第5話 文明なき世界
十分な水分を得るため、穴の中の火種に枯れ枝を突っ込む。
「飲料水をたくさん作っても水を保存できるのは一輝の水筒しかない。必要になる度にこうやって用意するしかないのが手間ね。たくさん用意して保存できればその分作業しなくて済むのに」
「ああ、貯水タンクみたいな?」
「あれは文明の利器ね……。ここではタンクどころか原始的な土器すら作れない。道具を作るための道具がない」
服を買いに行く服がないみたいな話だ。
完成したろ過装置のペットボトルを使って鍋一杯にろ過水を注ぎ、沸騰させる。
味わってみると違いは明白だ。
おかしな味が一切しないというだけで美味しく感じる。
失った水分を補給した後は、水筒に水を詰めて蓋を閉める。
「一度仮の拠点に戻るわ。一度道を作ったから来る時ほど大変じゃない。森の中に拠点を作るのはあまりいい選択とはいえないから」
「どうして?」
「ここの生態系が分からないからよ。危険な毒を持っている昆虫や植物がいる可能性は否定できない。人間を死に至らしめる毒は自然界ではありふれたものだから。特にダニやノミはいつの間にか嚙まれていることがあるし」
「そんな中を突っ切ってきたの?」
途端に恐ろしくなる。
無我夢中で進んできたのだが、危険だと分かると違って見えてきた。
「水の方が優先度が高かったからそうしただけ。リスクを冒さなければ何も得られないの。それに服を着ていればそこまで問題はないわ」
「本当かなぁ……」
「戻る時は周囲を確認して果実とか食べられそうなものも探して。森を出たらもっといい拠点を探しましょう。日が落ちる前に時間ができたら即席の竿でも作って魚を採れたらいいわね。貝があればそれを拾ってもいいし」
「それは賛成。いい加減何か食べたい」
持っている食料はお菓子だけで、腹が膨れるようなものじゃない。
飴玉がいくつか入っている袋が一つと、スナック菓子がいくつか。
「もし何も食べるものがなかったらそのお菓子を一つ開けましょう。もちろん分けてくれるわよね? それなりに貢献したし、これからもできると思うのだけど」
「さすがに一人で食べたりはしないよ」
いくらなんでも人としてそれはダメだと思う。
ただ、もし飢え死にするとしたら最後の最後に飴玉を舐めておきたいので一つだけポケットに忍ばせることにした。
それ以外は瑠璃とシェアするつもりだ。
森を引き返す途中では残念ながらろくに食べ物は見つけられなかった。
小鳥は捕まえられないし、たとえ捕まえても身が少ない。
食べるなら海鳥だが、仕掛けがないととてもじゃないが無理だ。
きのこ類は見つけたものの絶対に食べるなと念押しされた。
専門家以外は自然のきのこを口にしてはいけない。
知識があるだけでは見分けができないようだ。
「現実はロビンソン・クルーソーのようにはいかないわね。一輝はあの本を読んだことがある?」
「読書感想文の題材で読んだけど、もうほとんど覚えてない」
「あら感心。読書はいいわよ。心を豊かにしてくれるわ。現実は辛いことばかりだもの。今みたいにね」
笑うべきだったのだろうか。
「あの本では、食料や道具を積んだ難破船も流れ着いた。主人公である彼はそこから小麦なんかを手に入れて栽培したのよ。でも私たちにはそれはできそうもないわね」
「それは話の都合ってやつじゃない? 本当に遭難したら大変だよ……」
「そうね。それには同意する。最悪虫を食べなきゃいけないかしら」
「虫を食べるくらいなら海で何か探した方がマシじゃないかな」
昆虫は栄養が豊富だと聞いたことがある。
しかし絶対に食べたくない。
草でも齧った方がマシだ。
「食べられる野草をいくつか見つけた。でもとてもじゃないけどカロリーが足りないわ」
本当に草をかじる日も近そうだ。はは。
僕から見れば違いがあるのか分からない。
「どこかにココヤシの樹でもあればいいんだけど……。現状あるものだと近いうちに詰む可能性が高いから、余裕ができたらこの島の探索もしましょう。これだけの広さがある島だもの……もしかしたら何か役に立つ物が見つかるかもしれないわ」
「その間に救助が来たりしないかな? 救助が来た時に砂浜の近くにいないと素通りされるかもしれない」
一番最悪のパターンがこれだろう。
一度探した場所をわざわざ二度も探すとは思えない。
「少しは考えているのね。感心したわ」
「……それはありがとう」
皮肉ではなく本気で褒めているようだ。
なので言い返すことなくお礼だけ言った。
コミュニケーション能力と頭の良さは比例しないのだろうか……。
「まず海上に投げ出された人たちの救助を最優先するはずよ。よく72時間以内に救助されるかどうかで生死が分かれるというけど、海上はもっと短い。海水の温度はそこまで低くはないけど、水分補給もままならないし48時間も耐えられないでしょうね」
「ああ、その人たちを救助し終わるまでは僕たちみたいな流れ着いた遭難者は後回しってこと?」
「ええ。誰しも目の前で困っている人たちを先に助けるものでしょう? そっちの方が危険となれば尚更ね」
「それはそうだけど……」
現に今僕たちは苦労したとはいえ飲める水を手に入れて、体調もそこまで悪くはない。
(とてもお腹は減っているけど)
「海上の救助を終えて周囲の島にも探索範囲を広げるのは4日目以降だと考えていいわ」
「来ないっていう可能性は……ないよね?」
「捜索にはかなり正確な予測システムも投入されるはず。それは考えにくいし、考えるだけ無駄よ。不安は人間の心を蝕むから、ネガティブなことは忘れてできるだけ明るいことだけ考えながら生き残ることに集中しなさい」
正論だ。
それができたら苦労はしないと思うのだが……。
「ならせめて砂浜に木の枝でも立ててSOSって書かない? ほら、映画とかでやっているようなやつをさ」
「あら、冴えたことを言うじゃない。私の言ったことをちゃんと理解したのね。悪くない考えよ」
冗談半分に言ってみると、思いのほか瑠璃が反応した。
ぐいっと僕に近づき、右手の人差し指で心臓の辺りをつついてくる。
「心のよりどころにもなるわ。食料を探す前にやりましょう」
そう言った彼女の唇の端がほんの少しだけ、柔らかく吊り上がった。
初めて瑠璃の笑顔を見たが、笑うと可愛いな。




