第1話―② 父の告白/衣菜(イナ)という名
「自分は、一生でただ一人の女性を愛してきた」
手紙は、あまりにも静かな、その一文から始まっていた。その女性の名は、衣菜。
朝鮮人だった。父は、李成鎮。
一家は、かつて満洲で暮らしていたという。
――戦時中、日本軍に拉致され、 人体実験の“材料”として扱われた。
千鶴は、その言葉を何度も目にしてきた。学校で。新聞で。歴史の本で。
だが今、それが「父の人生」ではなく、「自分の家族の物語」として目の前に突きつけられている。
息が、浅くなった。
李家は、他の捕虜たちとともに、九州・古舘村にあった「101部隊」へ移送された。
父親も、兄も、そこで命を落とした。
そして――衣菜の母親は、村長だった津田弘毅に弄ばれ、妊娠が発覚した途端、
鬼火谷の崖から突き落とされて殺された。
文字を追うだけで、胸が締めつけられる。視界が滲み、手紙の行が揺れた。
だが、次の一文で、千鶴は思わず息を呑んだ。
――当時十二歳だった衣菜が、 兵士に襲われそうになった、その瞬間。
――ひとりの若い兵士が、 彼女を庇い、引き離した。それが――「私だった」
文字は淡々としている。だが、その一文の重みは、千鶴の胸を強く打った。
父は、“外から見ていた人間”ではなかった。
101部隊の内側にいた。そして、その地獄の中で、ただ1人の少女を、守ろうとした兵士だった。
――――――――――――次回予告―――――――――――
父は、101部隊の内部にいた「当事者」だった。
そして――部隊から命じられた、ある「自殺行」。
父が生き残った理由と、背負い続けてきた罪が、明かされる。




