■斎藤中尉の戦後■ 第1話―① 除隊と、帰る場所への不安
昭和20年11月。
斎藤は、長崎の療養所で除隊命令を受けた。
右肺を失い、右足首には後遺症が残ったが、ようやく胸の痛みも和らぎ、杖なしで 歩けるまでに回復していた。
翌21年2月末。
斎藤は、東京都大田区の実家へ戻ることになった。
新聞で、東京が昨年3月の大空襲で焼け野原になったことは知っていた。
だが――両親にも妹にも、何通手紙を出しても返事はなかった。
不安を胸に抱いたまま、斎藤は長崎を発った。
広島、神戸、大阪、名古屋。どの街も、戦争の爪痕は凄まじかった。
だが、横浜を越え、東京へ入った瞬間、その光景は一変した。
ここは、もはや街ではなかった。
品川駅に降り立った斎藤は、言葉を失った。瓦礫、焼け焦げた鉄骨、立ち上る土埃と焦げた臭い。
蒲田の実家までは、ほとんど歩いて向かった。
だが――かつて木造家屋が軒を連ねていた道に、家は一軒もなかった。
幼い頃から通った小学校は、コンクリートの門柱だけを残し、無残な姿を晒していた。
ただ、運動場の半分だけが、新しい土で覆われているのが目に留まった。
斎藤の実家があった一帯も、完全に消えていた。
焼け残った材木やトタン板で作られた、掘っ立て小屋が、まばらに点在するだけ。
毎年この季節になると、中庭の梅の古木から、甘い香りが漂っていた。
しかし今――梅の木は黒く焼け焦げ、無残に崩れ落ちていた。
掲示板に並ぶ「尋ね人」の紙
郵便局跡の角に、真新しい掲示板が立っている。
そこには、鉛筆書きの「尋ね人」の紙が、幾重にも貼られていた。
斎藤は、胸のざわめきを押さえながら、一枚一枚、紙をめくっていく。
だが――両親の名も、妹の名も、見つからなかった。
その日、斎藤は朝から何も口にしていなかった。
軍用カバンに残っていた乾パンをかじり、冷え込みに震えながら、目蒲線のガード下で焚き火を囲む人々に頼み込み、
一夜を過ごさせてもらった。
翌朝。闇市で、ようやく雑炊にありつく。
その後、尋ね人掲示板を頼りに探し歩き――5か所目で、見覚えのある名を見つけた。
――奥野忠雄。
次回予告
幼馴染との再会。そして、知らされる真実。




