第2話―① 難航する下毛ダム計画 ② 初出馬・トップ当選という「正義」
下毛ダム計画は、当初から難航していた。
稲富村の三分の一が、先祖伝来の土地と家を失う。
それは、補償金の額では割り切れない問題だった。
金を積まれても、首を縦に振らぬ者は多い。
決着には、まだ時間がかかる――誰もが、そう見ていた。
だが、津田弘毅には、別の優先事項があった。目前に迫った熊本県議選でのトップ当選。
それを果たさねば、すべてが始まらない。
実弾と酒と料理で、票を買う
残り三か月。津田と西村土木の社長は、県下の「票田の実力者」たちを、次々と訪ね歩いた。
用意されたのは――彼らが想定する額の倍の実弾(現金)。それに、たっぷりの酒と料理。
当時の県政選挙では、「飲ませ、食わせ、包む」ことは、半ば公然の慣行だった。
選挙管理委員会も、落選候補の違反は調べても、当選者にまで手を伸ばすことはない。
津田陣営は、その現実を知り尽くしていた。
金は潤沢にあった。西村が用意する札束は、尽きることがなかった。
第2話―② 初出馬・トップ当選という「正義」
昭和24年5月25日。熊本県議選投票日。
夕刻から始まった開票は、2時間も経たぬうちに、大勢が決した。
津田弘毅――初出馬、トップ当選。常連県議に対し、実に1800票以上の大差だった。
結果が伝わるや、県知事、県庁幹部、各部局の役人たちが、次々と津田の事務所へ挨拶に訪れる。
その背後で――西村社長と土木・建築関係の運動員が、そっと現金の入った封筒を手渡していった。
津田は、この一夜で、「無名の村長」から「有力県議」へと変わった。
ダム位置変更という「静かな決定」
下毛ダムの建設位置が、正式に変更されたのは、昭和24年9月だった。
当初の稲富村案から――古舘村上流・金山の廃坑付近へ。
稲富村の村長は驚いた。だが、先祖伝来の田畑が守られたこに加え、すでに補償金を受け取っていた村民が多かったこと。
これらが重なり、大きな混乱にはならなかった。
一部の反対派には、「補償金返還+迷惑料」。追加の金が配られ、不満の声は、次第に消えていった。
古舘村の祠
古舘村では、村の中心部は、ダム湖の水面より高く、水没するのは一部の田畑と水車小屋のみ。
県議となった津田は、現村長に持ちかける。
「平家のご先祖を祀る、あの祠も、だいぶ古くなっていますな。西村土木と加瀬組で、
立派な社を建て直しましょう」
復員した若者の一部は反発した。だが――古老たちと村長の説得で、空気は変わっていく。
「ダム工事で、仕事も増える」、「ご先祖も、喜ばれる」村は、静かに流れに身を任せていった。
工事がもたらした「恩恵」
着工は、その年10月。
2年余りの工事期間中、復員兵たちは、人夫仕事で安定した収入を得た。
工事作業員の弁当は、古舘村婦人会が交代制で請け負い、、思わぬ潤いがもたらされた。
「社を建ててくれた」、「仕事を持ってきてくれた」
津田県議の人気は、ダム工事によって盤石なものとなっていった。
次回予告
ダムが完成。
そして――101部隊の痕跡は誰にも見えない水の底へ。
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