第16話 西村少佐の疑念と山曽根中佐の判断 ――“忠誠”の裏で、排除は決まった――
やがて戦況は、急速に悪化した。
日本の敗色は、前線の兵士だけでなく、この山奥の部隊にまで、はっきりと伝わり始めていた。
補給は滞り、新兵は来ない。それでも――実験結果だけは、異様なほど急がされていた。
極秘命令
7月初旬。
西村少佐は、斎藤和男中尉を呼び出した。
人払いをした室内で、声を潜めるでもなく、低く告げる。「極秘作戦だ」内容は、驚くほど簡潔だった。
新型毒ガスを、鹿児島沖の無人島で使用する。
対象は、中国人囚人。調べるのは――生体反応。即効性。致死時間。
いずれも、「今すぐ必要なデータ」だった。
斎藤は、何も言わなかった。肯定も、拒否も、質問すらしない。ただ、短く敬礼した。
それが、軍人として許された唯一の返答だった。
しかし、その沈黙は――西村少佐には、「服従」には見えなかった。
(この男は、危険だ)
囚人に同情する。少女を助ける。上官の私生活を、軽蔑の目で見る。
そして――命令に対して、一切の感情を見せない。
(こいつは…… どこかで“線を越える”)
戦況がさらに悪化し、敗戦が現実となったとき。この男は、真実を知っているがゆえに、上層部へ 告発するかもしれない。
いや――告発しなくとも、存在そのものが危険だ。
西村少佐は、部隊長・山曽根康路中佐のもとを訪れた。
要点だけを、短く伝える。「斎藤は、 部隊に不適格です」
山曽根は、一瞬たりとも迷わなかった。
返ってきた言葉は、驚くほど平坦だった。「始末しろ」
方法は?時期は?責任は?――何も問われない。
「方法は、貴様に任せる」それだけだった。
静かな決定
その日。静かな山奥で、ひとつの命の行方が、制度として決定された。
裁判はない。記録も残らない。命令書すら、存在しない。それでも――それは、確かな「決定」だった。
斎藤和男は、まだ何も知らない。
だが、彼の背後ではすでに――“事故死”という名の計画が、静かに動き始めていた。
次回 「抹殺計画」――忠誠と沈黙の果てに
なぜ、斎藤は逃げなかったのか。 誰が、“引き金を引く役”を担わされたのか。
そして、“事故”はどのように作られたのか。




