像できなかった。それでも、なんとなく毎年欠かさず顔を出すというところに、意外な律儀さのようなものを感じた。
「淳くんも来年は、そのうち幹事やることになるだろうから、覚悟しといて」神崎がにやりと笑った。
「え、そんな先の話までですか」
「あっという間だよ、一年なんて」
五月の連休が明けると、研究室のホワイトボードの隅に「BBQ 5/17(土)」とだけ、大久保の字で書き込まれた。字は大きいわりに、日付の下に線を引いただけで、詳細は何も書かれていない。
「大久保さん、それだけ書いて満足してません?」秋山が通りかかりざまに突っ込んだ。
「今から詰める、今から」大久保は頭をかいた。「淳、買い出し手伝ってくれるか」
「あ、はい、もちろんです」
買い出しの日、大久保と二人でスーパーの精肉コーナーを回った。カートには肉、野菜、炭、着火剤が次々と積まれていく。
「去年、大久保さん炭に火つけられなかったらしいですね」
「誰から聞いた、それ」大久保は苦笑いした。「神崎な、絶対神崎だ」
「桐山さんからも聞きました」
「二人がかりかよ」大久保は情けない顔でため息をついた。「今年はちゃんと動画で予習してきたから。着火剤の量が足りなかっただけなんだよ、あれは」
「言い訳が長いですね」
「うるさいな、後輩のくせに」
会計を済ませてスーパーを出ると、大久保が荷物を両手いっぱいに抱えたまま、ふと足を止めた。
「淳、研究室の居心地、どう。本音で」
「正直、思ってたよりずっと楽しいです」
「そりゃよかった」大久保は満足げに頷いた。「俺が配属されたときは、正直しんどかったんだよな。先輩がみんな忙しそうで、話しかけるタイミングも掴めなくて」
「だから、話しかけやすいんですね」
「そう思ってくれてたら嬉しいけどな。だから俺は、後輩にはできるだけ気楽に接するようにしてる」大久保はそう言うと、照れくさそうに荷物を持ち直した。「まあ、伝わってるか分からないけどな」
「伝わってますよ、ちゃんと」
その言葉に、大久保は少し驚いたような顔をしてから、嬉しそうに笑った。
当日は、朝から見事な晴天だった。河川敷に着くと、大久保が真っ先にコンロの前に陣取り、慎重な手つきで炭を並べ始めた。
「今年は絶対成功させる」
「頑張ってください、幹事」神崎が缶コーヒーを片手に、少し離れたところから茶化す。
「見ててくれよ、この学習能力を」
着火剤に火をつけると、思いのほかあっさりと炎が上がった。大久保が拳を握りしめる。
「よっしゃ」
「意外と地味な達成感ですね」淳が笑うと、隣で桐山が頷いた。
準備が整う頃には、研究室のメンバーがほとんど揃っていた。本多はいつものスーツ姿ではなく、珍しく私服で現れ、少し照れくさそうに頭をかいていた。
「本多さん、内定出たんですよね」神崎が声をかけると、本多は控えめに頷いた。
「はい、先週。ようやく肩の荷が下りました」
「おめでとうございます」淳が言うと、本多は少し目を細めた。
「ありがとう。佐伯くんも、これから長いから。今のうちに楽しんどいて」
「M2になったら、こんな余裕なくなるんですか」
「なくなる。特に秋以降は」本多は苦笑いした。「まあ、その頃にはまた別の先輩が愚痴聞いてくれるだろうから、心配すんな」
「本多さん、就活で一番きつかったことって何ですか」淳が思い切って聞いてみると、本多は少し考え込んだ。
「面接で、研究のこと聞かれたとき。専門外の面接官に、どう分かりやすく話すかで結構苦労した」本多は紙皿の上の肉を見つめながら言った。「自分がやってることの意味を、自分の言葉で説明できないと、結局伝わらないんだよな」
「それ、なんか今の自分にも刺さります」
「気が早いよ、まだ配属一ヶ月だろ」本多は笑った。「でも、頭の片隅には置いといて損はないと思う。何のためにこの実験してるのか、っていうのはさ」
しばらくして、大久保が串を片手にやってきた。
「淳、この前、試料合成室で冷やし方の話しただろ。あれ、俺の研究テーマそのものなんだよ」
「焼結、ですか。初日にはぐらかされたので、ずっと気になってました」
「はぐらかしたわけじゃなくて、説明が長くなるから面倒だっただけ」大久保は苦笑いしながら、近くの石に腰を下ろした。「焼結条件の最適化。温度プログラムとか、圧力のかけ方とか、冷やし方とか、そのへんを地道にデータ取って、一番いい条件を探す仕事」
「淳くんの試料合成、大久保さんの研究の応用編みたいなものだよ」神崎が横から補足した。
「そうそう。だから淳が失敗したり成功したりするデータも、実は俺のデータベースにこっそり使わせてもらってる」大久保はにやりと笑った。
「知らないうちに貢献してたんですね」
「感謝してくれていいぞ」
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