XX45年5月21日『カステル都市群総合原子研究所』
三年前・XX45年5月21日『カステル都市群総合原子研究所』
「加瀬博士。実験の準備は完了しています。いつから開始しますか?」
一人の研究員が、原子加速器の監視を行う中央制御室で私にそう告げた。
制御室の正面には壁一面を覆う巨大なモニター群が並んでいる。そのすべてに、加速リングの状態、エネルギー出力、超伝導磁石の稼働状況が映し出されていた。
室内では数十人の研究員たちが、それぞれの端末に向かい慌ただしく最終確認を進めている。キーボードを叩く音と、それぞれの機器の駆動音だけが静かに響いていた。
「実験開始は十分後に開始する。それまでに各自、全システムの再確認をしておくように。そして少しでも異常が見つかったら私に報告して」
私はそう言うと、手元のタブレット端末を閉じた。
「これから行う実験には多大なエネルギーが内部で発生するはず。だから一つ残らず念入りにチェックするように」
「了解しました」
研究員は短く返事をすると、慌ただしく設備の点検へ向かった。私も実験資料を片手に制御卓から離れ、原子加速器の確認を始めた。ガラス越しに見える巨大な加速リングを見ながら手元のチェックシートへ一つ一つ確認済みの印を付けていく。
その後、管理センターへ戻りすべての部分の確認を始めた。
カステル原子加速器――それは人類史上最大級の原子加速器だった。地下深くに建設された全長数百キロメートルにも及ぶ巨大施設になっており、その加速路は都市群を囲うようにして走っている。そんな加速器を2本兼ね備えたこの研究所はどの面から見ても規格外なものだった。その建設には数十年という歳月と、都市圏全てからの莫大な研究資金が費やされている。
そして今日行われるのは、その本格稼働に向けた最初の実証試験だった。
もしこの実験が成功すれば、従来の加速器では到達できなかった超高エネルギー領域の観測が可能になる。それだけではない。他の原子加速器では出来ないような未知の元素合成、新素材開発、さらには新たなエネルギー技術の確立すら期待されていた。
私は制御室を後にすると、中央情報管理センターへ向かった。管理センターの内部では、施設全域の稼働状況が巨大なホログラムあちらこちらに表示されていた。そこには地下深くを環状に走る二本の加速リング、数百基にも及ぶ超伝導磁石のようなメイン機器から冷却設備、補助電源、エネルギー供給設備のような他の設備までそのすべてが正常を示す青色で表示されていた。
博士は端末を操作し、一つずつ確認を行っていく。
『稼働ステータス』
『超伝導磁石群・正常』
『冷却システム・正常』
『電力供給網・正常』
端末に表示される項目に異常は見つからなかった。その時、一人の研究員が駆け寄ってきた。
「博士、リングα、リングβ。両ともに真空度は規定値へ到達しました。粒子注入準備、完了しています」
「分かりました。こちらの端末からも確認しています。システムに異常は見つかりましたか?」
「すべての機器の確認がちょうど終わりました。異常は見つかっていないとのことです。予備電源も正常に稼働中です」
「加速路内部の残留粒子密度はどうなっていますか?」
「現在、許容値を大きく下回っています。試験開始に支障はないとのことです」
「了解しました。引き続き監視を継続するように」
そう指示を出すと研究員は一礼し、再び自分の持ち場へ戻っていった。実験の項目を確認しながら腕時計へ視線を向けた。時計の示す時刻は実験開始の五分前を示していた。
開始時間に近づくにつれ、管理センターの緊張感は徐々に高まっていっていた。しかし、その場にいる誰一人として失敗想定していない。
これまで数年にわたって繰り返された計画の改善、シミュレーションの結果。それらが、成功を示してきたからだった。
やがて、制御室全体に音声指示が入る。
「実験開始まで残り二分です。各職員は持ち場についてください」
アナウンスが流れると同時に、研究員たちは一斉に端末へ向き直った。私も中央制御卓へ戻る。
巨大モニターには、これから稼働する二本の加速リングの模式図が映し出されていた。緊張を紛らわせようと私は静かに深呼吸をした。辺りの冷たい空気が肺を満たした。そして、声を漏らす。
「世界初の実験がここで始まる…」
誰もが、人類の新たな時代が始まる瞬間に立ち会っていると信じていた。




