サステル:祐の自宅
俺は、祐の家へと訪れていた。
建物自体は研究棟の一角を半ば無理やり居住区へ改装したような場所だった。自動ドアは既に壊れ、配線が剥き出しになったまま固定されている。中へ入ると、微かな機械音と熱を帯びた空気が迎えてきた。
室内には研究機材が散乱していた。分解途中の端末。開かれたままの制御パネル。床を這う大量のケーブル。壁際にはサーバーが高く積み上げられ、低い駆動音を鳴らしていた。その光景を見た瞬間、思わず苦笑が漏れた。
――変わっていない。
崩壊前、研究所に泊まり込みながら研究をしていたあの頃の祐と何も変わっていなかった。整理されているようで全く整理されていない机。だが本人だけは、どこに何があるか完璧に把握している。そんな研究室特有の空気が、今もこの場所には残っていた。
「そこに腰を掛けたらどうだ」
俺は促されるまま椅子へ腰を下ろした。座った瞬間、全身の痛みが一気に意識へ浮かび上がってくる。足だけじゃない。高速移動と着地の衝撃で、全身の筋肉が悲鳴を上げるほど限界まで酷使されていた。
祐はそんな俺の様子を横目で見ながら、先ほどの話の続きを始めた。
「お前のことだ。ただの好奇心でセストレアに行こうとしてるわけじゃないんだろ」
低い声だった。
「だけどな……」
祐はゆっくりと棚の方へ視線を向ける。そこには、一機の模型が置かれていた。
――MRL。
かつて俺たちが共同研究していた技術。それを小さく縮小したかのような模型だった。その金属製のフレームは埃を被っている。だが、祐が今まで捨てずに残していたことだけは、それだけで十分伝わってきた。
「俺たちが研究してたあの技術。セストレアで運用されてたあのシステムが、崩壊前の世界をどれだけ変えたか……お前なら分かってるだろ」
祐は小さく笑う。だがその笑みは、自嘲に近かった。
「あれが完成した時、俺たちは本気で世界が変わると思ってた」
静かな声だった。
「世界中のエネルギー問題を終わらせて、輸送も、都市も、全部次の時代へ進めるってな。……だが今じゃどうだ。そんな時代が来る前に世界そのものが先に壊れたんだ」
部屋の隅で変圧器が低く唸る。その音だけが、一瞬だけ部屋を支配した。
「それに、あそこへ行ったところでMRLを復旧できる保証はない。あれだけ執念深く破壊されたんだ。今でも動かせるかなんて……誰にも分からない」
「それでも可能性が残っている限りはそれを確認するまでやめることは無い」
俺は迷うことなく即答した。
「どれだけ言われても、セストレアへの足を止める気はない」
もう一度念を押すように言った。祐は少しだけ目を伏せ、それから深く息を吐いた。
「……変わってないな、お前」
祐は周囲を見渡す。剥き出しの配線。唸り続ける設備。繋ぎ繋ぎで延命された発電制御端末。この部屋そのものが、今の世界だった。
「俺も同じ研究をしてた人間の一人として、本当なら行くべきなんだろうな」
だが、と祐は窓の外を見る。窓の向こうにはサステルの街が広がっていた。補修された道路。弱々しく点灯する街灯。遠くで動く輸送車両のライト。
「見ての通りだ」
祐は静かに言う。
「今の俺は、この街唯一のインフラ技術者だ。皮肉なもんだよな。世界の発電事情を覆そうとしてた科学者が、今じゃこの小さな街の風車と変圧器を維持してる」
苦笑する。
「だけどな俺がここを離れれば、この街の灯りは数日で消えてしまう」
その言葉に冗談は混じっていなかった。祐は立ち上がると、棚の奥から重厚なケースを取り出した。ロックを外し、ゆっくりと開く。内部には二つのモジュールが収められていた。
『NL-01 Reflex Link』
『AX-03 Grav Shift』
見ただけで分かる。市販品用の代物ではない。研究開発などで作られた試験用の高性能モジュールだ。
「一緒に行けない代わりに、俺からの餞別だ」
祐はケースをこちらへ押し出す。
「今のお前のアシストシューズじゃ、セストレアの都市部へ入る前に脚の方が先にやられるぞ」
祐は既に工具を取り出していた。
「今日中にこいつらを組み込んでおく。後はAlphaの調整だな」
そう言うと、慣れた手つきでAlphaの外部ポートへケーブルを接続していく。
「Alpha。数年ぶりだな」
祐は少しだけ笑った。
「俺は行けない。だから代わりに壮士を頼んだぞ」
数秒の通信音。そしてAlphaが応答する。
「認証確認。……祐博士、データ受信を完了しました」
わずかな沈黙。
「アップデートによって生存率は0.8%から12%まで上昇しました」
「……たった12かよ」
祐は呆れたように笑った。
「相変わらず辛口だなお前は」
だが次の瞬間、その表情は真剣なものへ変わる。
「壮士。しばらくここで休んでいけ」
祐は俺の足を見る。
「その状態じゃ回復に数日はかかる。シューズの調整も一晩じゃ終わらない」
そして静かに続けた。
「明後日、北門まで送る」
その言葉の意味は重かった。
「そこから先は、本当の意味で死んだ世界だ」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「サステルみたいな街は、もう無い。この先にあるのは廃都市だけのはずだ」
俺は祐が用意した簡易ベッドへ腰を下ろした。その瞬間、張り詰めていた緊張が一気に解ける。押し殺していた痛みが、波のように全身へ押し寄せてきた。足の奥が焼けるように痛む。視界も少し霞む。それと同時に、猛烈な眠気が襲ってきた。
まだ話したいことはあった。聞きたいことも、山ほどあった。だが、体力が限界だった。
薄れていく意識の中、最後に見えたのは――作業デスクへ向かい、無言でアシストシューズを調整し始める祐の背中だった。
世界は崩壊し、複数の都市は死に、人も消えた。それでも祐は、この都市を守り、あの頃と変わらず機材へ向かい続けていた。




