■ 復讐の序曲 ■ 第1話 緑風会という名の医療帝国 ――沈黙の上に築かれた成功
医療法人緑風会。
それは、戦後日本において「理想的な医療法人」として語られてきた存在だった。
創設者は、元陸軍軍医の橘昭一。
戦時中、満洲の 731部隊 に所属し、捕虜を使った人体実験に関与していた軍医である。
終戦後――橘は、部隊長・石井中将と共に帰国した。
だが、彼が戦犯として裁かれることはなかった。
GHQの取り計らいによって、追及は免除され、そのまま厚生省に入省。
そして定年後、橘は医療法人「緑風会」を設立する。
東京・三田。200床規模の 橘病院 を開設。やがて、病院は次々と増えていった。
長男は、五反田の橘外科病院。次男は、新橋の橘内科病院。いずれも、帝都大学医学部出身。
医療。行政。そして政治。
橘一族は、戦後日本の中で「正統な成功者」として語られてきた。
誰もが口にするのは、社会貢献。高度な医療。地域への奉仕。
だが――その礎に、何が沈められているのかを語る者はいない。
沈黙の上に築かれた帝国は、今もなお、静かに人々を癒している。
二つの老人ホーム――偶然か、それとも必然
橘外科病院には、介護施設 「なごみ老人ホーム」 が併設されていた。
一方、橘内科病院は、蒲田駅界隈に 「櫻老人ホーム」 を開設している。
ここに――ひとつの、不思議な符合があった。
奥野忠雄の妻・静江は、看護師資格を取得したのち、現在 「なごみ老人ホーム」 に勤務している。
そして――宇野早苗は、「櫻老人ホーム」 で看護師として働いていた。
奥野工業が消滅し、宇野清二が年金暮らしに入った頃。
「櫻老人ホームで、経理担当者を探しているらしいわ」
そう聞いた早苗が、何気ない口調で言った。「一緒に働いてみない?」
理事長は、橘内科病院院長の妻。
看護婦長である早苗を全面的に信頼しており、宇野の採用は、ほとんど即決だった。
銀行と工場で長年、経理を担ってきた宇野にとって、老人ホームの経理業務は難しくなかった。
合間には、リハビリ室で体を動かす時間もある。
70を過ぎた身体を支えるには、むしろ恵まれた環境だった。
――だが。心は、違った。
宇野の胸の奥には、沈殿したまま動かないものがあった。
忘れようとしても、消えてはくれない記憶。
沈黙を守ってきた年月。そして――いま、自分が立っているこの場所。
二つの老人ホーム。二つの病院。ひとつの一族。
それは、偶然と呼ぶには、あまりにも整いすぎていた。
―――――――――― 次回予告―――――――――
宇野の胸に沈殿する、消えない「罪 と決意」
復讐は、怒りから始まらない。まず、「覚悟」が沈む。
宇野の内面が静かに語られ始める。
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