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玉座の間から見下ろす王都の景色は、ここ数日で劇的な変貌を遂げていた。
かつては夜ごと貴族たちの夜会が開かれ、魔法石の街灯が煌びやかに輝いていた街並み。今はその灯火の半分が消え失せ、代わりに軍靴の響きと、夜を切り裂くような悲鳴が遠くから絶え間なく聞こえてくる。
空を覆う重苦しい雨雲は、まるでこの国に巣食っていた膿を洗い流そうとするかのように、冷たい雨を降らせ続けていた。
「——これで、元老院議員の粛清は、リスト通り、百名に達しました。近衛騎士団に至っては、すでに八百名が『抵抗を試みた反逆者』として、私の部下たちの手によって物理的に排除されています。国外逃亡した者達も探し出し、始末致します」
背後から鼓膜をくすぐるような、蠱惑的な声が響いた。
振り返ると、そこには漆黒の軍服を纏ったエグゼクティオが立っていた。彼の銀糸のような髪からは微かに水滴が滴り、軍服の袖口には、雨水では洗い流せなかった赤黒い染みがこびりついている。
彼は優雅な足取りで私に歩み寄ると、その長い腕で私の腰を抱き寄せ、冷え切った頬に熱い唇を這わせた。
「ご苦労様、私の愛しい死神。……抵抗は激しかった?」
「抵抗と呼べるほどのものはありませんでしたよ。彼らは長きにわたり、言葉と契約というぬるま湯に浸かりきっていた。いざ剥き出しの暴力——純粋な殺意を向けられた時、彼らの見せた間抜けな顔といったら! 君にも見せてあげたかった」
エグゼクティオは喉の奥でくくっと笑う。その赤い瞳は、まるで極上の喜劇を鑑賞してきたかのように、無邪気な嗜虐心で輝いていた。
「特に、あの近衛騎士団長インシディアスの最期は傑作でした。彼は私が公爵家を継いだことを『偽装だ』と喚き散らし、残存する騎士たちを扇動して反乱を起こそうとしました。彼らを中央広場に追い詰め、我が『静寂の断罪者』たちが包囲網を狭めていく中で、彼はついに命乞いを始めたのです。『お前の父を殺したのは私ではない、元老院の指示に従っただけだ』と」
「……見苦しいわね。かつて、私を『娼婦の子』と影で嘲笑っていた男が」
「ええ、全くです。ですから私は、彼が二度とそのような妄言を吐けないよう、彼自身の剣でその舌を切り落としてから、ゆっくりと四肢を削ぎ落としてやりました。彼が死の淵で流した涙は、君が過去に流した涙の、ほんの一滴ほどの価値もありませんでしたがね」
まるで花束を贈るかのように、凄惨な拷問の様子を語るエグゼクティオ。彼の口から語られる暴力の数々は、不思議と私に恐怖を抱かせなかった。むしろ、私の胸の奥で燻っていたどす黒い怨念が、冷たい水を与えられたように静まっていくのを感じる。
私は彼にもたれかかり、その胸板越しに力強い鼓動を聞いた。狂っている。この男も、そして彼を鎖で繋ぎ、殺戮を命じている私も。
だが、それでいい。父の愛した「寛容」がこの国を腐らせたのなら、私の「不寛容」がこの国を再生させる。更地になった大地にしか、新しい種は撒けないのだから。
その時だった。
私たちの周囲の空気が、不自然に歪んだ。
エグゼクティオが瞬時に私の前に立ち塞がり、腰の長剣を半ばまで引き抜く。空間がガラスのようにひび割れ、そこから一人の青年が転がり出るようにして現れた。
「……転移魔術。帝国の結界をすり抜けるとは、随分と面白い玩具を持っているようだな、鼠」
エグゼクティオが氷のような声で告げる。
そこに倒れ込んでいたのは、まだ二十歳にも満たないであろう、青ざめた顔の青年だった。元老院の中でも最年少であり、百年の一人の天才魔術師と謳われた男、インゲニウム。
彼は手の中で砕け散った古のアーティファクト——おそらくは彼の祖父が残した国宝級の魔道具だろう——を放り捨てると、ふらつく足取りで立ち上がり、血走った目で私を睨みつけた。
「ヴェネフィカ……いや、狂女王! 貴女は自分が何をしているのか分かっているのか!」
「ふん! 口の利き方に気をつけなさい、インゲニウム。あなたは今、この国の絶対的な主権者の前に立っているのよ」
「主権者だと!? ただの殺戮者ではないか! 貴女が殺した議員や騎士……彼らが保持していた魔力がどれほどのものか理解しているのか! これほどの魔力保持者を一度に失えば、国を覆う大結界が崩壊する! 隣国が攻め込んでくれば、この国は一週間と保たないぞ!」
インゲニウムの叫びは、悲痛な響きを帯びていた。
彼は純粋に国を憂いているのだろう。彼の言う通り、魔力の総量は国力そのものだ。結界の強度は、貴族たちの魔力によって維持されている。私の行っている大量粛清は、文字通り自国の防御壁を内側から破壊する行為に等しかった。
「だからなんだというの?」
「な、なに……?」
私はエグゼクティオの背中から一歩前に出ると、冷ややかな視線で若き天才を見下ろした。
「結界が崩壊し、隣国が攻め込んでくる。それがどうしたというの? 内部から腐り落ち、私という女王を蔑みながら私腹を肥やす者たちが守る国など、滅びてしまえばいい。私はね、インゲニウム。この腐敗した玉座に座って偽りの平和を享受するくらいなら、エグゼクティオと共に、焼け野原でワルツを踊る方を選ぶわ」
インゲニウムの目が驚愕に見開かれた。彼は私の中に、一片の理知的な打算も、国を守るという女王としての責任感も存在しないことを悟ったのだ。
あるのはただ、個人的な復讐心と、すべてを破壊し尽くさんとする狂気だけ。
「……しょ、正気ではない。貴女は魔女だ! 父君であるクレメンティア王の寛容さに漬け込み、この国を乗っ取った邪悪な悪魔だ!」
「お父様の寛容さが、私を魔女にしたのよ」
私がそう言い捨てた瞬間、インゲニウムの両手に膨大な魔力が収束した。
彼の周囲に、数十の灼熱の炎槍が現出する。詠唱すら省略した、天才たる所以の無軌道な魔力行使。彼は私とエグゼクティオを巻き添えにして、この王座の間ごと吹き飛ばすつもりなのだ。
「死ね! 狂人よ!」
インゲニウムが腕を振り下ろす。炎の槍が空気を焦がし、轟音と共に私たちへと襲いかかってきた。
——だが、遅すぎる。
私の前に立つ軍神にとっては、あくびが出るほど退屈な手品に過ぎなかった。
「……愛しい人に向けられたその醜い殺意、万死に値する」
エグゼクティオの姿がブレた。
直後、炎の槍は不可視の刃によって空中で微塵に切り裂かれ、虚しく霧散した。インゲニウムが次に見たのは、自分の目の前に立っている漆黒の死神の姿だった。
「が、ぁ……!?」
鈍い音。インゲニウムの詠唱を紡ごうとした両腕が、肩の付け根から鮮血を噴き上げて床に転げ落ちていた。
激痛に悲鳴を上げる暇すら与えられない。エグゼクティオは無造作にインゲニウムの髪を掴み上げると、床に力任せに叩きつけた。大理石の床が砕け、インゲニウムの口から大量の血が吐き出される。
「待って、エグゼクティオ。まだ殺さないで」
私が声をかけると、エグゼクティオは振り下ろそうとしていた剣をピタリと止め、忠犬のように一歩退いた。
私はゆっくりと歩み寄り、血の海でのたうち回る若き天才を見下ろした。彼の目はすでに死の恐怖に染まり、涙と鼻水に塗れている。
「インゲニウム。あなたは天才と呼ばれ、元老院の未来と持て囃されていた。私も、あなたの提出する法案は理にかなっていると思っていたわ。……でも、あなたは私を助けてくれなかった。私が議会で嘲笑われていた時、あなたはいつも目を伏せて、沈黙を守っていた」
「ちが、う……私は、立場が……!」
「ええ、分かっているわ。だから、あなたも同罪よ。無関心もまた、私にとっては立派な暴力だった」
私はドレスの裾が血で汚れるのも構わずしゃがみ込むと、インゲニウムの耳元に唇を寄せた。
「あの世で、肥え太った豚たちに伝えなさい。私が全てを壊してあげるから、特等席で見ていなさいと。あの世が、あればいいわね♪」
私が合図を送るよりも早く、エグゼクティオの剣が一閃した。
インゲニウムの首が胴体から離れ、虚ろな目をしたまま転がっていく。百年の一人の天才は、その才能を活かすことなく、あっけなくただの肉塊へと変わった。
静寂が戻った王座の間。
漂うのは、むせ返るような血の匂いと、微かな雨の匂いだけ。
エグゼクティオは剣の血糊を払い落として鞘に収めると、再び私の前に跪いた。彼の顔には返り血が点々と飛び散り、それが彼の白く美しい肌をひどく扇情的に彩っていた。
「片付きました、ヴェネフィカ。後始末は夜明けまでには終わらせてみせましょう」
彼の瞳は、私からの褒め言葉を期待する子どものようにキラキラと輝いている。
どれほどの命を奪おうとも、この男の心を満たすのは「私への奉仕」だけなのだ。
その事実が、私の胸の奥底に空いていた暗く冷たい穴を、どろどろとした熱い何かで満たしていく。復讐を果たしても消えることのない虚無感を、この怪物の狂おしいまでの愛情だけが、唯一埋めてくれる。
「ええ、頼むわ。エグゼクティオ。……あなただけよ。私をこんなにも愛して、私のために世界を壊してくれるのは」
私は彼を抱き起こし、血に濡れた頬に両手を添えた。
そして、躊躇うことなく彼の唇に自らの唇を重ねる。鉄の味がした。だがそれは、今まで私が宮廷で味わってきたどんな美酒よりも甘く、私の頭を芯から痺れさせた。
狂宴の夜は、まだ終わらない。私たちが互いの狂気と愛を確かめ合うように、王都の空には今日も弔いの鐘が鳴り響き続けていた。




