第15話 もし帰れたら
「論文をこんなに長く読まなかったのは数年ぶりかしら」
ぽつりと瑠璃が呟く。
今は作業を終えて疲れてしまったので休憩している時間だ。
ふと彼女の方を見ると、最初に比べて少し頬がやせこけた気がする。
僕もいつもよりずっと疲れるのが早い。
きっと本来に比べて大きく体力が落ちてしまっている。
この4日間でまともな食事は数えるほど。
こうして動けるのもいつまでだろうか。
瑠璃の言う通り、これからは体力を温存しながら過ごさなければならない。
「僕もこんなにスマホを見なかったのは初めてだよ」
「一緒にしないで欲しいんだけど。まあいいわ。ずっと研究所で論文を読みこんでたから不思議な気分がするってだけ」
「……同じ高校生だよね」
「そうよ? 制服もそうだし最初に言わなかったっけ?」
普通の高校生は研究所で論文は読まないのではないだろうか。
それを言う代わりに別の質問をすることにした。
「何の論文を読んだの?」
「AIデータセンターを始めとした新時代のエネルギー消費と、それに対する更なるエネルギーの調達ではなく効率化による問題解決の模索。主にこれに関する論文をここ一年読んでたわ」
「えーと?」
「……電気の消費が年々増えてるからといって、それに見合う発電をするよりは設備やインフラを通して電気効率をよくしようって話よ。オーストラリアにはその分野の最先端を行くCapella社があるの。私が書いた論文が認められてシンポジウムに招待されたってわけ」
「なるほど?」
「省エネでいいわ、もう」
さっぱり分からない。
どれもニュースか何かで聞いた覚えはあるのだが、上手く頭の中で繋がらなかった。
省エネなら分かる。
「地球のエネルギーは有限よ。石油にしろ、石炭にしろ。原子力だって無限じゃないわ」
「あと30年でなくなるって言われてるね」
「実際は時代が進むたびに技術革新が起きて、採算が取れるようになったり今まで取れなかったところから採取できるようになってるからまだまだ先だけど、ね。でも無視できないわ」
「瑠璃は頭がいいんだね」
そんなこと、考えたこともなかった。
自分の周りにすら目を向けるのがやっとだ。
「……今は無力だけど。無人島で最先端のエネルギー理論なんて何の役にも立たないわ」
「そんなことないよ。瑠璃のおかげで色々助かってる」
「私が教えたのは科学の初歩よ。一輝がちゃんと授業を聞いてたら一人でも対処できたわ」
「あ、あはは」
科学のテストで赤点をとったことはない。
だが理解しているとは到底言えなかった。
「私が世界を変えるって思ってたけど、今はそんな気持ちがなくなったわ。世界はこんなにも大きくて、自然は私とは関係なく存在してる。文明という盾がなければ、人間はこんなにも無力なんだって思い知らされた」
「なんだか詩人みたい」
「知ってる? 昔の遺跡なんかじゃ壁に詩や絵がたくさん描かれているんだって。自然と一緒に生きてるとそういう気持ちになるのかしらね」
「そうかも。だってこんなにも――」
僕は立ち上がって海の水平線を見る。
どこまでも遠く、まるで果てがないように見えるそれはただひたすらに奇麗だ。
「美しいんだから」
五体で自然を味わう。
決して優しくはないが、しかし生きているという実感が溢れてくる。
「インターネットにはきっとこの光景はないよ。ここでしか見れない」
「あら、一輝も詩人になったの?」
「作文は苦手だから無理かな」
「思ったことを口にすればいいのよ。我あり、あるがままにて十分なりってウォルト・ホイットマンも言っていたわ」
「ごめん、誰か分からない」
「アメリカの有名な詩人。私は彼の詩が結構好きなの。もし生きて帰れたら読んでみるといいわ。彼の熱意が文字を通して伝わってくる気がするから」
「うん、分かった。必ず読むよ」
それはきっと小さな希望を語りたかったのかもしれない。
他愛もない約束を生きて帰って叶えるという、ささやかな願いだ。
「大丈夫。現代の救助隊は優秀なのよ。生きてさえいればきっと助けに来てくれる」
「そうだね。きっと帰ったら大騒ぎになって取材とかされちゃうんじゃないかな。瑠璃は可愛いから、ネットで人気者になったりして」
「私は……ダメよ。可愛げがないから、どうせ有名になってもすぐ嫌われるわ」
「そうかな? 僕はそう思わないけど」
たしかにトゲがあるし、人懐っこいタイプではない。
だが優しいところもある。
それが彼女自身の為だったとしても、僕もそれに助けられたのは事実だ。
「シンポジウムは無断欠席ね。次からはもう呼ばれないかしら」
「遭難して無人島にいましたって言えばいいよ。きっと許してくれる」
「そうね。その時はクルーズ船の運営会社に口添えもしてもらうことにするわ」
「そりゃいいや」
ははは、と二人で笑う。
笑っていないと得体の知れない恐怖がどこからか沸いてきそうで、なるべく明るく振る舞うことにした。
結局この日は飲み水を木の皮で作った容器に確保して作業を終えた。
救助隊が来る可能性と、体力を温存するためにもしばらくは見通しのいい砂浜近くで待機することになる。
……そして迎えた5日目。
朝から天気が曇っていた。
雨は降らないものの、どんよりと灰色の空で少し霧も出ている。
「あまりいい天気とは言えないわね」
「そうだね。視界も悪い」
晴れていればどこまでも見通せるほど澄んだ空気だが、霧のせいで遠くは何も見えない。
「こんな天気なら救助艇もライトをつけるから目立つはずよ。見逃さないように注意しましょう。狼煙は向こうから見えないから声を出して気付いてもらうしかない」
「分かった」
「順調なら今日か……明日には捜査網に引っかかる頃合いだわ」
こればかりは天に祈るしかない。
そして残念ながら5日目に救助は来なかった。
残ったお菓子を分け合って食べる。
元々それほど多くはなかったので、少しずつ食べたとしてもあと2日もあればなくなるだろう。
明日こそは……。




