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人狼の花嫁〜薄幸の華族令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第37話 狐狩り

 常和は豪快に木製の牢を蹴り割った。派手な音に綾子の目が泳ぐ。


「こんな大きな音を出してしまって……」

「案ずるな。今応援が到着した。そなたの夫もいる」


 エーリッヒは常和の牙で作られたお守りをいつも持ち歩いているらしい。気配でどこにいるかすぐにわかるようだ。


 綾子は正子が心配になったが、今はどうすることもできないと常和を追った。腹違いの弟、彰人もこの屋敷にいるはずだが狐に眠らされているのだろうと常和は言っていた。


(お父さまがかわいがっているし……)


 葛木家の跡取りだ。

 それから、父親のことも少々気掛かりになった。

 常和は「入り口がわからん」と言いながら白銀色の狼の姿になってあたりを嗅ぎ回っていた。


(本当に綺麗な狼さまね……)


「ここだ、なんとなく狐くさい」

「ここですか?」


 綾子には、そこは何たることのない壁に見えた。そう、ただ板が張られた壁に見える。それを、狼姿の常和は鼻先でちょいちょいとつついた。


 綾子はそこを手のひらでぐいと押した。ぎし、と軋むような音を立てて回転した。どんでん返しだ。

 目の前には闇が広がっていた。

 一歩踏み出すと、そこに何かがあった。


「ひ……」


 着物を纏ったそれは、大きな人形に見えたが、手足は枯れ枝のように干からび、目は落ち窪んで絶叫したように口を開けている。

 ミイラだ。


(この着物は……)


 見覚えがあった。

 心臓が早鐘のように打ち、背に汗が伝う。

 喉がからからに渇いていた。


「久美子か……」


 常和の口からため息が漏れた。

 継母の葛木久美子である。父親の後妻。正子と彰人の母親だ。

 この着物を彼女が纏っているのを見たのは確か数年前だ。


「とっくに餌食になっていたようだ。乗っ取ったな? わたくしが先頭を行こう。ついて参れ。あとは、手筈どおりに」


 綾子はこくりと頷いた。

 継母は狐に精気を吸われてとっくの昔に亡くなり、狐は長らく彼女に成り代わっていたのだ。背筋をぞくりとするものが走った。


***


 綾子はそっと扉を開けた。闇の中からひやりと冷たい空気が肌を撫でる。ぞくり、と背が粟立った。

 何やら禍々しい空気が立ち込めていることがわかった。


「これをどうぞ、お納めください」


 不思議な空間だった。広いお堂のような室内は地下なのにほのかに明るく輝いている。綾子は震える膝を叱咤するように中央奥にある祠のようなものも前に進み、抱えていた大神さまと書かれた桐箱を差し出した。


「わたしが間違っておりました。これは本来ここにあるべきもの」


 ぶわり、と生暖かい風が吹きつける。

 常和が言っていた通りだった。先日綾子が対峙した影のような狐と今朝の迎えの狐はこれの生み出した使い。

 本体は、ここのさらに奥にいるようだ。


「どうやってあの牢から出たのかえ? まあいい」


 青白く光る巨大な狐がそこに在った。

 真っ赤な目はまるで鬼灯ほおずきのように輝き、首にはいくつもの髑髏が連なった首飾りがかかっており、その爛々と光る目がぎょろりと綾子を見ていた。


 綾子は身動きもできぬままごくりと唾を飲み込んだ。必死で常和の言葉を思い出す。


「それを喰らいたいところだが、それはお前の魂に深く棲みついておる……まあいい、人間の寿命は短い。年老いて心身ともに衰えた際に引き摺り出してやろうと主も仰せであった」


 狐は饒舌に語って、尾をゆるりと振った。

 狐の言葉でさらに確信を得た。これは本体ではない。眷属の狐だ。未だ敵の本体は眠っているようだ。


「我が主に仕えよ、そなたの父親はお役御免よ」


 綾子は桐箱をすぐ横に置いてひとつ頭を下げ、「お狐さまのよきように」と一言。


「随分殊勝よの? 望みはなんだ?」

「夫を、エーリッヒさまをお見逃しください。お願いいたします!」


 うまくいくのだろうか、果たして。


「まあよかろう。主には我から進言してやろう。あの男は妙に強い。何か強力な守り神が憑いているようだ。もう関わるべきではないな……他に食らうモノはいくらでもある」


 狐の鼻先は、もはや綾子の顔の目の前にあった。


(今です、常和さま!)  


「かかったな、女狐が!」


 綾子は不意に不適な笑みをこぼした。その声は綾子のものではない。常和の声だ。()()の牙が長く伸び、耳は尖り、その牙が髑髏の首飾りを引きちぎった。

 ばちん、と何かが弾けるような音がした。


「お前……いつの間に顕現できるほどに!」


 予想外、といった様子でのけぞった狐に飛びかかる白銀色の狼。常和の牙は狐の首元を狙うが少し外れて肩口に食い込んだ。

 床の上の桐箱の蓋が弾け飛び、光と共に綾子の姿が現れた。


 彼女は懐から短剣を持ち出して逆手に握って振りかぶった。体重を乗せて、狐の前足にそれを突き立てる。


「この女……よくも!」

「綾子、行け! 結界が解けた!」


 綾子は常和に背を向けて走りはじめた。

 全ては計画通り。いや、それ以上だ。

 多少敵を弱らせねば結界は解けないと思っていたが、どうやらあの髑髏が鍵を握っていたようである。

 

 綾子は扉を開けて階段を登り、暗闇の中、更に手探りで扉を開ける。

 外からの灯りが透けるそこは、見覚えがあった。


(ここは……蔵!)


 かんぬきを開け、扉を開けた。一瞬目がくらむ。

 ワンワンと吠える声が聞こえた。


「エス!」


 そこは見知った犬舎があった。そして、玄関の方から走り寄ってきたのは……。


「エーリッヒさま!」


 エーリッヒに伸晃、それからエーリッヒそっくりの洋装の男性がひとり。


(あの方がシーグルズルさまね!)


 エーリッヒは綾子にぶつかるほどの勢いで走ってくると、痛いほどの強さで抱きしめてきた。綾子もきつくきつく彼の背に腕を回した。


「アヤ、怪我は? 無事か?」

「わたしは無事ですが、常和さまがおひとりで戦っておられます! 加勢を!」


 綾子につづき、伸晃が叫ぶ。


「エーリッヒ! 伏せろ!」


 綾子はエーリッヒに庇われながら引き倒された。目と鼻の先すれすれを白っぽい塊が飛んでいき、シーグルズルを直撃、受け止めた彼もろとも後方に吹き飛んだ。


(常和さま!)


 ごうっと凄まじい風が吹き荒れ、綾子は地面を転がった。ようやく手をついて顔を上げると犬舎が倒壊していた。


 一拍呆けていた綾子であったが、瓦礫同然の犬舎這い出てきたエスに顔を舐められて、我に返る。背後の蔵に視線を向けた時、蔵から滑るように出てきたのは、白い狐にまたがる般若のような形相の久美子だ。手には大鎌を持っていた。


 エーリッヒはそれの足元に倒れて転がっていた。


「エーリッヒさま!」


 綾子は叫んだ。


「常和! しっかりしろ!」


 焦ったようなシーグルズルの声、それから焦りを滲ませる伸晃の声がつづいた。


天竺てんじく、インドの狐か……悪鬼に堕ちた荼枳尼ダーキニーかよ……」


 日本では仏教系の稲荷神として崇められ、荼枳尼天だきにてんと呼ばれる荼枳尼ダーキニー

 それは鬼のような形相で、足元に転がるエーリッヒを見つめにたりと笑みを浮かべた。


 綾子の背を、冷たいものが走る。

 かたわらのエスは、荼枳尼ダーキニーに牙を剥いて吠えつづけていた。

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