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人狼の花嫁〜薄幸の華族令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第35話 続・漆黒の神狼

「……我が未来を見て、その内容を人に告げると皆十年以内に死んだ」


 伸晃が「え? なんだって?」と運転席から声を上げた。


「案ずるな、この男には()()()()()()()。これはまた後で説明しよう、まず時系列順に話す」


 時を司る狼、シーグルズルは淀みなく話し始めた。知恵の神であった妹が、突如人間と駆け落ちしたこと。罰として一族の長から力と寿命の大半を奪われて、ほとんど人になってしまったこと。


「妹は記憶も奪われた。我は心配になって、いつも腹をすかせた野良狼のふりをして会いに行った。歳の離れた末の妹だから本当にかわいかったんだ。一つ幸運だったことは、相手の男は記憶を失った妹でも大切にしてくれたことだ」


(野良狼のふり……俺みたいなことをしていたのか)


「子も生まれて、やがて妹は死んだ。だが、あの一家から離れがたくてな。南の方に移り住むという彼らについていった。我は一族を捨てたんだ。抜けるときは少々骨であったが……そうして南にどんどん流れて行ったおぬしの一族はドイツに定着した。オイレンブルクを名乗り始めたのはその頃だな」


 彼は懐かしげに窓の外に目を向けた。


「時は流れ、十五、六世紀くらいだったか。シュヴァルツァー・トート、疫病が流行った。そなたの先祖は何度も何度も嫡男を亡くした」


 黒死病ペストである。肌が黒くなって死ぬことから、ドイツでは黒い死シュヴァルツァー・トートとも言われた。


「末の息子が生まれて、両親は朝晩祈りを捧げていた。この子が成長し、家庭を築けますように、と。我は禁忌であると知りながらその子に力を半分分け与えた。結果、その子は満月の夜、狼の姿に転じることになってしまった上、三十歳前後で年を重ねることもできなくなったが……」


 シーグルズルはエーリッヒをひたりと見据えた。エーリッヒは口を開いた。


「なるほど……斯様かような理由が」

「ああ。しかし、歴代の当主たちは皆立派だった。誰ひとり、『己が生きながらえよう』と思う者はおらなんだ。皆速やかにその力を息子に継がせた」


 エーリッヒも不思議に思ったことがある。

 なぜ父は、先祖たちは、己の不死身の肉体を維持せずに、それを素直に息子たちに受け継がせたのか、と。

 だが、ふと思い至ったのだ。


(貴族である身分を失う未来など、考えられなかったんだろうな……)


 不老不死の肉体を抱え、家族や友人を見送り……同じ場所に住むことも叶わないだろう。怪しまれぬうちに故郷を離れ、結果、城を失い、土地を失い……。

 いつまでも転々と放浪して生き続けるのだ。考えるだけでぞっとした。

 貴族の嫡男として何不自由なく暮らしてきた身に、そんな生活は辛すぎる。


(話を進めなければ……)


 エーリッヒは我に返って問いかけた。


「そうでしたか。そのような経緯で、当主の嫡男は傷でも病でもすぐに治癒するようになったと……貴殿にそのような能力が?」

「我は時を司る。治癒しているわけではない」


 狼の口元が笑みを刻んだ。

 エーリッヒは気づいた。そう、時の神だ。彼は時を操ることができるのだ。


「時間が巻き戻っている」


 伸晃と見事に声が重なった。


「左様。だが我は禁忌の術を使い、ほとんど生ける屍と化した。オイレンブルクの一族に憑依してなんとか生きながらえ……だが、欧州では狼は悪魔の象徴だ。迫害され、さらに力を失い、おぬしの父が生まれた頃、ついに自我も失った」


 呪いではなかった。

 長年忌々しい呪いだと、オイレンブルクの一族は先祖に狼を持つ禍々しい人狼じんろうだと思っていたのだが、憑いていたのは……。


(神の狼と書いて、神狼じんろうだったのか)  


「自我を失いつつも、夢の中を我はたゆたった。そして意識はなかったが、この日本という国は狼を信仰する者もいる。欧州に比べかなり居心地がいいと本能が悟った。すまなんだ。我のこの国から出たくないという意識が、おぬしの狼としての力を強めてしまった上、夜な夜な暴れる猛獣と化した」

「毎晩あの状態では確かにドイツまでの旅路は無理と父も判断しました。言われてみればその通り」

 

 漆黒の神狼は重ねて謝罪をした。「すまなかった」と。


「もう謝罪は結構です、我が一族は貴殿に恩義がある」

「俺の家のお守りが効いたのはどういう経緯なんです?」


 運転席から伸晃の声が飛ぶ。

 エーリッヒは懐からそのお守りを取り出した。


「その守りは……もとの狼の牙だ。常和ときわと言って、葛木家の守り神。遠くにあっても我にいつも語りかけてくれた。安心せよ、と。毎晩の暴走がおさまったのも、綾子の未来の姿が夢に現れたのもその影響だ。そして……今も常和殿は綾子は無事だと教えてくれている」


(無事ならばよかった……)

 

 エーリッヒはハラハラする心を落ち着けようと嘆息した。


「常和殿は綾子に憑依しているゆえ、昨晩少しだけ力を分けてもらえた。全盛期の一割の力にも満たないが、なんとか動けそうだ。我らに考えがある、聞いてくれるか?」


 エーリッヒは黙ったまま頷いた。伸晃は運転をしながら「あんまり葛木家まで時間がないので、手短にお願いできますか?」と言った。

 彼は端的に計画を語り始めた。


 やがて。

 自動車は葛木家の門を突破した。

 伸晃は屋敷の前に静かに停車。エーリッヒは刀を手に自動車を降りた。


「静かだ。使用人たちは眠らされているに違いない」

「確かに……やけに静かですね」

「先日の戦闘と今日の仰々しい迎えのおかげで、敵はかなり力を失っているはず。綾子も戻って安心し、しばし休息をとっているに違いないと先ほど牙を通して伝わってきた」

「乗り込むに、それは好都合ですね」


 そう言って後ろを振り向き、エーリッヒは息を飲んだ。

 そこにはエーリッヒと瓜二つの顔立ちで、同じく黒髪碧眼の男がいた。

 髪は高い位置でひとつに括っており、軍服のような詰襟の礼服を纏い、腰には西洋の直刀を下げている。


「これが我の神としての姿だ。そなた、我に瓜ふたつよの。息子がいたら斯様な気分なのかもしれない」


 シーグルズルは蒼穹の瞳を細めて微笑んだ。

 

「さて、天竺てんじくの狐狩りを始めよう、と言いたいところだが……」


 エーリッヒは屋敷の方へ踏み出したところであったが、その肩を「ちょっと待て」と伸晃に掴まれた。


「蜘蛛の巣みたいなのが見える。ヤベェぜ」


 エーリッヒの目には何も見えなかった。

 ふわりと飛んできた白い蝶がエーリッヒの目の前でバチバチと何かに弾かれて燃えながら地面に落ちていく。

 シーグルズルの目がそれを悲しげに見つめた。


「この結界……中から破ってもらうしかない。しばし待機だ」

 

(アヤ……大丈夫か……)


 綾子には葛木家の狼がついているはずだ。

 エーリッヒは奥歯を噛み締めた。できることは、待つだけだった。

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