第5話 偽名という選択
その相談を受けた奥野は、数日後、静かにこう提案した。
「戦災で戸籍が焼けてな。 再申請が認められている」
一拍置き、続ける。「幼馴染で、 家族全員が亡くなった「 宇野清二」という男がいる。
和ちゃんが、 その男に“成り代わって” 戸籍を作ればいい。
その際、 早苗を“妻”として届け出るんだ」
それは、声を荒げることのない、だが――人生を大きく変える決断だった。
その夜。
奥野夫妻、斎藤、早苗の4人で、長い話し合いが行われた。
奥野夫妻が証人になると告げると、早苗は即座に、深く頭を下げた。
「カムサムニダ…… チョングメ カムサムニダ……」
(本当に……本当に、ありがとうございます)
斎藤も、覚えていた朝鮮語で答えた。
「ケンチャナヨ、 アンシムヘジュセヨ」 (大丈夫です。安心してください)
そして翌日。
蒲田の役所で、新しい戸籍は――驚くほど、簡単に作られた。
「宇野清二」 それが、斎藤和男の新しい名前となった。
4月17日。桜の花が咲き始める頃、早苗は、女の子を出産した。
その子は、「宇野千鶴」と名付けられた。
さらに奥野は、工務店から新築の一軒家を購入し、宇野家に贈った。
「和ちゃん…… いや、清二ちゃん。 これは、結婚祝いであり、 出産祝いだ。 これからも、 奥野鋳物のために頼むよ」
東京をはじめ、各都市の復興は凄まじかった。鋳物の仕事は増え続け、工場は 12名体制へと拡大していく。
忙しい日々の中で――宇野一家の、新しい人生が始まった。
―――――――――― 次回予告――――――――――
だが――過去は、名前を変えても消えない。
偽名で得た平穏の裏側で、斎藤(宇野清二)の戦争は、
まだ、静かに続いていた。
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