第7話 奥野忠雄の最期――疑念は確信へ
奥野夫婦と宇野夫婦には、「万事休す」という言葉しか浮かばなかった。
しかし宇野だけは、ある一点から目を逸らせなかった。
自衛隊機が、エンジン不調で墜落したという事実――。
あれは偶然ではない。
戦時中、天野中尉が自分と畑中を抹殺するためにエンジンに細工した。
それと同じように、今回もまた、東和の天野社長が奥野工業を追い詰め、乗っ取る目的で、 エンジンに“何か”を細工したのではないか――。
宇野の中では、ほとんど確信に近い思いが渦巻いていた。
そして翌1980年(昭和55年)2月22日 午前3時。
前夜から降り続いた雪が静かに積もる中――
奥野忠雄は、人気のない工場の片隅で、ひっそりと首を吊った。享年64歳。
その足元には、妻の静江と宇野夫妻に宛てた遺書が、折りたたまれて置かれていた。
奥野工業の消滅―――――会社は“丸ごと”消えた
1980年(昭和55年)2月22日。
奥野忠雄は、64年の生涯に自ら終止符を打った。
その後、事実上の倒産となった奥野工業では、5回にわたる債権者会議が開かれた。
最終的には、帝都銀行や防衛庁航空部の思惑も絡み、工場・社員・債務のすべてを 東和電機産業が引き受ける形で、奥野工業は“丸ごと”吸収されてしまった。
PW社も不安を抱いていた。
自衛隊機墜落事故の原因となった奥野工業を吸収した東和が、単独でエンジンを 納入し続けることに――。
しかし、その不安は打ち消される。
日米軍事委員会の有力メンバーであり、防衛大臣経験者でもある民自党幹事長 山曽根康路の「お墨付き」によって、PW社との契約は継続されることになったのである。
その間、経理の一切を任されていた宇野は、1年半にもおよぶ整理・清算業務に追われていた。
そして――
奥野が自ら命を絶った自宅と、棟続きだった工場は、債権回収のために東和系列の 不動産業者によって解体され、今は平地となっている。
―――――――――――― 次回予告――――――――――
残された静江、成長した清と千鶴。
けれど宇野の胸には、消えない“確信”が芽生えていた。
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