第22話 終戦による欲望と恐怖―――崖道のトラックで交わされた「取引」
翌朝。
遊郭の主人から、預けていたずっしりと重い軍用トランクを受け取った天野少尉と崎山上等兵は トラックで古舘村へ向かった。
走り出した直後は、昨夜の女の話で笑い声もあった。
だがやがて――芸者の口から聞いた「九州帝大での生体解剖」、「進駐軍による調査」の噂が 話題に上ると、車内の空気は重く沈んでいく。
「この話は、旅館の主人から聞いたことにして、 西村少佐に報告しておいたほうがいいな」
そう結論づけた頃、トラックは綾瀬村付近の崖道に差し掛かっていた。
そのとき――運転席の崎山が、前を見据えたまま口を開いた。
「天野少尉殿…… 以前、中佐殿と西村少佐殿と少尉殿が西村少佐の部屋で
酒盛りをされていた折のことです」
天野は横目で崎山をにらむ。
「そのとき肴を運んだ際、 たまたま耳にしたのです。 “例の軍需物資を秘匿している”という話を」
崎山は淡々と続けた。
「今回だけで120万円(現在なら6億円)。 中佐殿が隠しておられる軍需物資は、 相当な量でしょうな」
「崎山、貴様……誰かに喋ったのか?」
「いいえ。 そんなことをすれば、自分の“分け前”が減りますから」
「分け前だと!? 上官に楯突く気か!」
だが、崎山は一歩も引かない。「少尉殿が預かった現金2万円と、 いちばん大きなダイヤの指輪を
“ネコババ”されたのを、自分は見ております」
天野は、言葉を失った。
「間もなく部隊は解散します。 そうなれば上下関係もなくなる…… もし自分が進駐軍にこの話を 持ち込んだら、 どうなるでしょうか」
沈黙…その沈黙を破ったのも、崎山だった。
「自分は徳島出身です。 工事人夫を束ねていた親方は、叔父であります。
裏切るつもりはありません。 ただ―― 嫁をもらい、人並みの暮らしを始めるための
“元手”が欲しいだけです」
長い沈黙の末、天野は低く言った。
「……貴様の言い分にも一理ある。 少佐殿には、俺からうまく話をつける。
今回の件は、内密にしておけ」
崎山は、わずかに口元を緩めた。
731部隊の末路と、101部隊への「指示」
9月。
第2総軍の三塚大佐から、山曽根中佐へ新たな連絡が入る。
満洲の731部隊は、ソ連軍侵攻直後、囚人全員を青酸ガスで殺害し、施設を爆破。
石井四郎部隊長以下、関係者は本土へ撤退したという。
そのうえで――「101部隊も、同様の措置を取るべきだ」との意向が伝えられた。
山曽根は西村を呼び、施設の完全封鎖と化学兵器の廃棄を命じる。
ただし、研究資料の焼却は保留とした。7年に及ぶ研究は、彼にとって「国家に尽くした証」 であり、
研究者としての矜持そのものだった。
囚人たちの解放と、施設の封印
10月中旬までに、生き残っていた中国人・朝鮮人11名は、目隠しされたまま幌付きトラックに 乗せられ、久留米の第三国人保護施設へ送られた。
その後、施設の入口と換気口は封鎖され、化学兵器は廃棄された。
11月。多くの部隊が解散し、101部隊も終焉を迎えつつあった。
「お宝」と、消された男
そんなある日。崎山は天野から「内密な話がある」と呼び出される。
鬼火谷の祠近くに隠した軍需物資を掘り出し、その一部を「分け前」として渡す―という話だった。
松明も持たず、2人は雑木林へ入る。小さな祠と、地蔵尊。
「ここだ。まずは俺が掘る」
30cmほど掘ったところで交代。崎山は夢中でスコップを振るった。
70cmほど掘り進め、汗を拭った、その瞬間――ガツンと後頭部に鈍い衝撃。
声を上げる間もなく、崎山は穴の中へ倒れ込んだ。
天野は短剣を抜き、無言で心臓を突き刺す。
短い呻き声――それが、崎山の最後だった。
天野は淡々と土をかぶせ、枯葉で覆い、何事もなかったように立ち去る。
報告を受けた西村は、ただ一言。「そうか。ご苦労だった」
欲に駆られ、恐怖に縛られ、最後に裏切った者は、必ず同じ結末を迎える。
静かな山奥で、101部隊は、こうして闇に沈んだ。
――――――――――次回予告――――――――
だが――闇に沈められたはずの「罪」は、
本当に消えたのか。
戦後、沈黙が、再び動き出す。




