■父からの手紙と旅立ち■ 第1話―① 帰国の夜/灯りのない家
8月10日。
ニューヨークからの便で、千鶴は羽田に戻った。
往路は13時間。復路は16時間。
成田からリムジンバスで箱崎へ、そこからタクシーで自宅へ――時計を見ると、 すでに午後7時を少し回っていた。
(さすがに、きつい……)
玄関前に立ったとき、千鶴はふと、違和感を覚えた。窓から漏れているはずの灯りが、どこにもない。
「お父さん……出かけてるのかな?」鍵を差し込み、玄関を開ける。
「ただいまー!」
返事はなかった。家の中は、音のない闇に包まれている。
(珍しい……)胸の奥に小さな不安がよぎったが、長時間の移動による疲労が、その感覚を押し流した。
電気をつけ、スーツケースを置き、浴室へ向かう。
湯船に身を沈めると、張りつめていた体が、ゆっくりとほどけていった。
「……生き返る……」
髪を洗い、シャワーを浴び、そのまま冷蔵庫を開ける。
目に入ったのは、見慣れた缶――グレープフルーツジュース。
父が、彼女の帰国に合わせて、必ず用意してくれている“定番”だった。
「もう……こういうところだけは、本当にマメなんだから」
軽く食事を済ませ、恋人の桜井に電話をかける。
だが返ってきたのは、無機質な留守番電話の音声だった。
(会議かな……) 簡単な伝言だけを残し、電話を切る。
そして、自室のドアを開けた――その瞬間。ドレッサーの上に、見慣れない分厚い封筒が置かれていた。
「……なに、これ?」
表に書かれていたのは、柔らかく、しかし力のある父の文字。―― 「千鶴へ」
胸が、どくん、と大きく脈打つ。(まさか……遺書? ……いや、そんなはずない)
だが、嫌な予感は消えなかった。封を切る手が、わずかに震える。
中から現れたのは、几帳面な筆致でびっしりと書き込まれた、数枚の便箋。
――私の、かけがえのない、そして大好きな千鶴へ――
その一文を読んだ瞬間、視界がにじみ、文字がぼやけた。
―――――――――――次回予告―――――――――
父の手紙は、静かな告白から始まる。
「私は、一生でただ一人の女性を愛してきた……」
それは、千鶴がまだ知らない、父の人生の“真実”だった。
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