■ 古舘村と「ダム湖の底」 ■ 第1話 38年ぶりの古舘村
38年ぶりの古舘村――すべては水底に沈んでいた
1982年10月。宇野は、38年ぶりに古舘村を訪れた。
四方を囲む山々は、紅葉が始まり、赤や黄に染まりつつある。
かつて、軍用トラックしか通れなかった鬼火谷の崖道は、すでに舗装されていた。
時代は、確実に進んでいた。
だが――彼を打ちのめしたのは、その先にあった現実だった。
101部隊の施設跡は、ダム湖の底に沈んでいた。
完全に。跡形もなく。
これでは、地下施設も、そこに封じられた生物兵器という“物証”も、永遠に、水底へ 閉じ込められてしまったことになる。
宇野の目論見は、出発点から、崩れ去った。
満々と水を湛えたダム湖。その水面には、紅葉した山々が、静かに映り込んでいる。
あまりにも穏やかな風景。あまりにも美しい光景。
宇野は、ただ茫然と、その湖面を見つめることしかできなかった。
やがて――頭上で、トンビの甲高い鳴き声が響く。
我に返った宇野は、ダム外側のらせん階段を、ゆっくりと降りていった。
――すべては、本当に終わってしまったのか。
それとも、まだ何かが水の底で息を潜めているのか。
ダムに刻まれた名前――「西村土木」
ダムの外周に設けられた管理所の手すりは、赤茶けた錆に覆われていた。
「管理所」と記されたドアにも、同じように錆が浮き、長い年月を物語っている。
ノックしても、応答はない。鍵は固く閉ざされていた。
そのとき――宇野の目に、ドアの右上に取り付けられた一枚の銘板が入った。
――昭和23年11月1日 開所 施工:西村土木・加瀬組
「……西村土木?」 宇野の胸に小さな引っかかりが生まれる。
――西村総業と、何か関係があるのではないか。
言葉にできないざわめきを抱えたまま、宇野は古舘村の集落へ向かった。
そこにあったのは、かつての貧しい山村とは、まるで別の姿だった。
立派な門構えの家々。整えられた道路。38年前の記憶にある粗末な家並みは、
ほとんど残っていない。
当時、道路拡張工事で一度だけ顔を合わせた村長や三役の顔を思い浮かべる。
だが――彼らはすでに、この世の人ではなかった。
宇野は、身分を偽った。「平家の落人伝説を研究している者です」
そう名乗り、まずは鬼火谷上流に残る古い祠について尋ねる。
相手の警戒心が、少しずつ解けたころを見計らい、宇野は、何気ない口調で切り出した。
「ダムの近くに、昔、金山の廃坑がありましたよね。
そのあたりに、陸軍の施設があったと聞いたのですが……」
金山の話題には、誰もが笑顔で応じた。
だが――「軍の施設」という言葉が出た瞬間、空気が変わった。
「さあ……聞いたことはないですね」、「そんなものは、なかったと思いますよ」
返ってくるのは、同じ答えばかり。
誰ひとりとして、“心当たりがない”。まるで、申し合わせたかのように。
――本当に、何も知らないのか。それとも――知っていて、語らないのか。
宇野は、その沈黙の重さを、肌で感じていた。
―――――――――――― 次回予告――――――――――――
沈黙に包まれた古舘村で、ただ一人、口を開く老人が現れる。
その言葉は、封じられていた過去への小さな裂け目となる。
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