第1話―⑤ 「意見書には書かなかったこと」
翌日の午後。
桜井が空港サテライトから事務所に戻ると、デスクの上に一枚のメモが置かれていた。
――「大学病院の亀井先生より、折り返し電話のお願い」 胸の奥が、わずかにざわつく。
すぐに医局へ電話を入れると、本人が出た。
その日の夕方7時、新橋で会うことが決まった。
電車の中で、桜井は手帳を開く。これまで書き留めてきた疑問。仮説。引っかかり。
それらを、一つずつ、指でなぞるように読み返した。――何かが、まだ出てきていない。
待ち合わせ場所には、すでに亀井が来ていた。
アノラックにジーンズ姿。白衣のときとは、まるで別人だ。 だが、すれ違いざまにふっと漂った 消毒液の匂いが、彼の正体を思い出させた。
「この匂いで、すぐ病院の人だってバレるんですよ」苦笑しながら、いつもの癖で髪をかき上げる。
2人は、烏森神社裏の小料理屋「屋森」の暖簾をくぐった。
常連しか知らない、小さな店。奥の三畳ほどの小上がりは、冗談まじりに“ロイヤル・ボックス” と呼ばれている。
最初のビールのグラス空いたころ――亀井の表情が、ふいに変わった。
視線が、テーブルの一点に落ちる。「……意見書には、書かなかったんですが」
桜井は、何も言わず、自然に身を乗り出した。
「実は、少し気になっていたことが、いくつかあります」亀井は言葉を選ぶように、
一拍、間を置いた。
「確信があったわけじゃない。だから、公式な書類には書けなかった」
そう前置きして、小さく息を吐く。
「でも……“偶然”として片付けるには、どうしても引っかかる点があったんです」
桜井は、その続きを急がせなかった。今、目の前にいるのは、証拠を語る男ではない。
良心と職業倫理の間で、長く迷ってきた人間だった。
亀井は、グラスの縁を指でなぞりながら、静かに続けた。
「検視のとき、ある共通点が目に入ったんです」
「それは――老人ホームの方々にだけに、見られたものでした」
店の外では、新橋通りの雑踏がいつもどおり流れている。
だが、この小さな小上がりの中だけ、空気が変わっていた。
桜井は確信する。――ようやく、“偶然ではない何か”が、語られようとしている。
――――――――――――――― 次回予告―――――――――――――――――
検視報告書には書かれなかった、「老人ホーム関係者だけに共通する違和感」
それは、機内で“偶然”起きたとは到底思えない光景だった――。
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