第25話 エリックの加勢
(エリック、なんて子なの……)
太刀はどこに? 綾子が左右を見れば、すぐ隣にピストルを構える伸晃がいて、左手に太刀をぶら下げていた。
彼が太刀の柄を綾子に差し出したので素早く受け取る。
「ありがとうございます!」
「どうして……エリックが」
伸晃は綾子を守るように寄り添うエリックを見て呆然と呟いた。
「そんなこと今はどうでもいい!」
刀を手にエーリッヒが吠える。
彼の振り下ろした刀を敵の曲刀がかろうじて受け止めた。互いに斬り結び、青い火花が夜空に散る。
あまりの激しさに、綾子は加勢しようにも難しく、ぎりりと歯を噛み締めた。
何かできることは……。
(そうよ!)
ひとつ閃いた。
綾子は太刀を構えて声を張り上げた。
綾子が持っているのは、大山家の太刀だ。
「エーリッヒさま! 助太刀いたします!」
敵の注意が綾子に向いた。エーリッヒはその隙を見逃さなかった。
刀を一閃させて、敵の右手を曲刀ごと斬り飛ばした。
綾子が走り込む。
太刀を繰り出した激しい突きが敵の胴に食い込んだ。続いて、エーリッヒの突きが決まる。
綾子は太刀を引き抜いた。エーリッヒもそれに続く。
ゆらり、と敵の身体が傾いだ。これで、人間ならば倒れるはず。綾子は嫌な予感を感じ、後ろに距離を取った。
影は形をぐずぐずと崩していき、四つ足の獣の姿になった。
ひょろりと細長く、尾が太く、三角の耳に尖った耳。
(やっぱり狐!? )
銃声が数発響いてその影がびく、と震えた。効いている。「くっそ、弾切れだ!」悪態をついた伸晃。
その隙に背を見せて逃げようとしたその四つ足の影に飛びかかったのはエリックだ。
「エリック! 危ないわ!」
綾子は叫んだ。その時、綾子から太刀を「俺に貸せ!」と奪い取ったエーリッヒが走る。
エリックがその狐の喉元に噛み付くと、それは悶絶するようにのたうち回る。
走り寄ってきたエーリッヒに気がついたのか、エリックが後ろ足で狐の胴を蹴り上げてぴょんと離れたその時、エーリッヒの銀色の一閃が敵の首を斬り飛ばした。
その得体の知れない狐のような形をした何かは、サラサラと砂のように溶けて空中に消えた。
「やったな……」
エーリッヒは崩れた前髪をかきあげて、落ちていた鞘を拾うと慣れた手つきで納刀した。
綾子はその場にへたり込んだ。
綾子が呆然としているとエリックが側に駆け寄り、心配そうに顔を覗き込んできて顔中舐めまわされる。
「大丈夫よ、そんなに舐めないで。落ち着きなさいエリック」
ふんふん当たる鼻息と湿った舌がくすぐったくて顔を背ける。やがてエリックも落ち着いたのかその場にちょこんと腰を下ろし、舌を出してハッハッと言いながら口角を上げた。
両手でその頬を包むようにして撫でてほめてやる。
「エリック、よくやったわ賢い子。なんて勇敢なの?」
綾子はエリックとエーリッヒが一緒にいるところを初めて見た。やはり飼い主と飼い犬。素晴らしい連携である。
エーリッヒには伸晃とアンネ、それから運転手たちが駆け寄っている。
「エリックは? 怪我はない?」
身体中触ったが嫌がるそぶりはない。どこも怪我はしていないようだ。
エリックは興奮冷めやらぬ様子で身体をぶるぶる振るわせると、綾子の足に鼻を近づけてすんすん嗅ぎ回った。靴を脱ぎ捨てていたので素足である。
エリックはクンクン鼻を鳴らした。
なんだろうと立とうとして、足に激痛が走った。
足の裏を何かで切っているようだ。再び地面にへたり込む。
(気づかなかったわ……)
いつ怪我をしたのだろう。極度の緊張状態に痛みを感じなかったようである。
エリックが顔を上げ、エーリッヒたちの方に数歩走るとくぐもった低音でワウワウと吠えた。
エーリッヒが慌てて走り寄ってくる。
「アヤ、どこか痛めた?」
「……多分、石か何かで足の裏を」
綾子は片膝をついたエーリッヒを見上げた。彼はエリックに視線を向け、どこか戸惑ったような表情をしてその頭をぽんぽんと撫でた。「よくやったな」と小さく言うと、エリックは尻尾をちぎれんばかりにぶんぶんと振った。
エーリッヒは綾子に腕を回してそっと抱き上げた。
綾子は動揺した。
この人は、先ほど自動車のドアのガラスに突っ込んだはずである。
「エーリッヒさま、大丈夫です。エーリッヒさまこそお怪我を!」
「大丈夫、俺は頑丈だから」
「そんな……自動車のガラスを突き破ったのに……」
エーリッヒは屋敷の中に戻るとアンネに湯を持ってくるように頼み、四郎や恵子も慌てて救急箱を持ってきた。
エーリッヒは綾子の足を自ら処置してくれた。
「俺の父は医者だった。医学生に囲まれて育ったからそれなりの知識もあるし、これくらいは手伝わされたことがある」
左足は軽い擦り傷程度だったが、右足の裏にはガラスが突き刺さり、尖った石で切ったのか傷口がぱっくりと開いていた。彼はピンセットで突き刺さったガラスを取り除き、傷を洗って手際よく消毒、止血を施してガーゼを当て、包帯を巻いてくれた。
「明日医者を呼んで診てもらおう」
「はい。ありがとうございます」
「こんなふうになるまで戦うなんて……君は居合の経験があるのか?」
「ありません……祖父は居合が趣味でしたが」
あんなふうに抜き身の真剣を持ったのも初めてだ。綾子は自分のてのひらを見つめた。
自分自身が信じられなかった。
「あの太刀は鬼切丸という。昔、鬼を斬り伏せたという伝承のある刀だ。何か……力を貸してくれたのかもしれないな。倒せてよかった」
「大山家の太刀、流石でございます。わたしも助かりました」
「いいや、俺も情けないさまを見せた。君が抜いて応戦してくれたからこその結果だ、ありがとう」
エーリッヒは綾子の隣に腰掛けた。彼の左の指先が、綾子の右手のそれに絡んだ。
胸がうるさいほど高鳴り、頬が急激に熱を帯びた。
綾子はこの時ソファに腰掛けており、負傷した足はオットマンの上にあった。
「他に怪我はないか?」
「はい、ございません」
「よかった」
次の瞬間、綾子は痛いほど抱きしめられていた。彼は耳元で小さく囁いた。
「怖かったな……」
「はい、肝が冷えました。エーリッヒさまが。あんな。自動車に……」
「君に命に関わる怪我がなくてよかった。よかった本当に」
彼はそれだけ言うと、何もなかったように身体を離した。綾子は彼の横顔を不思議に思って見上げる。
少し頬が染まっていた。
(結構恥ずかしがり屋さんなのね。エーリッヒさま)
華やかな容姿から女性に慣れた人なのかと思っていたが、意外にそうでもないらしい。
綾子の口元が弧を描いた。
年上の殿方にこんなことを思ったら失礼かもしれないが、率直にかわいいと思ってしまったのだ。
彼は咳払いをすると、明後日の方向を見たまま先ほどとは全然違う話題を口にした。
「……そういえば、エリックはどこに行ったんだろうな?」
「そういえば、あの子どこかに行ってしまいましたね」
めいいっぱいほめておやつをあげようと思ったのに、エリックはどこかに行ってしまったようだった。
綾子はまともに歩けないのでエーリッヒに抱えられて部屋に運ばれ、アンネが付き添ってくれて身体を清めて着替えをし、早々に休むことにした。
「ねえアンネ。エーリッヒさま、本当に怪我は大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫です。心配いりませんわ!」
「そうですか……なら、よいのですが」
あんなふうに腹部に蹴りを入れられたら普通の人間だったら腹痛どころでは済まないだろうし、ガラスを突き破ったら切り傷だらけになっていてもおかしくない。
頭だって打ち付けているだろうし、首を痛めていても不思議ではない。
しかし彼は普通に歩いていたし、綾子を抱え上げても足取りはしっかりしていた。会話もいつもと変わらない。
(よほどあたりどころがよかったのね……)
綾子は寝台に横になった。
エーリッヒたちはあの狐を退治したつもりでいるようだったが、本当に倒せたのだろうか。
胸騒ぎを覚えながらも、泥のようにへばりついてくる睡魔に負けた綾子は目を閉じた。




