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青い霧  作者: 田中元一


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第8話 桜井の決断

「……真君?」不安げな声で呼ぶ千鶴を、桜井は、まっすぐに見つめた。その瞳に、迷いはなかった。

「千鶴」 静かに、しかしはっきりと告げる。

「明日、一緒に会社に行こう。俺も、君も、退職願を出す」

「……えっ……?」

「それから、区役所に行って、婚姻届を出そう」

言葉が、空気の中で止まった。

しばらくして、震えるほど小さな声が返ってくる。

「……ほんとに?」

「ほんとに、だ」

千鶴は俯いたまま、かすれた声で言った。

「こんな……こんな状態のあたしと、一緒に生きていくなんて……損だよ……?」

桜井は、ふっと笑った。そして、指先で彼女の額を、軽く弾く。

「損得で人を選ぶなら、とっくに別れてる」一拍おいて、続けた。

「俺は、“千鶴”と生きていくつもりでいるんだ」

胸の奥が、熱くなる。視界がにじみ、今度の涙は、音もなく溢れた。

千鶴は、ゆっくりと顔を上げ、小さく、しかし確かに頷いた。

「……うん……お願い……します」

その瞬間――ふたりの未来が、静かに、しかし確実に、動き始めた。

翌朝。

羽田のJNL空港事務所に入った桜井は、いつもと変わらぬ制服姿で、背筋を伸ばして歩いていた。

迷いはなかった。上司の席の前に立ち、桜井は静かに封筒を差し出す。

それを見た上司は、思わず目を見開いた。

「……退職願だと?」

「はい、お願いします。」

桜井は、短くそう答え、深く頭を下げた。

「お前……この前も言っただろう。次の主任候補に名前が上がってるんだぞ。それを、こんな……」

言葉の続きを、上司は飲み込んだ。

「家庭の事情です。詳細は申し上げられませんが……どうしても、今でなければなりません」

しばらく、沈黙が流れる。

上司は封筒から目を離さず、やがて、深く息を吐いた。

「……分かった。止めても、聞かん顔だな」

「申し訳ありません」

「謝るな」上司は立ち上がり、桜井の両手を、力強く握った。

「お前の顔を見れば分かる。」一拍置いて、静かに続ける。

「2人で、頑張れ。空の仕事を捨てるんだ。中途半端な覚悟じゃ、務まらんぞ」

「はい」 桜井は、まっすぐに答えた。「これまで、本当にありがとうございました」

深く、深く、一礼する。

背中を向けたとき、桜井の肩は、わずかに震えていた。それでも――足取りは、確かだった。

――――――――――次回予告――――――――

同じ頃、成田空港。

千鶴にもまた、制服を脱ぐ朝が訪れる。

「空を愛した女の、別れ」その静かな瞬間が。

―――――――――――――――――――――――


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