第6話 正恩寺と無縁仏の記憶
数人の古老に話を聞くうち、宇野は、思いがけない言葉を耳にした。
「昔な……鬼火谷の崖から落ちて死んだ女がおった」
胸の奥が、ひくりと動く。
続いて、別の老人が、ぽつりと付け加えた。「津田村長がな、正恩寺に頼んで、
他の無縁仏と一緒に、丁重に供養させたらしい」
――正恩寺。その一言で、宇野の中で、散らばっていた断片が、静かに一つへと結びついた。
鬼火谷。崖から落ちた女。津田村長。そして――無縁仏。
宇野は、その足で正恩寺へ向かった。
寺の住職は、五十代前後。他所の村から養子に入った身で、詳しい事情までは知らないという。
それでも、宇野の話を黙って聞き終えると、静かにこう言った。
「無縁仏の墓なら……」 住職は、境内の奥へと宇野を案内した。
そこには――ダム工事中の事故で亡くなった渡り人足。村で行き倒れになった旅人たち。
そして、名も知られぬまま葬られた者たちが、供養塔の下に、土葬されていた。
墓標はない。名前も刻まれていない。ただ、「人として弔われた痕跡」
それだけが、静かに残されている場所だった。
宇野は、その前に立ち尽くした。ここに――早苗の母が、眠っているかもしれない。
誰にも語られず、歴史にも記されず、それでも――確かに生き、
そして、殺された一人の女性が。
宇野は、供養塔の前に立ち、静かに合掌した。
――あなたの娘・早苗は、今は日本で、私と共に穏やかに暮らしています。
――千鶴という、とても優しい孫娘も生まれました。
声には出さず、ただ心の中で、そう語りかけた。
しばらくの沈黙のあと、宇野は、供養塔の石肌に付着した石苔をそっと指先で摘み取った。
それは、ここに「確かに誰かが眠っている」という、小さな、しかし確かな証のように思えた。
東京へ戻った宇野は、早苗に、古舘村で起きたことを、すべて包み隠さず話した。
そして、掌の上にあの石苔をそっと置いた。
早苗は、それを両手で包み込むように抱え、しばらく言葉を失った。
やがて、朝鮮語で、母に語りかけるように祈り始めた。
静かな声。だが、それは、長い年月、胸の奥に閉じ込められていた言葉だった。
やがて――早苗は、声を上げて、泣き崩れた。
言葉にすることすらできなかった「母の死」。
その魂は、ようやく、娘のもとへ帰ってきたのだった。
―――――――――― 次回予告―――――――――――――――
母の供養は、ひとつの区切りにすぎない。
宇野は次第に、「無縁仏にされた者たちの共通点」に気づき始める。
そして――物語は、静かな祈りを越え、復讐の序曲へと。




