サステル:祐の自宅:最終夜
静まり返った家の片隅で祐が作業デスクに向かって背を向け、基板の微細なはんだ付けを繰り返す音が、規則正しいリズムで響いていた。
俺は壁に背を預け、闇に沈んだ窓の外を見つめていた。サステルの街には、まだいくつもの灯りが残っている。だが時間が経つにつれ、その数は少しずつ減っていった。限られた電力を無駄にしないためだろう。人々は夜になる前に活動を終え、必要最低限の灯りだけを残して眠りにつく。
かつて築き上げた眠らぬ街の面影はひとかけらも残っていなかった。
夜になれば眠り、朝になれば動き出す。それはまるで、人類が文明の灯を手にする以前へ逆戻りしたようだった。
祐は、作業する手を止めないまま、不意に口を開いて言った。
「……お前が渡してくれたあのモジュール。あれがあれば、この街の寿命をまた延ばすことができる」
はんだごての先端から、白い煙が細く立ち上り、天井に消えていった。
「でもな、俺は科学者なんだ。本当は、こうやって壊れた設備を修理して回るだけで終わりたくはなかった」
祐は小さく笑った。その声は、自嘲するようでもあり、諦めを飲み込んだようでもあった。
「……俺も、本当はセストレアへ行きたいと今でも思っている。あそこは、俺たちの研究のすべてのある場所なんだ。セストレアへ行ってMRLをこの目で確認したい。そして、MRLの息を吹き返させる…そこまでしたかった」
そして、わずかに視線だけをこちらへ向ける。
「だが、俺には無理だ。ここを離れた瞬間、この街は止まってしまうからな」
祐は作業する手を止めず自嘲気味に笑いながら、そばに置かれたAlphaの頭を軽く叩いた。
「Alpha。こいつを、絶対に死なせるなよ。壮士が死んだらセストレアの状況も分からない。それに、MRLを復旧できなくなるんだ」
「了解しました。しかし、人間はアルゴリズムに基づいた最適行動よりも、その場の感情と直感を優先する傾向があります。特に緊急時においては、合理性を欠いた判断を行う可能性が高く、安全確保の難易度は上昇すると予測されます」
「はは……違いねえ」
祐は肩を揺らして笑う。
「人間なんて誰しもそんなもんだ。常に冷静に動けりゃ誰も苦労しねえよ」
そう言いながら、祐は机の引き出しを開き、小さなUSBメモリをこちらへ放り投げた。
「壮士。これも持っていけ」
俺は反射的にそれを受け取る。
「それには、セストレアの全管理権限へのアクセスコードが入ってる。俺が最後に研究区画を離れる前に、半分違法みたいな方法で抜き出したデータだ」
祐は苦笑した。
「まあ、あの状況で違法もへったくれもなかったがな…」
祐は作業にまた戻ろうとしたが何かを思い出し、俺に向き直り言葉をつづけた。
「あと、崩壊直前に個人的に集めてたセストレア周辺の地形データもそこに入ってる。今となっては地形ごと吹き飛んでても不思議じゃないが……参考程度にはなるはずだ」
そして、視線をAlphaへ向ける。
「まあ、この情報量があれば、後はこいつが現地で補正してくれるだろ」
「可能です。現在の地形との違いをリアルタイムで修正し、ルートを再構築します」
外では、巨大な風車が夜風を切る「ウォン……ウォン……」という低い音風切り音が、鼓動のように響いていた。
祐は再び作業へ戻りながら、小さく言う。
「ちゃんと寝とけよ、壮士。次、まともに熟睡できるのがいつになるか分からねえぞ」
はんだごての光が、暗い部屋の中で小さく明滅した。
「……それに、明日の朝。お前が出ていく時、俺は多分、見送りなんかしないかもしれねえ」
少し間が空く。
「たぶん、泣きそうな顔になるからな」
そう言って、祐は背を向けたまま再び作業を始めた。
基板に向き合い、配線を繋ぎ、モジュールを組み直していくその姿は、崩壊前――研究室で何日も徹夜しながら共同研究を続けていた頃と、何一つ変わっていなかった。頼もしくて、馬鹿みたいに研究に真っ直ぐな祐だったからこそ、この街は今も生き残っているのだろう。
俺は簡易ベッドへ身体を横たえた。薄いマット越しに伝わる硬さですら、今は妙に心地良かった。これから先、こんな風に安心して眠れる夜は、しばらく来ないかもしれない。俺は天井を見上げたまま、静かに口を開く。
「祐、ここからセストレアまで行って、戻ってくるまで……少なくとも一年はかかりそうだ」
部屋の奥で、祐の手が一瞬だけ止まった。
「その間、この街を頼んだぞ」
俺は続ける。
「それにここは、セストレア地下送電網との直結ポイントだったはずだ。もし向こうでMRLを復旧できたら……俺が返ってくるより圧倒的早く、電力だけがここへ辿り着くはずだ」
脳裏に、旧文明時代の光景が浮かぶ。夜という存在を無くすかのような街の明かり。完全に眠ることを忘れた超巨大都市群。MRLによって無限に近いエネルギー供給を受けていた、あの時代。
「突然、街中の灯りが全部戻ったら――それが俺からの合図だ」
薄暗い天井を見つめながら、小さく笑う。
「その瞬間、サステルは強制的に眠らない街へ逆戻りする。崩壊する前の文明へとな。工業も研究も進め放題なあの時代に逆行する」
少しだけ間を置き、
「……だから、それまで街を滅ぼすなよ。これで受電側が壊れてたら笑えないからな」
研究室の奥から、鼻をすする小さな音が聞こえた。祐は背を向けたまま、ぶっきらぼうに言い返す。
「……電力輸送のオーバーロードで街の基板ごと焼くんじゃねえぞ、バカ野郎」
その声は、少し震えていた。やがて、再び作業音が鳴り始める。
チッ……チッ……と言うはんだごての規則正しいその音を聞きながら、俺の意識はゆっくりと沈んでいった。
最後に見えたのは、暗い研究室の中で、たった一人、街の未来を繋ぎ止め続ける旧友の背中だった。




