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人狼の花嫁〜薄幸の華族令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第36話 白銀の神狼

「ん……ここは」


 綾子は目を覚ました。しばらく床の上に横たわっていたらしい。迎えの狐の引く車に乗り込みエリックに手を振ったところまでは覚えているが、すぐに気を失ってしまったようだ。

 ぎしぎしと傷む身体を起こせば、視線の前には格子が見えた。


 地下牢だ。


 葛木家にはいくつも地下室がある。しかし、綾子が足を踏み入れたことがあるのはこの地下牢だけだ。

 

 罰として閉じ込められたことが何度もあった。

 見渡せば、すぐ近くに家宝の桐箱がひっくり返って転がっていた。


 這い寄って、そして上下を戻す。


(大神さま……ごめんなさい。せっかくエーリッヒさまが祀っていらっしゃったのにこんなところにお連れして。わたしはどうすればいいのでしょう……)


 榊も供え物も置かれていた。大切にされていたのに……。そう心の中で謝罪しした。

 綾子は結構信心深いたちだった。正座をして手を合わせる。


 その時のことであった、女のうめき声のようなものが聞こえて綾子は顔を上げた。

 この牢は、格子の先の廊下を挟んだ向かい側にも牢がある。

 いったい、なんだろう。綾子はごくりと唾を飲み込んだ。手に冷や汗が止まらない。


 綾子は腰を上げて格子の方にそろそろと足をすすめた。

 すると、そこにいたのは思いがけない人物であった。


「正子!?」


 腹違いの妹である正子が布団の上で目を見開いたまま天井を見つめていた。 

 訳のわからない言葉をぶつぶつと呟き、そしてたまに辛そうにうめいている。


「正子? どうしたの? しっかりなさい!」


 格子越しに声をかけたが返事はない。

 この光景を、綾子は見たことがあった。衰弱した母と妹も最後は彼女のような状態だった。


 どうしたら。


 綾子に縋れるものはもうほとんどない。彼女は混乱していたと言っても過言ではなかった。

 そもそも、このひと月で異形の狐を見たり、どこから紛れ込んだかわからない妹からの手紙が突然燃えたり……妙なことが起こりすぎている。縋れるのは、もはや神仏くらいしかなかった。


「大神さま、お助けください!」


 桐箱に駆け寄る。


(どうしたらいいの?)


 板の間にぺたりと座り込む。不意に鎖骨の下あたりが熱くなった。思わずそこに手を伸ばす。

 箱がかたかたと震えた。出してくれ、と言っているように見えた。葛木家にいた頃、「これは開けてはいけない」と言われていたが、綾子は指をもつれさせながらその桐箱の組紐を解く。


 桐箱から漏れる光が眩く輝いた。

 あまりの眩しさに綾子は目をすがめながら蓋を開く。


 そして……。


「優しい娘よの。その妹に散々酷い目に遭わされてきたではないか」


 低音ながらしっとりとした女性の声が聞こえて綾子は目を開けた。

 そこにいたのは、白銀色の犬……ではない。狼だ。

 目は美しい黄金色。


「悪夢を見ているようだ。寝かせてやろう」


 彼女が一歩正子の方へ踏み出すと、その姿は銀の光に包まれ、人の姿になった。

 綾子は言葉を失ったまま、目で彼女を追う。


 緋袴を穿いた巫女の姿。和紙でできた髪飾りと水引で束ねられた髪は月光を束ねたような白銀色で真っ直ぐ背を流れている。


 女は格子越しに手を伸ばし、ひとことふたこと呟いた。すると、正子は目を閉じて安らかな寝息を立て始めた。綾子はようやっと、その場を立ち上がって彼女に歩み寄った。


「わたくしの名は常和ときわ、祈りは力になる。そなたら夫婦が大切にしてくれたおかげで再び現世に出られるくらいの力を得られた」


 双眸は黄金の色。

 背丈も面差しもどこか綾子に似ていた。


「あなたは……我が家の……」


 家宝の、守り神さまに違いない。

 綾子は唇が震え、舌ももつれてうまく言葉を発せなかった。


「ああ。忌々しい女狐に力を吸われつづけたがそなたに救われ生きながらえ、憑依させてもらった」


 左胸の鎖骨の下を、指先でとんと突かれる。

 はっとした。ある日現れたあざはこの大神さまだったのか、と。 


「見立ては間違いではなかった。だが、そなたの一番楽しい時を、人生を壊してしまったな」


 巫女服姿の常和は説明してくれた。

 葛木家で忘れ去られて弱っていたところを更に狐に力を吸われ、満身創痍で綾子に取り憑いたこと。あまりに相性が良かったこと、そして弱っていたことも相まって深く魂が絡み合い、結びついてしまったこと。

 狐は妖力を増そうと常和の神気を食おうとしたが、常和が綾子の魂と深く結びついていたためうまくいかなかったこと。


 そして。

 ならばと狐は綾子ごと食おうとしたが、それで得られるのは人間を殺した時得られる精気だけであること。


「狐は、わたしから常和さまを引きずり出そうとしたのですか?」

「そうだ。そなたの心身を弱らせようとして……婚約者を殺し、母君と母の同じ妹君に目をつけ……家族から虐げられるようにし向け、果ては、エーリッヒ殿にまで手にかけようとした」


 エーリッヒが綾子を捨て置くように仕向けたのも、狐だったのだ。

 常和は吐露するとその場に膝をついてこうべを垂れた。


「申し訳ないことをした。この通りだ……女子おなごとして一番華やかな時期を、そして家族を奪ったのはこのわたくしだ」

「頭をお上げくださいっ!」


 綾子もぺたりと床の上に座り込んで彼女の手を取った。


(そんな……常和さまは悪くないわ)


 元々葛木家の守り神であるのに、葛木家は大切にしなかった。それどころかおかしな狐を屋敷に招き入れた。


「わたくしは許されざることをした。だが、そなたとエーリッヒどのが添い遂げられるように女狐退治だけはしたい。狐の力を喰らえば、わたくしはそなたから離れられる。それまでは頼む、生かしてほしい。だが……」


 彼女は泣きそうな笑みを浮かべ、「その後は、首を飛ばしてくれても構わない」と言った。


(そんなこと、できるわけないわ……)


 ずっと常和は寄り添ってくれていたのだ。

 そんなことできるはずもない。


「だが、オイレンブルクの狼、シーグルズル殿だけは悪いようにしないでくれ。エーリッヒ殿にも狼が憑いている」

「もしかして……」

「そなたがエリックと呼んでかわいがっているのは西洋の狼の神だ」


 綾子は言葉を失った。

 あれだけ身体中撫で回し、かわいがり、時には枕にし……。


(なんてことを!)


「バチがあたるようなことばかり……わたしは……」

「オイレンブルクの屋敷で、彼は狐に立ち向かっただろう。わたくしもそなたに力を貸したが危ないところであった。彼は力を失って自我もそこらの野良狼同然なのに、そなたを守ろうとしたんだ。葛木家の巫女であるそなたには癒しの力がある。彼も綾子に癒されて、かなり力を取り戻した。感謝しているはず」


(エリックが神様だったなんて……)


 そして視線を逸らしてこうも言った。「少し妬けるな」と。


(常和さまはエリックを好いているのね……)


 少し微笑ましかった。


「常和さまの首を……なんて、わたしにはできません。一緒に狐を倒しましょう。彼を、その西洋の狼さまを好いているのですよね?」


 彼女は一瞬目を見開いて、それから諦めたように笑みを浮かべた。


「ああ……シーグルズル殿を好いているんだ」


 綾子は彼女の気持ちが手に取るようにわかった。だって、綾子もエーリッヒに恋をしているから。

 エリックは確かに惚れ惚れするほど美しい姿をしている。


「たいへん美しいですものね」

「わかるのか?」

「ええ。艶やかな毛並みに綺麗な目、身体も大きくて立派で、均整が取れていて尻尾もふさふさで」

「そう! そうなんだ!」


 常和はどこか興奮した様子で綾子の手を取った。

 綾子は苦笑した。


(……このままでは脱線してしまうわ)


「あの……常和さま。すみませんがわたしたちはどうすればよいのです? 何かお考えがございましたらお聞かせ願いたく」


 彼女ははっとしたように目を見開いた。


「昨夜自我を取り戻したシーグルズルどのと色々計画を立てた、聞いてほしい」


 綾子は頷いた。暗闇の中に一筋の極彩色の光が見える。そんな気がした。

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