第17話 斎藤中尉の抹殺 ――大刀洗飛行場――
福岡県大刀洗飛行場
斎藤中尉が大刀洗飛行場に到着したのは、昼前だった。
まず飛行指令へ挨拶を済ませるため、司令部の事務所を訪れる。
応対に出たのは、司令付きの飛行曹長だった。
「西村少佐から話は伺っております。 操縦士の畑中少尉が、間もなく参りますので、
それまでこちらでお待ちください」
そう言って、湯気の立つ茶を差し出した。
十分ほどして、畑中少尉が姿を現す。
彼は1年前まで大刀洗第四飛行隊に所属し、その後、大村基地へ転属。
現在は、若い特攻隊員たちの操縦教官を務めているという。
「本来なら、以前の教え子を連れて来て、 教官見習いとして二式練習機を操縦させる予定でした。
ですが——」
畑中は言葉を切り、「九州飛行機が設計し、 佐世保の海軍工廠で製造された 二式練習機の 到着が遅れまして……3日後になるそうです。報告が遅れ、申し訳ありません」と深く頭を下げた。
斎藤が第101部隊へ打電すると、返ってきた命令は短かった。
「そのまま大刀洗で待機せよ」
こうして斎藤は、二式練習機の到着まで、基地近くの旅館に滞在することになった。
将棋盤の友
斎藤と畑中は同じ部屋に泊まり、崎山上等兵と整備士の秋山は、基地の兵舎に宿泊した。
2日間、旅館で共に過ごすうち、互いの境遇、特攻隊の現状、戦況について、夜更けまで 語り合うようになった。
将棋好きだと分かると、夕食後はよく盤を挟んだ。
駒音だけが、静かな部屋に響いた。
畑中は語った。
「戦争が終わって、生きて郷里の神戸に戻れたら…… もう一度、教師に戻りたいんです。
子供達に、まともな未来を残したい」
そう言って、軍用手帳に挟んでいた一枚の写真を取り出す。
そこには、あどけなさの残る美しい妻・順子が写っていた。
「あと四か月で、父親になります。 男なら“清”、女なら“清子”と決めています」
照れくさそうに笑う畑中に、斎藤は静かに応じた。
「まともに操縦もできぬ若者に、 爆弾を抱かせ、 オンボロ機で体当たりさせる戦争だ。
日本は必ず負ける」
斎藤は続ける。 「サイパンが落ちれば、 本土決戦など幻想だという声が、 軍中枢でも 増えているらしい」
一拍おいて。
「俺は終戦後、東京に戻って、 また銀行で働くつもりだ。 貴様の奥さんのような美人を 嫁にもらってな…… 終戦まで、生き延びられれば、だが」
「散る桜、残る桜も、散る桜……ですな」 畑中は、そう言って微笑んだ。
そのときだった。
「二式練習機が到着しました」 崎山上等兵が、旅館に現れた。
秘密の「細工」
新品の複座式・二式練習機が、滑走路脇に静かに佇んでいた。
崎山と秋山は、トラックからテスト用試作品が入った木箱を降ろす。
崎山が、おずおずと口を開く。
「私も秋山も、 複座の二式練習機は初めてでして…… 操縦席に座ってみても、よろしいでしょうか」
畑中は笑った。「構わんが、あまり触るなよ」
斎藤は2人に告げる。「我々は指令室で打ち合わせを行う。30分後に戻る。
それまで、ここで待機せよ」
二人の姿が消えると、崎山は秋山に目配せし、小声で囁いた。「悟られないように、きっちりやれ」
2か月前
崎山は、西村少佐の部屋に呼び出された。
「斎藤中尉は、囚人に同情的で、”この戦争は負ける”などと吹聴している。
部隊の秘密を漏らす恐れがある」
一拍置いて。「連隊長殿の了承も得ている。 始末しろ」
さらに、追い打ちをかけるように続けられた。「お前が朝鮮人女囚と通じていたことも、
その娘に手を出しかけたことも、すべて承知している…だが、この任務を果たせば、 不問に付す」――逃げ場はなかった。
少佐の筋書き
吐噶喇列島の小島で毒ガス実験を行わせる。帰路で燃料漏れを偽装し、海に墜落させる。
細工は、航空整備士の秋山が行うーそれが、西村の描いた筋書きだった。
司令部での打ち合わせを終え、斎藤と畑中が戻ると、崎山と秋山は直立不動で待っていた。
「どうだった、初めての操縦席は?」
「はい。大変、貴重な体験でした」 崎山は平然と答えた。
斎藤は2人に向き直り、「我々は16時までには戻る。 兵舎で待機していろ」
そう言い残し、斎藤は複座機の後部座席へ乗り込む。
軽快なエンジン音とともに、二式練習機は、大刀洗の空へ舞い上がった。
地上に残された崎山と秋山は、機影が視界から消えるまで、黙って空を見上げていた。
―――――――――― 次回予告――――――――
空で何が起きたのか。畑中少尉は、何を選んだのか。
そして斎藤は、なぜ“逃げなかった”のか。




