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人狼の花嫁〜薄幸の華族令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第26話 オイレンブルクの狼と葛木家の家宝

 屋敷の廊下。

 エーリッヒは辺りを見回しながら歩き回る伸晃のあとを追っていた。


「くっそ、わっかんねぇな……気配が充満してて。どこだろう」


 伸晃が毒づいた。

 ふたりは()()()()を探していた。

 あの時急に現れたあの狼は、未だ屋敷の中をうろうろと動き回っている様子であった。


「あれってエーリッヒの身体から出たんだよな? こんなこと今まであった?」

「いや、初めてだ。身体から狼が離れたなんて……父からもこんな話は聞いたことがない」

「俺、エーリッヒのその体質、憑きものの類じゃなくって、先祖に狼がいてって類のやつだと思ってたんだけど」

「俺もその認識だった」


 次から次へとなんなのだ。

 伸晃は懐から鎖で繋がった懐中時計を取り出した。


「とりあえず、エーリッヒの部屋戻るか。そろそろ日付が変わる」

「そうだな」

「実は部屋にいたりしてな」


 ふたりは洋館の一角にあるエーリッヒの私室に向かった。扉を開ける。扉の向こうにはなんと茶室かとみまごう畳の和室があった。

 床の間には有田焼の壺が置かれ、鳥が描かれた掛け軸がかかっており、そこに例の葛木家の家宝も置かれていた。

 

 扉の向こうには寝台ベッドを置いた寝室がある。

 寝室も覗いてみたが、あの狼は影も形もない。


「あー、疲れた。そういえば綾子さん、大丈夫だった?」


 伸晃は畳の上にどっかりと腰を下ろした。


「足の傷、ガラスが食い込んでいて思ったより深くて痛そうにしていたな。だが精神的には意外にも冷静だった。あんな非科学的な怪異に遭えば一般人なら取り乱して寝込んでもおかしくない。しばらく仕事を休んでそばにいてやろうと思う」

「俺たちは変なのに慣れてるからいいけどさ、確かにそうだな。それがいい。仕事は俺が回しとく。明日倉庫に行って納品した部品の検品しておくよ」

「エリック姿の方がアヤも落ち着くだろうから、仕事してるふりして彼女のところに行こうと思う。任せた」


 いつ欧州ヨーロッパからの輸入ができなくなってもおかしくない。エーリッヒはあらかじめ消耗しやすい部品などをできる限り見繕って、先行投資をしたのだ。


 機械が壊れても、交換用部品さえあればなんとかなる。発注していたそれが遠路はるばる欧州から日本の倉庫に到着したのである。


(仕事はノブに任せよう。あんな化け物と戦ったアヤが心配だ……)


 そもそも、エーリッヒ自身人狼である。これが非科学極まりない。

 だからふたりは他人より耐性があった。


 エーリッヒは「ままならんな」とぼやきながらジャケットを脱ぎ捨てた。どうせガラスでズタズタである。先日仕立てたばかりだったが、残念ながら処分するしかない。


 続いて蝶ネクタイを外していると、ふと例の家宝が目に入った。


「実は、アレじゃあないよな? あの狼」


 言えば、あぐらをかいた伸晃がはっとしたように言った。


「あー! 言われてみればもしかしたらこっちかも!」

「気配とかどうだ?」

「どっちも狼だからよくわかんねぇんだな……兄貴たちならわかるかもしれないけど」


 万が一、この家宝だったらどうしよう。

 これが助太刀してくれたとしたら。


 そう考えると、綾子をああも守ろうとしていたのも納得がいく。


「ちょっと……酒供える。ノブはあれだ、米。厨房から米盗んでこい。器は適当に何か用意する」

了解ヤヴォール! オイレン(グラーフ・)ブルク伯爵(オイレンブルク)!」


 なぜかドイツ語でそう言って敬礼した男は部屋を飛び出していった。

 エーリッヒが戸棚から酒器を取り出し、寝酒にでも飲むかと置いてあった酒を開封する。

 しばらくし、ポケットチーフに包んだ米を持って戻ってきた伸晃とそれらを供え、ふたりして手を合わせた。


「ぎゃあぁぁぁぁ出たっ!」


 先に目を開けた様子の伸晃が隣で小さく叫んで飛びついてきた。何かと訝しがりながらエーリッヒは目を開ける。

 床の間に、舌を見せてちょこんとお座りした漆黒の狼がいた。

 その目は青い。


「貴殿は当家、オイレンブルク一族ゆかりの狼だろうか?」


 エーリッヒはまず日本語で問いかけたが、狼は舌を垂らしてハァハァ言いながら首を傾げた。続いてドイツ語でも同じことを話しかけたが、特に反応はない。

 舌を見せてハッハと言っているだけである。


 興味がないのか、大きな口を限界まで開けてあくびをする始末。


 次いでその狼は後ろ足で首をかいて立ち上がるとぶるぶる身体を震わせた。

 中央に飾ってあった壺がごろんとひっくり返り、ほわほわとした抜け毛が舞った。


「日本語もドイツ語も通じてないな。それか無視しているのか?」

「見た目がエリックそのものだ。動作は犬っころ」

「そうだな……やはり我が家の狼か」


 狼は視線を家宝の入った桐の箱に向けると、鼻を近づけてすんすん嗅ぎ回った。先ほどまで垂れていた尾を振って、前脚を伸ばし上半身を伏せて尻を上げた。

 

「遊ぼうと言っている」

「アレに向かって?」

「ああ」


 そして。

 鼻をクンクン鳴らしながら前脚や鼻先で桐の箱をちょいちょいとつついたあと。

 返事をもらえなかったらしく、悲しげにピーピー鳴きながら尾を再びだらりと垂らし、エーリッヒの方に一歩を踏み出して畳に降りたかと思うと掻き消えた。


「ひぇぇぇぇ消えたっ!」


 伸晃がまたひっしと抱きついてきた。エーリッヒは彼をベリッと引き剥がす。


「仲間だと思ってるみたいだな、この箱の中の……骨のことを」


 そして思い出したようにはっと時計を確認し。

 エーリッヒは慌てて服を脱ぎ捨てた。エーリッヒはいつもと変わらず狼の姿になった。


「さっきの姿と瓜二つだ。大きさも、色も、何もかも」

「やはり、俺から離れたというのが妥当だな」

「多分きっかけは……」


(アヤだ……)


 もちろん、敵が現れたこともあるだろう。

 だが、エーリッヒは怪我をしても死なない。あの時、蹴りを喰らって自動車の窓を突き破った瞬間にエーリッヒはそこかしこに怪我を負っていた。

 そしてそれらは一瞬で治った。


 オイレンブルクの狼は、その時点で出てきてもよかったはず。エーリッヒが危険に晒されたのだから。


 しかし、狼は綾子が危険に晒されてやっとエーリッヒから分離し、ふたりに加勢した。

 その後も、あの狼はエーリッヒを気にするどころか綾子に駆け寄って彼女の怪我を気にしていた。


 狼姿のエーリッヒの青い目と、伸晃の茶色い瞳が葛木家の家宝を見ていた。


「綾子さん、葛木家の守り神の巫女さんかなんかなんじゃないか?」

「そうかもしれないな」

「洋の東西は違うが、仲間を守ろうとしたのか」

「そう考えると不思議はない」


 ふたりはしばらく、葛木家の家宝を見つめていた。

 そして、エーリッヒはぼそりとつぶやいた。


「ずっと呪いだと思っていたが、そんな禍々しいものじゃないのかもしれないな……」

「俺は呪いだと思ってねぇよ。呪いだったら見ればわかるし、うちの邸には入れないだろうし」

「それもそうだ……」


 かくして、不思議な夜はふけゆくのであった。

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