第10話 科学なきアニヒズム
寒い。
ガチガチと歯がぶつかり合って音が耳に響く。
気温はそれほど低くはないはずだ。
だというのにあっという間に体温が下がっていく。
体育座りをすると少しだけ熱が逃げない。
体を丸めると体温を保持できると学校で習った気がするが、こういうことだったのか。
瑠璃の言う通りだ。
生きるための知恵が知識として僕たちに伝えられている。
瑠璃の方を見ると、さっきよりも更に顔に血色が戻ってきた。
青白くなってきた時はどうしようかと思ったが、対応は間違っていなかったらしい。
スコールは勢いこそ弱まったものの止む様子はなく、地面にたたきつける音だけが洞窟内に響く。
後は瑠璃の呼吸音くらいか。
もし瑠璃がここで死んだらどうしよう?
水はなんとかなるかもしれない。
しかし僕一人では満足に生活環境を整えるだけの知識がなかった。
僕だけならさっきの松の葉をかじって、きっと毒で腹を下していたことだろう。
右手を伸ばし、瑠璃の手を握る。
小さくて冷たい手だ。
それでも生きるために必死に血液が動いているのが伝わってくる。
「僕一人じゃ、何をしていいのか分からないよ」
体温がさらに下がり、急激な眠気を感じた。
それに抗う気力もなく、そのまま眠りに就く。
……見渡すかぎりに僕の好物がある。
それだけじゃない。
ベッドにPC、それから好きな炭酸ジュース。
僕が快適に暮らすうえで求めるものがここにはある。
かつ丼を頬張っている最中にこれは夢だと気付いた。
さっきまで間違いなく匂いや味があったのに、それに気付いた瞬間無味無臭となってぽんと煙のように消える。
何もかもが僕から離れていき、必死にそれを追いかけた。
「――」
そんな僕に誰かが話しかけてくる。
この声はたしか……。ああ、そうだ。瑠璃の声だ。
そう認識した瞬間、瞼が開いた。
ああ、やっぱり夢で僕は寝ていたのか。
「ようやく起きた? うなされていたからずっと起こしていたのに」
「そうだったんだ。ありがとう?」
見ていたのはこことは似ても似つかない環境で贅沢三昧の夢だったのだが、ある意味悪夢ではある。
決して実現しないことを目の前で見せつけられると結構辛いものだと分かった。
「服、取り換えたのね」
「あ! それは……」
「理由は分かってる。命の恩人に裸を見られたぐらいで怒ったりしないわよ。あのまま濡れたジャージを着ていたなら、気化熱で私の体温が奪われてそのまま死んでいてもおかしくなかった」
「ああよかった。合ってたんだ。瑠璃の体調が一気に悪くなっていったから、とっさにそうしたんだ。裸もなるべく見ないようにしたよ」
「別に不可抗力ならいいってば」
ジャージはまだ湿っていたが、僕の体温で温められていたので着心地が悪いくらいでそこまで支障はない。
「体調は大丈夫?」
「よくはないわ……。頭がガンガンする。でもすぐにどうこうって感じじゃない」
ひとまず峠は越えたと思っていいようだ。
外のスコールもほぼ小雨になっている。
「ああいう雨が定期的に降るなら、やっぱりあの拠点は使えないわ。あの勢いだと草や木の皮で天井を作ってもすぐ壊されそう」
「すごい勢いだったね。一瞬でずぶ濡れになりそうだった」
「ええ。とてもじゃないけどあんなのが降ってたら外には出れない。でも降らないよりはマシだけれど。海水を飲むには蒸留のために大量の燃料が必要になるし、植物の朝露を集めるペットボトルもない。あのスコールがあるからこの島は水不足にならないんだわ」
あの雨は僕たちを痛めつけもするし、生かしもする。
「なんだか凄いね、自然って。僕たちにはどうしようもないけど、得にも損にもなるんだ」
「昔は自然こそが神様だと考えられていたそうよ。アニミズムといって、精霊信仰のようなものね。日本なら八百万の神々って呼んでるわね。よく氾濫する川は龍神や荒神とされ、科学が発展する前は鎮めるために祠を立てたり生贄なんかも捧げられる文化が確かに存在していた」
「こ、怖いこと言わないでよ。ここだと生贄になるのは僕たちとじゃないか」
「そんな非科学的なことはしないわよ。幸い無人島だから、生贄にされる心配もない。行き倒れたとしても、それは私たちが生贄になったわけじゃないわ」
話しているうちに雲が開き、太陽が顔を出す。
「外に出ましょう。太陽を浴びれば少しは乾くわ」
瑠璃が立ち上がる。
シャツが彼女の体のラインをはっきりと浮かび上がらせるので、ドキッとした。
「地面がぬかるんでるから気を付けなさい。それと帰り道は別のルートを探さないといけないわ」
「どうして? うわっ」
近くに川があるのだろう。
溢れて水が勢いよく道を下っている。
坂道なのもあって、迂闊に通ると転んでしまいかねない。
僕も瑠璃も体調は万全とはいえず、それこそ致命傷になりそうだ。
「ここを拠点候補とするわ。高台だから雨の影響を受けにくいのもいい。とにかく今は仮拠点に戻るために砂浜へのルートを探すわよ。置いてきた道具も回収しなきゃいけないし」
「残ってるのはリュックくらいだけど……あ、お菓子の残りとろ過装置もあっちに置いたままだ」
「そういうこと。私も下着をあっちに干したままだわ。まさかこれほど勢いがある雨が降るとは」
僕と瑠璃は少し回り道をして、通れそうなルートを探す。
ここでジッとしていても体力を回復させるための飲み水も食料もないのだ。
瑠璃が目覚めた時にはスコールも収まっていたので水筒にほとんど回収できなかったらしい。




