■ 捜査編 ■ 第1話―① 羽田に残る「事故の記憶」
JNL羽田オペレーションセンター2階。
そこには、JNLの「特別便事故対策室」が設置されていた。
同じフロアの奥には、5年前――1985年8月。乗客乗員223名が犠牲となった
JNLジャンボ機墜落事故の「ご遺族対策室」が、今もそのまま残されている。
そして3階には、国家公安委員会による「特別便事故調査室」。
この建物そのものが、日本航空史の「痛み」を記憶していた。
当時、特別便到着準備スタッフとして現場にいた男がいる。
JNL社員――桜井真一。最初に異変に気づき、航空管制官へ連絡した人物だった。
事故翌日から、桜井は「特別便ご遺族接遇室」の担当となり、1年以上にわたって遺族対応の 最前線に立ち続けた。
K大空手部出身。体力と精神力には自信があった桜井も、最初の1か月は帰宅できず、
事務所のソファで寝泊まりした。着替えと洗濯物は、妹が事務所まで届けてくれていた。
5年前のジャンボ機事故当時、先輩から聞かされた話は、あまりにも過酷だった。
関西地区担当となった空手部の先輩は、遺族の1人が元暴力団関係者だったため、
殴る蹴るは日常茶飯事。罵声を浴びせられ、犬猫のように扱われたという。
警察に相談しても、返ってきた言葉は――「遺族の心情を考えれば、我慢するしかない」
補償金は平均1億円。だが、その遺族には 3億円が支払われた。
それに比べれば――今回の特別便は、事故ではない。明白な大量殺人事件だった。
遺体の損壊は比較的少なく、身元確認も容易。犠牲者の半数近くは高齢者。
補償交渉は概ね順調に進み、1年後の現在、全体の9割は決着している。
だが――政財界・マスコミ関係者の遺族との交渉は、難航を極めていた。
彼らの主張は一貫している。「青酸ガス発生装置を空気循環ダクトに仕掛けられたのを
防げなかったのは、JNLの責任だ」
マスコミはこの論調を後押しし、世論はJNLへと厳しく傾き始める。
会社は今、英国の大手保険会社と補償額をめぐる神経戦の渦中にあった。
――そして。この事件を「事故ではない」と断じる男が、ついに捜査本部に姿を現す。
―――――――― 次回予告―――――――――
特別便事件の捜査本部に、ついに一人の男が姿を現す。
冷静沈着。妥協を許さぬ、叩き上げの刑事。大岩警部。
彼は、この特別便事件を「偶然」でも「不運」でもなく、
明確な意図を持った殺人だと見抜く。
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