第7話 電話の向こうの声
さっきから鳴り続けていた電話のベルが、まるで遠い場所で鳴っているように聞こえた。
現実感がない。音だけが、部屋の空気を震わせている。
ようやく我に返った千鶴は、手探りでベッドサイドの子機をつかんだ。
「……はい……」
「お帰り! お疲れさん!」
受話器の向こうから飛び込んできたのは、聞き慣れた桜井の、明るく、少し照れたような声だった。
「会議が長引いてさ。──おい? 千鶴? もしもし?」
「……ま……」 喉が張りつき、言葉にならない。
代わりに、ぽた、ぽた、と涙だけが枕に落ちていく。
「真君……あのね……あのね……」 そこまで言って、言葉が途切れた。嗚咽だけが、こぼれる。
電話の向こうで、椅子のきしむ音がした。
「……千鶴、何があった?」声が低くなる。「ケガしたのか?誰か来たのか?……お父さんは?」
返ってくるのは、嗚咽だけ。
「……ごめん……なさい……」
数秒の沈黙。
そのあと、桜井の声が、短く、強く変わった。
「分かった。今からそっちに行く。すぐ行く。電話切るぞ」
返事を待たず、通話は切れた。受話器を握りしめたまま、千鶴は、しばらく動けなかった。
やがて、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、息を切らせた桜井が、そこに立っていた。
「……真君……」言い終えるより早く、千鶴の身体は、桜井の胸へと飛び込んでいた。
「うっ……うぅ……うわぁぁぁん……!」胸に顔をうずめ、子供のように泣きじゃくる。
空手で鍛えた腕は、その夜、いつもよりずっと優しかった。
「大丈夫だ。ここにいる。何があっても、俺がいる」それだけを、桜井は繰り返した。
問いかけもしない。理由も聞かない。ただ、抱きしめて、待った。
どれほどの時間が流れただろう。時計の針は、いつの間にか1時間以上も進んでいた。
ようやく嗚咽がおさまり、千鶴は赤くなった目をこすりながら、ドレッサーの上に置かれていた 封筒を差し出す。
「……お父さんからの……手紙……」
桜井は、何も言わずに受け取った。ソファに腰を下ろし、ゆっくりと読み始める。
ページをめくるたび、その表情が変わっていく。――驚愕。怒り。悲嘆。
そして、すべてを呑み込んだあとの静かな沈黙。
最後の一行を読み終えると、桜井は便箋を丁寧に揃え、長く、深く息を吐いた。
部屋には、言葉のない時間だけが残っていた。
―――――――――――次回予告――――――――――
桜井が下す、人生を賭けた決断。
それは、正義でも、使命でもない。
ただひとりの女性を守るための、男としての選択だった。
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