XX45年5月21日『カステル都市群総合原子研究所』:量子実験開始
やがて、制御室にカウントダウンが表示された。
『実験開始まで残り六十秒』
そう言うログが表示されると共に室内からは会話が聞こえなくなった。先ほどまで聞こえていたキーボードの音も止み、誰もが目の前のモニターへ視線を固定している。その間にもカウントダウンは進み、
『三十秒前』
になっていた。私は制御卓へ両手を置き、
「全セクションの最終確認を」
私の声に対し、各職員から次々と応答が返ってくる。
「超伝導磁石群、正常稼働中です」
「冷却システム、正常に稼働しています」
「真空維持システム稼働中」
「主電力系統・予備電源系統スタンバイ」
「粒子生成装置、準備完了です」
私は一つ一つ確認し、最後に頷き指示を出した。
「全システムの正常を確認した。これより実験シーケンスを開始する」
制御卓に設置された認証端末へIDを入力する。それに続けて、残りの認証を完了させた。巨大モニターの中央には大きく文字が浮かび上がる。
『実験シーケンス開始』
『粒子生成装置、起動』
地下深く。数百キロメートルに及ぶ加速リングの一角で、生成装置が稼働を開始した。生成された粒子ビームは、超電導磁石による電磁場によって整列させられながらゆっくりとリング内部へ注入されていく。
『リングα、粒子注入開始』
『リングβ、粒子注入開始』
モニター上に二本の光が現れた。が、数秒と経たないうちにその点は線へと変わっていく。それは加速を続けながら巨大なリングの内部を周回し始めた。
「粒子ビームは安定しています。軌道誤差も許容範囲内です」
「超伝導磁石出力、10パーセント」
「加速開始」
研究員たちの報告が続く。しかしそのどれもが、成功を告げる報告だった。リング内部を周回する粒子は徐々に速度を増していった。
20、30、40パーセントと出力は上がっていった。そして出力の上昇に合わせるように、施設全体の消費電力も指数関数的に増加していっていた。
だが、すべての値はシミュレーション通りだった。
「加速順調です。シミュレーションからの誤差0.1パーセント」
「ビーム軌道、安定しています」
「冷却系統にも異常なし」
誰かが小さく息を吐くのが聞こえた。その声を聞いた研究員たちの表情にも、僅かな安堵の表情が浮かび始めていた。人類史上最大の粒子実験は、順調そのものに見えた。出力は安定した状態でさらに上昇を続けたが、そこには揺らぐ気配すらなかった。
「超伝導磁石出力、50パーセント」
「リングα、リングβともに安定稼働を継続しています」
「冷却システム、全系統正常」
モニター上を高速で周回する二本の粒子ビーム。その軌道は寸分の狂いもなく巨大なリング内部を走り続けていた。
そして数分のうちに70パーセント付近まで出力は上昇した。出力が増加するにつれ、施設全体の消費電力は急激に増加していっていた。しかし、それに合わせるように都市群全体から送られてくる膨大な電力と予備電源がそれを補っていた。
巨大モニターの一角には、リアルタイムの電力消費量と供給量が表示されていた。その数値は、一つの国家が消費する年間電力量に匹敵する規模にまで達していた。
「電力供給網、依然として安定しています」
「主コンデンサ群、充電率100パーセントを維持しています」
「予備電源の出力を低下させます。予備電源、待機状態に移行させましたが、電力は足りています」
報告を聞きながら、私は静かにモニターを見つめ続けた。
『出力・80パーセント』
その表示が現れた瞬間、制御室の空気が一段と張り詰めた。報告の声が止まり再度室内は静まり返った。
ここから先は、これまで人類が到達したことのない領域だった。この規模の原子加速器だからこそできるこの出力が引き起こすことを誰しもが想像できなかった。
「博士、予定シーケンス通りなら、あと五分で目標出力へ到達します」
「了解。全セクション、警戒レベルを最大へ。どんな小さな異常も見逃さないように」
「了解」
研究員たちは一斉に返答した。
加速器の出力はやがて90パーセントに到達した。到達加速リング内部を周回する粒子は、もはや観測装置によってのみ位置を把握できる領域へ到達していた。
モニターに表示される結果は、これまでのあらゆる実験記録を大きく塗り替え続けていた。
「目標出力到達まで残り十秒です」
制御室全体にそういう報告が響きわたった。そして誰もが息を呑む。
『九、八、七…』
そう刻々とカウントダウンが続いていく。カウントが減るにつれ私の額には、いつの間にか汗が滲んでいた。
カウントが終わった次の瞬間、巨大モニター中央に新たな文字が表示された。
『目標出力到達』
『出力・百パーセント』
一瞬の静寂。そして制御室は歓声に包まれた。
「出力実験成功です」
「全システム正常です。異常値ありません」
研究員たちは互いに喜びを分かち合い、制御室には安堵と達成感が満ち溢れていた。
「第二試験を開始します」
そう言う、報告と共に試験は次のフェーズへと移行していった。




