第18話 吐噶喇列島・K島
大刀洗基地の離陸から2時間後。
二式練習機は、投下目標である吐噶喇列島・K島上空に到達した。
畑中の合図で、斎藤は木箱を開ける。中には、黄色い液体を満たした分厚いフラスコ状の 容器が、5本入っていた。
事前に渡されていた航空写真の島の山肌に、5つの×印が記されている。
高度、100メートルで斎藤は指定された地点へ1本ずつ、慎重にフラスコを投下していった。
やがて島の各所から、黄色い煙が立ち上り、風に押されて煙はゆっくりと広がっていった。
人影はない。ヤギの姿も見えない。
2人は上空を旋回し、5カ所すべてから煙が上がっていることを目視で確認すると、
大刀洗基地への帰還コースに入った。
島に人の気配がなかったせいか、そのとき斎藤の胸に罪悪感は浮かばなかった。
燃料計ゼロ
K島を離れて、20分ほど経った頃。
畑中が計器板を覗き込み、眉をひそめた。「……おかしい。何だ、これは?」
「どうした?」
「燃料計が……ゼロを指している。 計器の故障だとは思うが……」
畑中は、エンジン出力を上げ下げし、反応を確かめる。
しばらくは、異常はなかった。だが——5分後。エンジンが、咳き込むような音を立てた。
畑中は必死に、燃料タンクからエンジンへ燃料を送る手押しポンプを押す。何度も、何度も。
だが、エンジンは再び回らなかった。
高度2千メートル。機体は、ゆっくりと降下を始める。
付近に、緊急着陸できる飛行場はない。陸地は見えるが、滑空距離の範囲外だった。
残された選択肢は、ただ一つ。海への不時着水。
推進力を失った機体は、きりもみ状態に入りかける。「斎藤……すまん。ダメかもしれん」
畑中の声が、かすかに聞こえた。
そして——激しい衝撃とともに、斎藤の意識は暗闇に沈んだ。
漁師の舟の上で 「兵隊さん! 兵隊さん! しっかりせんば!」 耳元で必死に呼びかける声。斎藤の意識は、ゆっくりと浮かび上がった。
息をするたび、右胸に鋭い痛みが走る。左手で押さえた胸には、血がべっとりと付いていた。
右足を動かそうとすると、足首に激痛が走る。
「助けてくれて……感謝する…… 畑中は……?」
船縁に手をかけ、周囲を見回す。だが、畑中の姿はなかった。
「もう1人の兵隊は? もう1人、乗っていたはずだ!」
問いただすと、漁師たちは、静かに首を横に振った。
「飛行機が、急に落っこちてきたとですよ。 あっという間に、頭からブクブク沈んでしもうて……
しばらくして、あんたひとりだけが浮いて来なさったとです。 もう一人は……浮いて来んやった」
斎藤は、ゆっくりと目を閉じた。
父親になる日を、心待ちにしていた畑中。その男が、海に消えた。
白いマフラーと一枚の写真
「とうちゃん……白い布のこと……」息子が、父に耳打ちする。
「ああ、そうやった」父親はそう言って、濡れた白いマフラーを差し出した。
「引き上げたあと、 これが浮いて来たとばい」
布の一部が、結ばれている。斎藤は、震える指で結び目を解いた。
中から出てきたのは——旅館で畑中が見せてくれた、妻・順子の写真だった。
(きっと畑中は…… 沈んでいく間際に、せめてこれだけは、と……)斎藤は、そう感じた。
そして、心の中で固く誓った。
この戦争が終わり、もし自分が生き残ることができたなら——この写真と、このマフラーを、
必ず妻のもとへ届けよう。
―――――――――次回予告―――――――――
そして原爆が落ちる。「二度、生かされた男」




